第九十二話 曇天の会議室
「なるほど……それで、我々の庇護下に入りたい。そういうことですね?」
翌日。
俺たちは、エリュシオン城の会議室に集まっていた。
昼前だというのに、窓の外には重たい雲が垂れ込めている。
湿気を含んだ空気が室内にまで染み込み、広い会議室には妙な圧迫感が漂っていた。
「まぁ、そんなところじゃな」
イマリはいつも通り飄々とした態度で答える。
会議室には、いつもの面々に加え、彼女の姿もあった。
「しかし、その“庇護下に入る”という件も、あなたの独断だと?」
デンスが静かに問いかける。
「まぁ、そんなところじゃ」
短く返すイマリ。
そのやり取りは、一見すれば穏やかだった。
だが、少しずつ――本当に少しずつ、空気が張り詰めていくのがわかった。
「我々が八番領地を従属化するメリットが、現状見当たりませんな」
デンスのその言葉に、イマリの口元がわずかに吊り上がる。
「ほう? 大国エリュシオンの宰相ともあろうお主が、そんなことも分からぬと?」
挑発的な声音だった。
会議室の空気が、さらに一段冷える。
「ええ。分かりませんね」
だが、デンスも退かなかった。
「不可侵条約があろうとも、それはあくまで“領地間”での話。
今、八番領主――カワナミ・サクラは我が領地内にいる。
不可侵条約の適用外と捉えるのが自然でしょう」
「なるほど」
イマリは目を細める。
「お主は、我々を従えるのに従属化などという面倒な手順は踏まず、姫様を屠ってしまえば済む、と。そう言いたいわけじゃな?」
その瞬間、イマリの目つきが変わった。
先ほどまでの軽い笑みは消え、まるで敵を見るような鋭い視線へと変わる。
「ええ」
デンスは表情一つ変えない。
「実際、従属化について判明しているのは、“従属側の領主が逆らえなくなる”というルールのみ。それ以外の詳細は不明ですからね」
「……お主の考えにも、一理あるのう」
だが意外なことに、イマリは敵意を収めた。
代わりに浮かべたのは、どこか人を試すような笑み。
「この島はなんでもありじゃ。お主のような非人道的な考え方も、“戦略”として見れば間違いではなかろう」
「……」
「しかし――そんなこと、本当にお主たちにできるかのう?」
イマリは、ゆっくりと会議室を見渡した。
「この場には、曲がりなりにも“シルフィード王国の聖女”と呼ばれるミスラ・シルフィード殿下がおる。
そして、そのシルフィード王国の重鎮、クロフォード伯爵家のご息女もな」
そう言って、並んで座るミスラとリンウェルへ視線を向ける。
「さらに、この地を南へ行った先の街を治めるのは、その重鎮本人――アラン・クロフォード。
そして西には、かの賢王リオデルカ・アストロガルドがおる」
デンスは沈黙したままだった。
「これほど各国中枢の、それも人格者ばかりが揃った中で――“助けを求めてきた相手”を切り捨てる真似が、お主たちにできるかのう?」
イマリは、楽しそうに笑っていた。
「ああ、そうじゃったな」
ふと思い出したように、彼女は付け加える。
「お主には、既に“経験”があったな。“血塗られた軍師”殿」
(血塗られた軍師……?)
その呼び名がデンスに放たれた瞬間、会議室は静まり返った。
俺を含め、誰もその意味を理解できていない。
同じアストロガルド帝国出身のイリスでさえ、困惑した表情を浮かべていた。
だが当のデンスは、表情を変えない。
ただ無言で、イマリを見据えている。
俺は、これ以上空気が悪化する前に話を切り上げることにした。
「とにかくだ」
全員の視線が俺へ集まる。
「この件は、俺一人で決めるべきじゃないと思ってる。
今、リオさんとアランさんにもこちらへ向かってもらってる最中だ」
俺は皆を見回した。
「二人が合流してから、最終的な結論を出したい。
それまでに、それぞれこの話をどう考えるか整理しておいてくれ」
皆が静かに頷く。
「シェリー、リリィ。悪いけど、引き続きイマリとカワナミさんのことを頼む」
「承知しました」
「わかっ……わかりました!」
リリィが少し慌てたように言い直して返事をする。
「では、この場は解散とする」
俺がそう告げると、皆は席を立ち、一礼して会議室を後にしていった。
だが俺は、その背中に向かって声をかける。
「ミスラ、イマリ。悪いけど二人は残ってくれ」
二人は無言のまま再び席へ座り直した。
扉が閉まり、会議室に俺たちだけが残る。
それを確認してから、俺は口を開いた。
「さて、二人に残ってもらったのは、イマリに聞きたいことがあってな」
「ん? なんじゃ?」
イマリは頬杖をつきながら笑う。
「さっき、デンスを“血塗られた軍師”と呼んだことか? あれは少し言い過ぎたのう。ワシも頭に血が上っておった」
そう言って肩を竦める。
「詳しく知りたいなら、ワシよりリオデルカ殿に聞く方が良いぞ」
(確かに気にはなる……けど、今はそれじゃない)
「ああ、それも気になるが……」
俺は一度頷く。
「今聞きたいのは、お前の所属していた“宵闇の烏”についてだ」
その言葉に、ミスラがわずかに目を見開いた。
「俺はこの世界の国々や組織について、ほとんど知識がない。だから、ミスラにも残ってもらった」
「まったく……ハウンドと言い、物騒な話ばかりね」
ミスラが呆れたように呟く。
「そういえば昨日、“あとで説明する”と言ったきりじゃったな」
「ああ」
「しょうがないのう」
イマリは小さく息を吐き、語り始めた。
「宵闇の烏は、瑞穂国の諜報組織の一つじゃ。“工作”に特化しておる」
「工作……」
俺は腕を組む。
「ああ。一口に工作と言っても様々じゃ」
イマリは指を折りながら続ける。
「政治、世論、宗教を瑞穂に有利な方向へ誘導する“影響力工作”」
「協力者の獲得。あるいは、標的と男女の関係を持って破滅させる“人的工作”」
なるほど、と俺は思った。
イマリの話しぶりは堂々としていて、人心掌握にも長けている。
それに、この世界でも異質さを放つ和装、艶やかな黒髪、白い肌。そして整い過ぎるほど整った顔立ち。
確かに、いわゆる“ハニートラップ”にはうってつけだ。
「だが――」
イマリは口元を歪める。
「我々が最も得意とするのは、“破壊工作”じゃ」
「破壊工作?」
「ああ。敵施設の物理的破壊。敵国内で暴動や内紛を煽る扇動。果ては暗殺までのう」
「……なるほどな」
妙に納得してしまった。
「お主のメイドと似たようなものじゃよ」
イマリがニヤリと笑う。
「私が知っている話も、だいたいそんなところね」
ミスラはイマリを睨みながら言った。
「そんな怖い顔をするでない、ミスラよ。お主の国の担当はワシではなかったぞ?」
イマリは降参するように両手を上げる。
「……何かあったのか?」
俺が尋ねると、ミスラは少し嫌そうな顔をした。
「昔ね……兄さまにちょっかいをかけてきた瑞穂の女がいたのよ」
「兄さんって、お前が慕ってた?」
「ええ」
ミスラは静かに頷く。
「兄さんはそんな下品な女、相手にもしていなかったけど……その女、他にも国の重鎮たちと関係を持っていてね。その後、一斉粛清が起きたの」
そう言って、深いため息を吐く。
「……ああ……」
俺はなんとも言えない気持ちになった。
男として、引っかかった重鎮たちの気持ちが、少しだけ理解できてしまったからだ。
「そういえば、その女――マユリもこちらへ来ておるぞ」
「なっ……んですって!?」
ミスラが勢いよく立ち上がる。
その拍子に椅子が派手な音を立てて倒れた。
「まぁ、どこにいるかまでは知らんがな」
イマリは面白そうに笑う。
ミスラの周囲に、どこかどす黒い空気が漂った気がした。
「と、とにかく話を戻すぞ!」
俺は慌てて軌道修正する。
「つまり、お前はその特技を使って、うちの情報もかなり把握してたってわけか?」
「ん? まぁそうじゃな」
イマリはあっさり頷く。
「アテーナのリオデルカについては言うまでもない。お主の国を含む各領地の領主、代官連中の情報も、自前で拾っておる」
「そうか……」
会議室には、ミスラが椅子を直して座り直す音だけが響いた。
――コンコン。
その時、会議室の扉がノックされる。
「どうぞ」
俺は反射的に返事をした。
「し、失礼……します、です……」
扉の隙間から顔を覗かせたのは、アリアだった。
「どうした、アリア?」
「あの……お姉さんが……起きた、です……」
アリアはもじもじしながら言う。
「お姉さん?」
「はい、です。シェリー様が……王様を呼んできてって……」
その言葉だけで、俺たちは察した。
カワナミさんが目を覚ましたのだ。
その瞬間。
厚い雲に覆われていた窓の外から、わずかに陽光が差し込み、会議室の床を淡く照らした。




