プロローグ 満場一致の人民大会議
【登場人格・人物紹介】
◾️ミツオケラ十三世
ミツオケラ人民党総書記。腸内細菌全体の約7%を占めるという設定の勢力を率いる最高指導者。
「腸内の安定」を掲げ、人民大会議を定期的に開催する。しかし、議案は事前に党が決めており、議会は事実上の追認機関となっている。
口癖は「人民の利益は、党の利益と一致する」。
◾️ブラウティア代表・ブラウ太郎
ファーミキューテス門に属するブラウティア属の代表。
短鎖脂肪酸などの代謝研究で注目される菌群を象徴する人物。世間で流通する「デブ菌」という大ざっぱな分類に疑問を持つ。
「同じ門に属しているからといって、同じ政治的運命を背負わされる理由はない」と主張する理論家。
◾️バクテロイデス代表・バク長老
バクテロイデーテス門を象徴するベテラン代表。
食物由来の成分の分解などに関わる多様な菌群の立場から、党による資源配分の偏りを批判する。
慎重な現実主義者で、革命を急ぐ若手には「政権を倒すことと、明日の食事を確保することは別だ」と説く。
◾️ビフィズス代表・ビフ太郎
腸内の暮らしと安定を大切にする中堅代表。
政治的な争いには距離を置いてきたが、党が「デブ菌」「痩せ菌」という分類を宣伝に利用する様子を見て、疑問を抱き始める。
誰かを倒すことより、異なる菌が共存できる制度を作ることが大切だと考えている。
◾️名無しの七号
小さな菌群を代表する無名の議員。
数も少なく、政治的な影響力もない。だが、公式発表と実際の腸内環境の食い違いを見逃さない。
口癖は「その数字は、誰が測ったのですか」。
◾️議長菌
ミツオケラ人民大会議の議長。公平な議事進行を装うが、党の意向に反する発言には「議題からの逸脱」を理由に制限を加える。
本人は、自分が独裁を支えているとは考えていない。「規則を守っているだけだ」というのが口癖。
◾️松木ひろ子
この物語の舞台となる腸内環境を持つ人間。腸内人民共和国の住民たちからは、巨大な世界の外側にいる存在として認識されている。
彼女の日々の食事や生活の変化が、腸内社会に思いもよらない影響を及ぼす。
※この物語は、フィクションであり、松木ひろ子さん本人の実際の腸内細菌を描写するものではありません。
◾️偉大なる安定の朝
朝七時。
松木ひろ子の世界では、まだ目覚まし時計が鳴っていなかった。
しかし、その内側では、すでに歴史的な一日が始まっていた。
腸内人民共和国の首都、ミクロポリス。
その中央広場には、赤い横断幕が幾重にも張り巡らされている。
横断幕には、金色の文字でこう記されていた。
「人民の安定なくして、腸内の繁栄なし」
その下には、もうひとつ。
「ミツオケラ党の指導なくして、安定なし」
さらに、その下には、少し小さな文字で。
「第百二十七回ミツオケラ人民大会議、盛大に開催」
広場を埋め尽くしていたのは、各地から招集された細菌の代表たちだった。
丸いもの。細長いもの。枝分かれしたもの。ひと目では区別のつかないもの。
彼らは、それぞれ異なる分類に属し、それぞれ異なる生存戦略を持っていた。
しかし、この日ばかりは、全員が同じ方向を向いていた。
壇上に掲げられた、巨大なミツオケラ党の党章である。
午前八時。
荘厳なファンファーレが鳴り響いた。
「総書記閣下、ご入場!」
議場の中央扉が開いた。
ミツオケラ十三世が姿を現す。
その後ろには、党政治局の幹部たちが、寸分違わぬ間隔で並んでいた。
総書記はゆっくりと壇上へ進み、人民の代表たちを見渡した。
そして、満足げにうなずいた。
「同志諸君」
会場が静まり返る。
「本日、我々は、腸内人民共和国の輝かしい安定と、全人民の幸福を確認するため、ここに集まった」
拍手が起こった。
最初に拍手を始めたのは、最前列の党幹部だった。
次に、その隣の代表が拍手した。
さらにその隣が拍手した。
拍手は波のように広がり、やがて議場全体を包み込んだ。
総書記は、両手を上げてそれを制した。
「諸君。私は、諸君の声を聞くために、ここにいる」
拍手が再び起こった。
そのとき、後列に座っていた名無しの七号が、小さく首をかしげた。
隣のビフ太郎に耳打ちする。
「なあ、ビフ太郎さん」
「何だね」
「総書記は、我々の声を聞くために来たと言った」
「そうだな」
「でも、まだ誰も発言していない」
ビフ太郎は、口元に指を当てた。
「七号君。ここでは、そういう疑問は、声に出す前によく考えたほうがいい」
「なぜです?」
「声に出すと、議事録に残るからだ」
「残るなら、いいじゃないですか」
「いや」
ビフ太郎は、壇上を見つめた。
「残らないこともある」
その瞬間、議長菌が壇上に立った。
「ただいまより、第百二十七回ミツオケラ人民大会議を開会する!」
議長が木槌を叩いた。
「本大会議は、人民の自由な意思と、民主的な討議の精神に基づいて運営されるものである!」
再び拍手。
議長は、満足そうに議場を見渡した。
「それでは、第一号議案。『腸内人民共和国の安定と繁栄に関する基本方針』について、審議を開始する」
議場の大型スクリーンに、議案が映し出された。
文章は長かった。
とても長かった。
しかし、内容を要約すれば、こうだった。
第一に、ミツオケラ党の指導体制を堅持する。
第二に、現行の資源配分制度を維持する。
第三に、腸内環境の変化に対しては、党の指導のもとで対応する。
第四に、人民大会議は、これらの方針を全面的に支持する。
名無しの七号は、スクリーンを見つめた。
「……これ、審議する必要がありますか?」
ビフ太郎は、目を閉じた。
「七号君」
「はい」
「君は、まだ大会議というものを理解していない」
「どういうことです?」
「ここでは、議案を決めるために会議をするのではない」
ビフ太郎は、声を落とした。
「決まっていることを、会議で決まったことにするために、会議をするんだ」
七号は、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「それって、会議なんですか?」
ビフ太郎は答えなかった。
答えなくても、答えは明らかだったからだ。
第二章 七%の正統性
「それでは、総書記閣下による基調演説をお願いします!」
議長菌の声が、議場に響き渡った。
ミツオケラ十三世が演壇に立った。
その背後には、党の旗が掲げられている。
総書記は、用意された原稿をゆっくりと開いた。
「同志諸君。我がミツオケラ党は、腸内人民共和国の歴史において、重要な役割を果たしてきた」
スクリーンに、巨大な数字が映し出された。
7%
議場がどよめいた。
「この数字を見たまえ!」
総書記の声が、ひときわ大きくなった。
「我々は、腸内細菌全体の約七%を占める!」
拍手が起こった。
「七%!」
総書記は、右手を高く掲げた。
「我々は七%である。しかし、我々の責任は七%ではない!」
拍手が強くなった。
「我々の歴史的使命は、七%を超えている!」
さらに拍手。
「我々の指導力は、七%では測れない!」
万雷の拍手。
総書記は、ゆっくりとうなずいた。
その演説を、バク長老は無表情で聞いていた。
やがて、隣のブラウ太郎にささやいた。
「なあ、ブラウ太郎君」
「はい」
「七%という数字は、いつから政治的な資格になったんだろうな」
ブラウ太郎は、少し考えた。
「さあ。しかし、少なくとも、分類学の教科書には載っていません」
「そうだろうな」
バク長老は、鼻先を少し動かした。
「我々は、菌の分類によって区別される。だが、政治的な権利まで分類によって決められるとは限らない」
「それを、ここで言えますか?」
「言えないから、君に話している」
二人は、壇上を見つめた。
総書記の演説は、まだ続いていた。
「我が党は、人民の生活を守る。人民の安定を守る。そして、人民が安心して暮らせる腸内環境を守る!」
総書記は、演説の最後に、こう宣言した。
「したがって、我が党の指導体制を変更する必要は、一切ない!」
議場が揺れた。
拍手。
歓声。
起立。
議長菌が木槌を叩いた。
「偉大なる演説でありました!」
そして、次の瞬間。
「それでは、第一号議案の採決に移ります!」
名無しの七号は、思わず顔を上げた。
「えっ。もう?」
ビフ太郎が、静かに言った。
「演説は終わった。採決の時間だ」
「でも、誰も質問していません」
「そのとおりだ」
「反対意見も出ていません」
「そのとおりだ」
「じゃあ、何を審議したんですか?」
ビフ太郎は、深く息を吐いた。
「それを今、考えているところだ」
第三章 満場一致という奇跡
「第一号議案に賛成の代表は、起立してください!」
議長菌が宣言した。
代表たちが立ち上がった。
前列。
中列。
後列。
ほとんど全員が立った。
いや、全員だった。
議長菌は、議場を見渡した。
「賛成、全会一致!」
拍手が起こった。
総書記は、満足げにうなずいた。
「これこそ、人民の総意である!」
そのときだった。
「議長」
小さな声が聞こえた。
議長菌は、声のした方向を見た。
「発言者は?」
名無しの七号が、ゆっくりと立ち上がった。
「名無しの七号です」
議場がざわついた。
「発言を許可する」
議長菌は、少しだけ眉を動かした。
「ただし、議題に関連する発言に限る」
「はい」
七号は、まっすぐに壇上を見た。
「質問があります」
「述べなさい」
「先ほどの採決についてです」
「うむ」
「全会一致ということは、全員が賛成したということですね?」
「そのとおりだ」
「では、反対したい代表が一人もいなかったということですね?」
「そのとおりだ」
「それは、どうやって確認したのですか?」
議場が静まり返った。
議長菌は、しばらく答えなかった。
「……挙手と起立によって確認した」
「では、反対したいと思っていても、立ち上がらなかった代表がいた場合は?」
「そのような代表はいない」
「なぜ、いないと分かるのですか?」
議長菌の木槌が、机の上で止まった。
総書記は、演壇の上から七号を見つめていた。
七号は、さらに続けた。
「私は、反対意見を出すべきだと言っているのではありません」
議場のあちこちで、小さな動きが起きた。
「ただ、全員が賛成したということと、全員が自由に意思を示せたということは、同じではないのではありませんか?」
沈黙。
長い沈黙だった。
やがて、議長菌が口を開いた。
「発言は、議題の範囲を超えている」
「そうですか」
「本大会議は、第一号議案を審議している」
「はい」
「採決は、すでに終了した」
「はい」
「したがって、この件に関する討議は終了している」
七号は、ゆっくりとうなずいた。
「分かりました」
彼は席に戻ろうとした。
しかし、その直前に、もう一度だけ振り返った。
「では、議長」
「何だ」
「今の私の発言は、議事録に残りますか?」
議長菌は、答えなかった。
その代わり、総書記が口を開いた。
「もちろんだ」
議場の空気が変わった。
「我が人民大会議は、あらゆる意見に耳を傾ける。批判も、疑問も、建設的な提案も、すべて歓迎する」
総書記は、笑顔を浮かべた。
「ただし、それらの意見は、人民の安定と繁栄に資するものでなければならない」
七号は、静かに尋ねた。
「その判断は、誰がするのですか?」
総書記の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。
議場の誰もが、その一瞬を見ていた。
そして、議長菌が、慌てて木槌を叩いた。
「本日の第一号議案は、全会一致で可決された!」
拍手が起こった。
だが、先ほどまでの拍手とは、少し違っていた。
拍手をしている者たちの中に、手を動かしながら、壇上を見つめている者がいた。
隣の代表の様子をうかがっている者がいた。
そして、拍手をすることを忘れた者もいた。
総書記は、そうした小さな変化を見逃さなかった。
七%。
たった七%。
それでも、この巨大な腸内人民共和国を動かしてきたのは、自分たちだ。
総書記は、心の中でつぶやいた。
――人民が、我々を必要としている限り、我々の支配は続く。
しかし、その日の議事録には、これまで存在しなかった一文が記録されることになった。
名無しの七号による質問。
「全会一致は、全員の自由な意思を意味するのか」
その一文が、後にどのような意味を持つことになるのか。
このとき、まだ誰も知らなかった。
ただひとつ確かなことがあった。
ミツオケラ人民大会議は、この日も無事に閉会した。
そして、腸内人民共和国は、何事もなかったかのように動き続けた。
松木ひろ子が、朝食を口にするまでは。




