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第八十八話 ゾーイ・アレクサ

森の湿った静寂の中、少女はただそこに立っていた。


足元には、つい数分前までこの森の捕食者だったはずの巨躯が二つ、物言わぬ肉塊となって転がっている。


それを沈めたのは――彼女の手に握られた、どこにでもあるような枯れ枝だった。



「あなた……何者なの?」



リリィが警戒を滲ませた声で問いかける。


少女は、きょとんとした顔でこちらを見返した。



「ん? アタシか?」



その無防備な声音に反して、彼女の周囲にはまだ戦闘の余韻が残っている。


リリィは双短剣を構えたまま、一歩も引かなかった。



「アタシは、ゾーイ・アレクサ! エリュシオンの鍛冶職人だぞ!」



少女――ゾーイは胸を張って名乗った。



「エリュシオンの? ってことは、ガンツさんの……」



「おっ! じっちゃんのこと知ってるのか?」



「……じっちゃん?」



俺は思わず聞き返す。



「ああ! アタシがここに来た時、ずっと面倒見てくれたんだ!」



そう言って笑う彼女の顔は、年相応の少女そのものだった。



「そうだったのか……」



俺はその笑顔を見ながら、小さく息を吐く。


(みんな、そうやって誰かに救われてきたんだな……)



「ねぇ! あなた!」



いつの間にか警戒を解いたリリィが、ずいっとゾーイに詰め寄った。



「ん?」



「さっきのどうやったの!? 棒でズバって! ダダッて!」



「リリィちゃん……説明が……抽象的すぎ……です……」



アリアが困ったように肩を落とす。



「さっきの? あー、あれか!」



ゾーイはけらけら笑いながら、手に持った枝を振ってみせる。


俺は三人のちぐはぐな会話を聞きながら、近くの切り株へ腰を下ろした。


そして、そっとゾーイへ視線を向ける。



(おそらく……)



左目に無機質な文字列が浮かび上がった。



---

ゾーイ・アレクサ

クラス:鍛冶師

サブクラス:ソルジャー


ステータス

STR 3 VIT 3 DEX 2 AGI 2 INT 2 EXP 1

---



(やっぱりか……)



新たなサブクラス持ち。


本来なら、飛び上がって喜ぶべきことなのかもしれない。


だが、胸に浮かんだのは歓喜ではなかった。


目の前にいるのは、リリィやアリアとそう年の変わらない少女だ。


しかも彼女は、既に自分の居場所を見つけている。


鍛冶師として働き、誰かに必要とされ、笑って生きている。



(このまま黙っていれば……エリュシオンで彼女のサブクラスが知られることもない……か)



気づけば三人は、先ほど倒した魔物の解体を始めていた。


どうやら、素材として使える部分があるらしい。


骨を断つ鈍い音と、血の匂いが森に広がる。


やはり、この世界の住人は逞しい。


俺はその光景から目を逸らすように空を見上げた。



(どうしたもんかねぇ……)



視界いっぱいに広がる空は、俺の迷いとは裏腹に、雲ひとつない青さを見せていた。



「タイシ!」



名前を呼ばれて前を向く。


リリィがぶんぶんと手を振りながら駆け寄ってきた。



「何してるのよ! 薬草取りに行くわよ!」



その背後では、アリアとゾーイが待っている。



「お、おう……ゾーイも行くのか?」



「せっかく会ったんだしな! 今度はアタシも手伝うぞ!」



彼女は腕を組み、得意げに胸を張った。



「そっか。じゃあ、行こうか」



俺たちは再び森の奥へ歩き出す。


先頭を歩くリリィは相変わらず楽しそうで、その後ろをアリアが苦笑しながら追いかけていた。


俺の隣を歩くゾーイは、そんな二人を見て腹を抱えて笑っている。


木漏れ日が揺れ、風に揺れる枝葉がざわざわと歌う。


まるで森そのものが、三人の少女を歓迎しているようだった。



「なぁ、ゾーイ」



「ん? なんだ?」



「鍛冶師の仕事は……楽しいか?」



「おう! 楽しいぞ! でも急にどうした?」



俺は少し言葉を選ぶ。



「例えば……お前に、すごい力があったとする」



「ん?」



「でもその力を使えば、命を賭けなきゃいけない。場合によっては、誰かの命を奪うことになるかもしれない」



ゾーイは黙って俺の話を聞いていた。



「それでも……お前は、その力を使うか?」



そう問いかけると、彼女はきょとんとした顔をしたあと、あっけらかんと言った。



「なんだ、そんなことか!」



「え?」



「じっちゃんとか、アタシの大好きな人たちを守れるなら、使うに決まってるじゃないか!」



迷いのない声だった。


そして彼女は、不意に真っすぐ俺を見つめる。



「なぁ、“王様”。力ってなんだ?」



「……気づいてたんだな」



「リリィが普通に名前で呼んでたし、アリアが王様って呼んでたからな!」



(あの二人は……)



前方で楽しそうにはしゃぐ二人を見て、俺は思わず額を押さえた。


そんな俺を見ながら、ゾーイは少しだけ真面目な声で続ける。



「みんな勘違いしてるんだ。強く振るう拳とか、誰かを黙らせる大きな声とか。そういうのだけが“力”だって思ってる」



森を渡る風が、彼女の黒い髪を揺らした。



「でも、アタシは違うと思うんだ」



「……」



「怖くても、逃げたくても、もう一歩だけ前に出ること。


 大切なものを守るために、ボロボロになっても立ち上がること。


 そういうのだって、きっと力だ」



ゾーイは自分の胸に手を当てる。



「力って、腕っぷしだけで決まるもんじゃないと思う。


 どれだけ理不尽でも、“まだ終わらせない”って歯を食いしばれるかどうか。


 自分がどうしたいか、自分がどうありたいかで決まるんじゃないかなって」



言い終えた彼女は、照れ隠しみたいに笑った。



「アタシ、バカだから上手く言えないけどさ! 大切な人を守れるなら、アタシは喜んで力を使うぞ!」



その笑顔は、どこまでも真っ直ぐだった。


誰にも折れない意思が、その小さな身体の中に確かに宿っているように見えた。



「……安心しろ。ちゃんと伝わったよ」



俺は小さく笑う。



「ゾーイは強いな」



「えへへ……そうかな?」



頬を掻きながら照れるゾーイ。


その時――



「タイシー! ゾーイー! 薬草の群生地あったよー!」



前方からリリィの元気な声が響いた。



「おっ! 本当か! いっぱい取るぞー!」



ゾーイはぱっと表情を明るくし、二人の元へ駆けていく。


その背中を見送りながら、俺は静かに息を吐いた。



(“自分がどうありたいか”、か……)



胸の奥に沈んでいた重たい何かが、ほんの少しだけ軽くなった気がした。



(一度、ガンツさんと話してみるか)



昼過ぎの森には、柔らかな風が吹き抜けていた。


枝葉は陽光を受けて穏やかに揺れ、木漏れ日がまだら模様となって地面に踊っている。


遠くでは小鳥の囀りが響き、どこからか流れてくる草と土の匂いが、静かに肺を満たしていく。


その景色は、まるで凝り固まっていた心をゆっくりと解きほぐしてくれるようだった。


俺は少女たちの笑い声を聞きながら、少しだけ肩の力を抜く。


青く澄んだ森の空は、さっきまでよりほんの少しだけ、優しく見えた。


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