第八十六話 通貨経済計画
俺が玉座の間へ足を踏み入れると、そこにはすでにデンス、リンウェル、そして二人の男の姿があった。
カワナミさんとイマリのことは、もちろん気掛かりだった。
ひとまず必要な処置と報告の手配は済ませてある。
それでも胸の奥に残る不安は消えない。
だが、王として、目の前にある仕事を放っておくわけにもいかなかった。
俺は小さく息を吐き、意識を切り替える。
高い天井から差し込む昼過ぎの陽光が、赤い絨毯を淡く照らしている。
その中で一際存在感を放っていたのは、口元から顎にかけて立派な髭を蓄えた、恰幅のいい男だった。
「こうして会うのは二度目か? 話すのは初めてじゃがな」
男は豪快に笑いながら、初対面とは思えない調子で言葉を投げてくる。
「ちょ……ガンツ様!」
リンウェルが慌ててたしなめようと声を上げた。
「そうですね。先日はお邪魔しました」
俺は苦笑混じりに返す。
「ほう。この王は、お前より話が分かりそうじゃないか、リンウェル」
ガンツはニヤリと口元を歪め、横目でリンウェルを見る。
「うぅ……やっぱりこの方、苦手ですわ……」
リンウェルは肩を縮め、半ば涙目になっていた。
そんな彼女の反応が面白いのか、ガンツは愉快そうに喉を鳴らして笑う。
そしてひとしきり笑ったあと、表情を引き締め、改めて俺へ向き直った。
「さて、ちゃんと挨拶せねばな」
分厚い胸板を張り、堂々と言い放つ。
「ワシの名はガンツ。ジュラ出身の生粋の鍛冶職人で、この地では“大鍛冶”の総代を任されておる。よろしくな、王よ」
「はい。よろしくお願いします」
俺は軽く頭を下げ、それからガンツの隣に立つ男へ視線を向けた。
細身の体躯。
だが、その立ち姿にはどこか貴族めいた品がある。
「それで……そちらの方は?」
「ああ、すまんすまん。こやつはワシが勝手に連れてきた」
ガンツは豪快に笑いながら、隣の男の肩を叩く。
「なんでも、この娘が通貨の発行を計画していると言うんでな。なら、役に立つ男を連れてきた方が早いと思っただけじゃ」
そう言われた男は、一歩前へ出ると、洗練された所作で一礼した。
「陛下、初めてお目にかかります。ケイン・トレシアと申します。ガルド公国の出身で、祖国では財務官僚を務めておりました」
「……なるほど」
俺は小さく頷く。
「通貨発行に関しては、ワシなんぞより、こやつの方がよほど役に立つじゃろうて」
ガンツは髭を揺らしながら笑った。
「確かに。しかし我々は、まずリベリオン全体の鉱物資源――特にエリュシオン周辺の埋蔵量を把握する必要があります」
俺がそう切り出すと、ガンツは顎髭を撫でながら、どこか得意げに鼻を鳴らした。
「そのことじゃがな……」
「?」
「この領地――エリュシオンと言ったか。その周辺の埋蔵量なら、すでに調べておるぞ」
「え?」
「そうなんですの?」
俺とリンウェルの声が、同時に重なった。
「ああ。前領主はこの手の話にまるで興味がなさそうだったから、特に報告はしとらんかったがな」
(アサヒナさん……)
俺は自然と、あの人の顔を思い浮かべる。
たしかに、鉱山資源だの経済基盤だのに興味を持つ姿は想像しづらかった。
「じゃから、この男を連れて来たんじゃ」
ガンツはそう言うと、隣のケインの背を力強く叩いた。
ケインは苦笑を浮かべながらも、一歩前へ出る。
「単刀直入に申し上げます。ガンツ殿の調査結果を見る限り、通貨発行は十分可能です」
その言葉に、俺の表情がわずかに明るくなる。
だが――
「ですが……」
ケインは少し視線を落とした。
「ですが?」
「はい。まずは、物々交換社会から通貨経済へ移行する際の手順について、お話しさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「頼む」
俺が促すと、ケインは深く頷き、静かに語り始めた。
「通貨発行とは、単なる“金のばら撒き”ではありません。国家の“信用”を創造する、極めて神聖な事業です」
その声音には、長年財務に携わってきた者特有の重みがあった。
「まず必要なのは裏付けです。この金属片に価値があると、人々に信じさせなければなりません。国庫の金銀との交換を保証するか、あるいは『税は新硬貨でしか納められない』と布告し、強制的に需要を生み出す必要があります」
「つまり、ただの金属片ではなく、“国が価値を保証するもの”として領民に認めさせる必要があるわけか」
「その通りでございます」
ケインは淀みなく続ける。
「同時に、偽造防止のため、王室直属の造幣局を設立し、貨幣には正式な刻印を施さねばなりません」
そこで彼は一度言葉を切り、真っ直ぐに俺を見据えた。
「問題は、その後です」
玉座の間の空気が、わずかに張り詰める。
「兵士への給金や公共事業によって市場へ通貨を流し、『パン一つは銅貨一枚』という価値基準を定着させる。……ここまでは、おそらく問題なく進むでしょう」
だが、と彼は低く続けた。
「経済が拡大し、さらに発行量を増やす必要が出てきた時――現在確認されている鉱山資源だけでは、いずれ底を突く可能性があります」
彼の指先に、わずかに力が入る。
「通貨不足は、経済そのものの停滞を意味します。しかし逆に、質の悪い貨幣を乱発すれば、国家の信用は失われ、貨幣価値の暴落と物価の高騰を招く」
ケインの言葉に、玉座の間は静まり返る。
「……陛下。資源が尽きる前に、新たな領土、あるいは新たな“価値の基盤”を確保する必要があります」
説明を終えたケインは、一歩下がった。
そのあとを引き継ぐように、ガンツが口を開く。
「まぁ、リベリオン全体でどれだけ鉱物が眠っとるかは、王の勅許を持った調査隊を各領地に派遣してみんと分からんがな。三層は、あまり鉱物資源がないとも聞いとる」
「その通りです」
ケインも静かに頷く。
「それに、タクティカルクラス用の武器装備にも相当量の鉱石を使うからのう」
ガンツはちらりとリンウェルを見る。
その視線を受けたリンウェルは、ピシッと背筋を伸ばした。
(……この二人、装備作成の時に何かあったのか?)
妙な空気を感じつつも、俺は深くは追及しなかった。
「とにかくじゃ」
ガンツは腕を組む。
「ワシとケインの見解としては、通貨発行自体は可能。そして、“しばらくの間”なら問題なく経済は回る――そういう結論じゃな」
「わかりました」
俺は静かに頷き、今度はデンスへ視線を向ける。
デンスはいつもの落ち着いた表情のまま、口を開いた。
「問題ないでしょう」
その声には迷いがない。
「陛下は、このゲームにおいて歩みを止めるつもりはないのでしょう?」
「……あぁ。そのつもりだ」
俺は真っ直ぐ答える。
立ち止まるつもりなど、最初からない。
「ならば、発行後の問題も大きな障害にはなりません。もちろん、今後の攻略方針には鉱物資源の埋蔵量も加味する必要がありますが」
デンスの言葉に、俺は再び頷いた。
「わかった。ケイン」
俺は玉座の前で姿勢を正す男を見る。
「デンスの下で財務担当として働いてほしい。通貨発行計画を進める」
「承知いたしました」
ケインは片膝をつき、深々と最敬礼をした。
「それと、ガンツさん。勅許が必要なんですよね?」
「おう」
「明日には“大鍛冶”へ届けさせます。調査隊の選抜と準備をお願いします」
「任せておけ」
ガンツは胸を張り、力強く頷いた。
その瞬間。
高窓から差し込む昼過ぎの陽光が、玉座の間の床を長く照らす。
国家の土台となる“金”と“信用”。
それを巡る話し合いは、静かに、だが確実に――リベリオンという国を次の段階へ押し上げようとしていた。




