15話:顔
改札の向こうに、人がたくさんいた。
グレハムは足元を見たまま、改札を抜けた。誰かの靴。誰かの鞄の底。誰かの、急ぐ脚。そのあいだを縫って歩いて、改札の前の少し開けた場所で、立ち止まった。
どこにいるのか、分からなかった。顔を知らない人を、どうやって探せばいいのか。
目印に、花を持っていきます。
グレハムは、目を少しだけ上げた。足元から、膝の高さへ。人の手が、いくつも見えた。鞄を持つ手、切符を持つ手、子どもの手を引く手。
その中に、白いものがあった。
小さな花の束を持った手だった。星の形の、白い花。蔓ごと切られた短い枝が三本、細い紐で束ねてある。その手は動かずに、そこにあった。待つのが得意な人の手だった。
グレハムは、その手から目を上げていった。
手首。袖。肩。首。
顔。
顔の左半分が、ひきつれていた。
額の生え際から頬を通って、顎の下まで。皮膚が波打つように固まり、左の目の端が、少し下に引かれている。左の耳の形も、右とは違っていた。右半分は、なめらかだった。細い眉と、まっすぐな鼻と、少し薄い唇。
ジャスミンは、半歩、後ろへ下がった。
ほんの半歩だった。けれどそれは、子どもの頃からずっと、人に目を逸らされてきた人間の動きだった。逸らされる前に、自分から引く。相手が困った顔をする前に、距離を作る。そういうことを何千回も繰り返してきた体が、勝手にとる動きだった。
グレハムは、逸らさなかった。
逸らすということを、知らなかった。
彼は、その顔を見ていた。
生まれて、三つ目の顔だった。
父の顔。母の顔。そして、この顔。生まれてからずっと、顔は二つしかなかった。夢の中の父と、台所の母と。その二つのあいだを何万回も往復してきた目に、三つ目の顔が、今、映っていた。
見たことのない形の眉だった。見たことのない形の唇だった。見たことのない、皮膚の波だった。全部が、初めてだった。
何年も、この顔の代わりに花を見ていた。同じ写真を何千回も開いて、同じ花びらを見た。花は、何年見ても、新しくならなかった。
この顔は、新しかった。
どこを見ても、新しかった。
「初めて見る顔だ」
グレハムは言った。
声に出してから、それがひどく当たり前のことだと気づいた。初めて会ったのだから、初めて見るに決まっている。もっと別のことを言うべきだった。はじめまして、とか、来てくれてありがとう、とか。
けれど、言いたかったのは、それだった。
初めて見る顔だ。
彼にとってそれは、この世で一番大きな言葉だった。
ジャスミンは、何も言わなかった。
言えないようだった。唇が少し動いて、また閉じた。花を持つ手に、力が入っているのが分かった。蔓の先が、小さく震えていた。
彼女は、何かを待っていたのだと、グレハムは思った。目を逸らされるのを。困った顔をされるのを。言葉に詰まられるのを。花と自分の顔の違いに、相手が気づく瞬間を。
それが、来なかった。
来ないまま、時間がたった。改札の前を、人が流れていった。誰かの肩がグレハムの背中に当たって、すみません、と言って去っていった。グレハムは振り向かなかった。振り向けば、その人の顔を見てしまう。それより、この顔を見ていたかった。
やがて、ジャスミンが、花の束を差し出した。手が、まだ少し震えていた。
「これ」
声だった。七年間、一度も聞いたことのない声。思っていたより低くて、少しかすれていた。
「それが私です、って、言ったでしょう」
グレハムは、花を受け取った。
近くで嗅ぐと、家の前の垣根と同じ匂いがした。甘くて、重い匂い。
「うん」
グレハムは言った。
それ以上、言う言葉が見つからなかった。花は花で、顔は顔だった。どちらも今、目の前にあった。
ジャスミンは、下を向いた。
長いあいだ、下を向いていた。肩が、小さく揺れていた。
グレハムは花の束を持ったまま、彼女が顔を上げるのを待っていた。待つのは、得意ではなかった。けれどこの人のためなら、いくらでも待てる気がした。
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