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第百話 折れた心、その先へ

「イマリちゃん……ごめんね……私のせいで……」



エリュシオン城内に用意された、二人専用の部屋。


その静かな室内で、サクラは申し訳なさそうにイマリへ頭を下げていた。



「気にするでない。姫のせいではない」



イマリは柔らかく微笑みながら答える。



「しかし、姫の友達――あの若き王は、ずいぶんと優しい性格をしておるようじゃな」



その声音には、わずかに皮肉が混じっていた。


従属の提案を断られたことで、この先の展開が読めなくなったのは事実だ。


イマリの胸中は、決して穏やかではない。



「そうだね……あんまり喋ったことはなかったけど、雰囲気は優しそうだった」



だが、サクラはその棘に気づかない。


日本にいた頃のアサヒ タイシの印象を、素直に口にした。



「私は……どうしたらいいんだろ……」



用意された椅子へ腰を下ろし、膝の上で手を重ねながら俯くサクラ。


その姿を見ながら、イマリは感じていた。


――この娘はもう、自分が何をすべきか分かっている。


ただ、その一歩を踏み出せずにいるだけなのだと。



「……姫は、どうしたいのじゃ?」



イマリはできるだけ心を静め、優しい声で問いかける。



「私が……どうしたいか……」



サクラはその言葉を反芻し、自らの胸へ問いかけるように目を伏せた。



「私は……やっぱり……戦いたく、ない」



絞り出すような声だった。



「そうか……」



「でも……そんなわがままが通らないことも、分かってる」



「……」



イマリは黙って耳を傾ける。



「一歩……踏み出す勇気がほしい……」



それは、心の底から零れ落ちた願いだった。


その言葉に、イマリは思わず目を丸くする。


知らぬ土地。


知らぬ人々。


そして目の前で繰り広げられる、命を懸けたデスゲーム。


年頃の心優しい少女には、あまりにも過酷な環境だった。


だからイマリは、サクラの心はとうに折れてしまったものだと思っていた。


――だが、違った。


いや、確かに一度は折れていたのだろう。


それでも今、サクラの言葉は確かに示していた。


砕けたはずの心が、再び繋がろうとしていることを。



(危険を冒してでも、アサヒ タイシに会わせたのは正解じゃったな……)



イマリは心の中でそう呟くと、ゆっくりと口を開いた。



「例えば……そう、例えばの話じゃが……」



その言葉に、サクラは顔を上げる。



「若き王は、この島を統一し、神に会うことが“目的”だと言っておったな」



「そう……だね」



「じゃがワシは、その目的の根幹にあるのは、短い期間とはいえ生死を共にしてきた仲間……そして、あやつを王と認めてくれた領民達への想いじゃと思っておる」



イマリは真っ直ぐサクラを見つめながら言った。



「仲間や領民のため……」



「そうじゃ。端的に言えば、あやつは甘ちゃんじゃ。だが同時に、王の器でもあったということじゃな」



イマリはわずかに頬を緩める。



「それにな、姫も分かっておろうが……今回、従属を断られたのも、姫の“心”のためじゃ」



「……うん」



サクラは小さく頷き、再び視線を落とした。



「要するに、あやつが何かを決断する時、そこには必ず“誰か”がおるのじゃ」



「“誰か”のため……」



「そうじゃ。その想いこそが、あやつを突き動かしておるのやもしれん」



イマリは静かに続ける。



「もちろん、その結果として守れた命もあれば、守れなかった命もあるじゃろう。じゃが、それでもあやつは歩みを止めん。決断することから逃げんのじゃ」



サクラは再び顔を上げ、イマリを見る。



「姫だってそうじゃ。七番領地の領主――アサヒナ カエデと戦う決断をしたではないか」



「でも……あれは……」



「うむ。七番領地の“無力化”が目的じゃった。その上で、従属させようとしておった」



「……うん」



「じゃが姫も、本当に上手くいかなければ戦いになることは、分かっておったじゃろ?」



「……うん」



「では、なぜ戦う決断をした?」



「それは……これ以上、戦いたくなかったからで……」



サクラは戸惑いながら答える。


するとイマリは、小さく笑った。



「そうじゃ。お主は、これ以上兵士達に被害を出したくなかった。兵士達のために、“戦う決断”をしたのじゃ」



「……」



「見てみい。お主にだって、“誰か”のために立ち上がる勇気があるではないか」



サクラは目を見開く。



「いろいろありすぎて、それを忘れてしまっておっただけなんじゃよ」



イマリは優しく微笑んだ。



「だから、まずは身近な者のために立ち上がってみるとよい」



「身近な者……」



「そうじゃ。例えば、今の八番領地は九番領地に支配されておる。領主邸でお主と仲良くしておったメイド連中もな……あやつらを助けてやればよい。その力がお主にはあるのじゃから」



「……そこはジラールさん達じゃないんだ……」



この部屋に戻ってから初めて、苦笑いではあるが、サクラの口元に笑みが浮かんだ。



「あやつらは、放っておいても死なん」



イマリは肩をすくめた。


サクラは少し遠くを見るような目をして、何かを考え込む。


イマリは、その沈黙を邪魔しなかった。


部屋の中に静かな時間が流れる。


やがて――


サクラはゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐイマリを見た。



「イマリちゃん。次の会議では、まず私に話させて」



その瞳には、先ほどまでの怯えがなかった。



「上手くできるかは……分からないけど」



イマリはわずかに目を見開く。


重要な場で、まだ心の傷が癒えていないサクラに発言させるのは、危険かもしれない。


だが不思議と、今のサクラなら大丈夫な気がした。


なぜなら、その目は迷いに沈んだ者の目ではなく――


何かを決断した者の目、そのものだったからだ。



「……分かった」



イマリは静かに頷いた。


――その時。



コンコン。



部屋の扉を叩く、小さな音が響く。



「……失礼、します……です」



扉をそっと開け、小柄な少女――アリアが顔を覗かせた。



「そろそろ……会議……再開、です」



たどたどしくも、一生懸命な声だった。



「そうか。礼を言うぞ、小さきメイドよ」



イマリは優しく応じる。


そして背後のサクラへ声をかけようと振り返った、その時だった。



「じゃあ、行こっか。イマリちゃん」



サクラはそう言うと、イマリの横を通り過ぎ、先ほどまでとは違う確かな足取りで部屋を出ていく。



「お、おう……」



あまりの変わりように、イマリは思わず気後れした返事を漏らした。



(こうも見違えるものか……まったく、年頃の娘というのは難しいのう)



感心半分。


そして、わずかな危うさ半分。


そんな複雑な想いを抱きながら、イマリはサクラの後を追う。


それでも、彼女を止めようとは思わなかった。


会議室へ向かう廊下を真っ直ぐ歩いていくその背中は、先ほどまでの頼りない少女のものではない。


誰かのために、自らの意志で一歩を踏み出した者の背中だった。


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