第九十九話 甘き王の決断
――八番領地を従属化しない。
俺のその宣言に、エリュシオンの会議室は水を打ったように静まり返った。
窓から柔らかな陽光が差し込む昼下がりだというのに、室内には重苦しい空気が沈殿していく。
「……理由を……聞いてもよいかの?」
イマリは胸の内に湧き上がる動揺や怒りを押し殺すように、慎重に言葉を選びながら問いかけてきた。
「簡単な話だ。“今の”八番領地とは、共に歩んでいけない。それだけだ」
短く答える。
するとイマリは、机の下で小さな拳をぎゅっと握り締めた。
「俺の目標は、この島を統一して、“神”とやらに会ってぶん殴ることだ。……まぁ、統一したから会えるのかは知らないけどな」
改めて、俺は皆に宣言する。
「統一を掲げる以上、これから先、俺はたくさんの命を奪うことになると思う。この世界の人間も……そしてもちろん、“元いた世界”の同郷の皆も」
その言葉に、カワナミさんの肩が小さく震えた。
彼女は俯き、苦しげに視線を落とす。
――彼女の優しさは、きっと俺がこれから進もうとしている道とは相容れない。
この先、何度も繰り返されるであろう“同郷同士の殺し合い”。
彼女はきっと、それに耐えられない。
イマリがちらりとカワナミさんを見る。
その横顔は、まるで心優しい妹を案じる姉そのものだった。
「確かなことは言えません。ですが、いずれはこちらから従属を願い出る日が来るかもしれない。……ただ、今はその時ではない。そう判断しました」
そう締めくくると、俺はまずリオデルカへ視線を向けた。
「なるほどの。陛下の考えは理解した」
リオデルカは大きく頷く。
そして一呼吸置き、低く言った。
「甘いな。実に甘い。労せずして領土を得られ、さらにサブクラス持ちまで取り込める絶好の機会だというのに」
その言葉に、俺は静かに俯いた。
だが、次の瞬間――
「だが、ワシはその結論を支持する」
思わず顔を上げる。
「良いではないか。友の心を守るために出した答えなのだろう? ワシはそういうの、嫌いではないのでな」
リオデルカは豪快に笑いながら、こちらを見る。
その言葉に、カワナミさんは何かに気づいたように顔を上げ、リオデルカと俺を交互に見つめた。
「つまり、ワシも大概な甘ちゃんということだな」
そう言って、彼は愉快そうに笑い飛ばす。
「さて、皆はどうじゃ? 陛下の結論に異論はあるか?」
今度はリオデルカが、会議室の皆へ問いかけた。
一瞬の静寂。
だが、それを破ったのはミスラだった。
「まぁ、しょうがないわね。タイシが決めたことだし、付き合ってあげるわよ」
呆れたように肩を竦めながらも、その顔には笑みが浮かんでいる。
「私も、リオデルカ様と同意見ですね。甘いとは思いますが……悪くない。そんなところでしょうか」
アランも静かに賛同し、どこか満足そうにこちらを見る。
「そうですわね。まぁ、これが陛下らしいですわ!」
リンウェルも父に続いて明るく頷いた。
会議室にいた者達も、上位者達の意見に続くように次々と頷き、反対の声は上がらなかった。
「ふむ。では、リベリオンとしての結論は決まったようじゃな。……カワナミ殿、イマリ殿。お主達からは何かあるか?」
場をまとめるように、リオデルカが二人へ視線を向ける。
だが、カワナミさんはまだ呆然としたまま俺を見つめていた。
「こちらは……お願いする立場じゃ。それを断られたのなら……何も言うことはない」
代わりに答えたイマリの声には、怒りすらなかった。
ただ、張り詰めていた糸が切れてしまったような、深い落胆だけが滲んでいた。
「うむ。では、いったん休憩とするかの。九番領地への対応は、その後に話し合おうぞ」
リオデルカがそう締めくくると、皆はそれぞれ席を立ち、休憩のため部屋をあとにしていく。
去っていくカワナミさんとイマリの背中は、どこかひどく小さく見えた。
やがて会議室には、俺とリオデルカ、ミスラ、アランだけが残る。
給仕された茶と茶菓子に手をつけながら、アランが静かに口を開いた。
「しかし、本当に良かったのですか? 陛下」
その問いは当然、八番領地を従属させなかった件についてだ。
「はい。カワナミさんと話して、決めました」
「彼女は、何と?」
「自分を殺して、領地を完全支配した方がずっと簡単だと……そう言われました」
カワナミさんが目を覚ましたあの日の言葉を、俺は簡潔に伝える。
その瞬間、リオデルカ以外の二人が目を見開いた。
「なんと……」
「まったく……どいつもこいつも……タイシの気持ちも知らないで……」
アランは絶句し、ミスラは腹立たしげに頬を膨らませる。
「ありがとう、ミスラ」
礼を言うと、俺は視線をカップへ落とした。
「俺は……彼女には生きていてほしいんです。アサヒナさんのためにも……」
湯気の立つ茶を見つめながら、ぽつりと零す。
「俺達の進む道に付き合わせれば……彼女の心は、いずれ壊れていく」
「そして、最後には自ら命を絶つ」
リオデルカが腕を組み、目を閉じたまま最悪の未来を口にした。
「……はい」
短く頷く。
ミスラは俯き、アランもまた黙って考え込んでいた。
四人だけになった会議室には、再び重い沈黙が落ちる。
誰も言葉を発さないまま、茶から立ち上る湯気だけが静かに揺れていた。
――だが。
「まぁ、それはそれとして、陛下」
その空気を切り替えるように、アランがわざとらしく咳払いをした。
「我が娘とはいかがですかな? 既に正妻であるミスラ様とは、“既成事実”までお作りになったのでしょう? ならばそろそろ、我が娘とも――」
「ぐはっ!?」
鋭い肘打ちが、アランの脇腹へ突き刺さった。
「クロフォード卿。何かおっしゃいまして?」
ミスラは淑女らしい完璧な笑みを浮かべている。
だが、その目はまったく笑っていなかった。
「はっはっはっは!」
リオデルカが腹を抱えて笑い出す。
「そうだ、陛下。お主とミスラの婚姻をリベリオン中へ知らせたところ、自分達も正式に夫婦となりたい、という声がいくつも上がっておるぞ」
「ええ。アレースでも同じような話が出ています」
脇腹を押さえながら、アランも続けた。
「そうなんですか?」
「ああ。皆、この世界でも逞しく生きておるということだな」
「……そうですね」
俺は、リベリオンで暮らす人々の姿を思い浮かべる。
失ったものは多い。
それでも皆、この世界で生きていこうとしている。
「早急に、戸籍のような制度を整えなければなりませんね」
アランの言葉に、俺達は頷いた。
先ほどまで胸を覆っていた重苦しさは、領民達のそんな前向きな話題によって、少しだけ和らいでいた。
窓の外では、柔らかな午後の日差しがエリュシオンの街を照らしている。
この世界は過酷だ。
多くのものを奪われ、望まぬ戦いを強いられ、それでも人は、誰かと共に生きる未来を選ぼうとしている。
ならば、俺が作るべき国も――人が自らの生き方を選べる場所でありたい。
支配することだけが、国を導くことではない。
誰かと寄り添い、生きていこうとする願いを守ること。
それもまた、王である俺が果たすべき役目なのだろう。




