第六話:評価圏外
少女の笑みが、少しだけ深くなる。
「いいとこ、連れてくよ」
連れてこられたのは――地下だった。
高層都市の下。
光のあまり届かない層。
だが、完全な闇じゃない。
ネオンみたいな光が、不規則に点滅している。
音もある。ざらついた、人間っぽい雑音。
「……なんだここ」
「“未最適化区域”」
「は?」
「簡単に言うと――」
少女は肩をすくめる。
「ちゃんとした社会から、弾かれた場所」
やがて、景色が変わる。
光が、薄くなる。
整いすぎていた世界が、少しずつ“崩れていく”。
「……ずいぶん、雰囲気変わるな」
「ここから先、“評価が届かない”」
「評価、ね」
その言葉にも、もう違和感はなかった。
さらに進む。
そして――
「……なんだ、これ」
前方。
空気が、歪んでいた。
見えるはずの地形が、揺らいでいる。
映像のノイズみたいに、現実が不安定になる。
「境界だよ」
ノアが、静かに言う。
「システムの外」
その境界を越えた瞬間――
ノイズ。
視界が、ぶれる。
音が、一瞬だけ消える。
そして。
――世界が、変わった。
ネオンみたいな光が無数にある。
建物は崩れ、鉄骨は剥き出しで、そこに植物が絡みついている。
錆びた匂い。湿った土の匂い。
だからこそ――
「……生きてるな」
思わず、そう呟いた。
ノアが、わずかにこちらを見る。
「そう感じるんだ」
「ああ」
少しだけ、笑う。
「さっきまでの世界よりな」
そのとき。
「……人だ」
遠くに、影が動いた。
確かに。
“人間”がいた。
ノアが、息を呑む。
「ほんとに……」
その瞬間。
「止まれ」
低い声。
気づけば――囲まれていた。
銃。
旧式だが、実弾。
この世界じゃ、逆にリアルだ。
「誰だ、お前ら」
男が、睨む。
俺は、ゆっくりと手を上げた。
「……通りすがりだ」
少し考えて、続ける。
「百年前からな」
沈黙。
男の眉が、わずかに動く。
「……嘘だな」
「だろうな」
俺は笑った。
「でも、あんたらもわかってるだろ」
一歩、前に出る。
「この世界が、まともじゃないってことくらいは」
風が、吹く。
錆の匂い。
土の匂い。
“生きている”匂い。
男はしばらく俺を見て――
銃を、少しだけ下げた。
「……ついてこい」
崩れた街の奥へ。
そこには――
焚き火。
粗末な家。
子供。
そして。
“評価されていない人間たち”が、生きていた。
「ここが、俺たちの街だ」
男が言う。
俺は、その光景を見て――
ゆっくりと、息を吐いた。
「……悪くねえな」
ノアが、小さく息を漏らす。
「こんな場所、存在するなんて」
「してるだろ、今」
そのとき。
「ねえ」
小さな声。
振り向くと、子供が一人立っていた。
八歳くらいか。
痩せているが、目だけが妙に強い。
「おじさん、どこから来たの?」
言葉が、少し詰まる。
百年前。
冷凍保存。
崩壊した価値。
どれも、この子には関係ない。
「遠いところからだ」
そう答えると、子供は首をかしげた。
「遠いって、どれくらい?」
ノアが、くすっと笑う。
「この子にとってはね、あの丘の向こうくらいだよ」
確かに。
この世界の“距離”は、狭い。
子供は、じっと俺を見る。
「外って、ほんとにあるの?」
胸が、わずかに痛む。
「ああ」
即答だった。
「広い空も、高い建物も、人が溢れてる場所もな」
子供の目が、少しだけ輝く。
「……見てみたいな」
その一言が、やけに重い。
集落の奥。
子供たちが、木の板に何かを描いている。
「何してるんだ?」
近くの少女が答える。
「“世界”の絵」
覗き込む。
そこにあるのは――
歪んだ空。
崩れた建物。
そして、小さな円。
「これ、なんだ?」
「ここ」
少女は、自分たちの場所を指した。
その外は――何もない。
「外は?」
少女は少し考えてから言う。
「わからない」
ノアが、静かに呟く。
「……“存在しない世界”になってる」
別の子供が、俺の服を引いた。
「ねえ」
「ん?」
「“名前”ってなに?」
一瞬、思考が止まる。
「名前……?」
「うん」
その子は、笑う。
「ここ、みんな呼び方バラバラだから」
背筋が、冷える。
「決まってないのか?」
子供たちは顔を見合わせる。
「必要ないよ?」
当然みたいに言う。
「少ないし、わかるし」
ノアが、目を伏せる。
「……識別されてないから、“固定名”がない」
俺は、ゆっくりしゃがむ。
「じゃあさ」
目の前の子供を見る。
「つけるか?」
「なにを?」
「名前」
ざわめきが広がる。
「いいの?」
「作っていいの?」
胸が、締めつけられる。
「いいに決まってるだろ」
少し考えて――
「……ソラ」
最初の子供を見る。
「お前は、ソラだ」
子供は、ぽかんとして――
ゆっくり笑った。
「ソラ……」
何度も繰り返す。
「ぼく、ソラ」
その瞬間。
この場所に、“何か”が生まれた。
「ぼくも!」
「わたしも!」
次々と、集まってくる。
名前をつける。
一人ずつ。
それは――
世界を広げる行為だった。
ノアが、少し離れてそれを見ている。
「ねえ」
声をかける。
「なんだよ、その顔」
ノアは、少しだけ笑う。
「……想定外」
「何が」
「管理されてない人間が、こんなふうに広がるなんて」
子供たちの笑い声が響く。
記録もされない。
評価もされない。
それでも――
確かに、“生きている音”。
その夜。
焚き火の前。
ソラが、隣に座る。
「ねえ」
「なんだ」
「外の世界、ほんとにあるんだよね?」
俺は、空を見上げる。
曇り空の向こう。
見えない、広い世界。
「ああ」
そして、少しだけ間を置いて――
「でもな」
ソラを見る。
「ここも、“世界”だ」
ソラは考えて――
「じゃあ、二つあるんだ」
思わず、笑う。
「そうだな」
二つの世界。
管理された世界と。
管理されていない世界。
そして、その間にいる――俺たち。
価値が支配する世界で。
評価されない場所で。
俺は――
初めて、“名前を与える側”になった。




