第八十一話 歪んだ愛
「ふーん。今代、“二人目の復讐者”は、この子なんだ……それも“また”この地で」
俺はあの日――まだリベリオンができる前、竜血四侯のワカナが、リリィを見て口にした言葉を思い出していた。
「あの人が言っていたのは……そういうことだったのね」
ミスラも同じ結論に辿り着いたのか、自分の右手に嵌めた水色のリングをじっと見つめている。
「話はわかった……いや、わかってはいないが……進めよう」
思考を振り払い、俺は顔を上げた。
「はい」
シェリーは、相変わらず柔らかな笑みをこちらへ向ける。
「なぜ、君にその……武器が現れたんだ?」
俺は真っ直ぐに彼女を見据え、問いかけた。
「あら? 陛下、女の秘密を知りたいんですか?」
からかうような声音と、わずかに細められた瞳。
「ああ、知りたい」
その視線を、真正面から受け止める。
冗談で済ませる気はない――そう伝えるように。
正直、踏み込んでいい領域なのかはわからない。
だが、どうしても気になっていた。
――“所有者の憎しみによって具現化し、やがて飲み込む。”
リベンジャー武器は、持ち主の憎しみが消えた時、その身を喰らう。
彼女は……大丈夫なのか?
それが、頭から離れなかった。
俺の視線を受けたシェリーは、ほんの一瞬だけ目を逸らし、俯く。
「……いい」
「え?」
「ああ……とてもいいです。その目」
次の瞬間、彼女は恍惚とした笑みを浮かべて、俺を見た。
先ほどまでの冷静さとはまるで別人のように――どこか、愉悦に浸るような表情だった。
「ん……?」
空気が、わずかに歪む。
「あー……陛下。愛しき陛下」
彼女は空いている右手をそっと頬に添え、夢を見るような声で語り始める。
「あの日、見知らぬ異世界からこの地へ放り出された貴方を見つけた時……
私は、なんて可哀想で、なんて可愛らしい生き物なのだろうと、胸を打たれたのです」
ゆっくりと紡がれる言葉。
だが、その視線は一瞬たりとも俺から逸れない。
「現実に打ちひしがれ、足元もおぼつかない。
それでも、震える足で懸命に前へ進もうとする……その健気さ。
見守っているだけで、私の心は甘い疼きで満たされていきました」
その声音は柔らかいのに、なぜか背筋が冷える。
「その純粋な欲求が、いつしか逃れようのない愛情へと変わっていたのです」
シェリーは一歩も動かない。
ただ、その場で、恍惚とした表情を浮かべ続けている。
「特に……ミリィ様が亡くなられた時。
絶望の淵で泣き崩れる貴方のお姿は、あまりにも美しく……そして、あまりにも愛おしかった」
狂っている……
反射的に、そう思った。
「ただ……」
その瞬間、彼女の表情が一変する。
「貴方をあんなにも無惨に傷つけた“神”という存在に、私は生まれて初めて、底知れぬ憎しみを覚えました」
「そ……それで、その武器を?」
恐る恐る問いを重ねる。
「いいえ。その時は、何も起こりませんでした」
「起こらなかった?」
「はい。だって――憎しみよりも、愛情が勝ってしまいましたので」
再び浮かぶ、歪なまでに幸福そうな笑み。
「……ん?」
ちょっと何を言っているかわからない。
「その時、同時に、こうも思ったのです」
彼女は静かに続ける。
「ああ、私はこのお方のための『器』になりたい、と」
「……はい?」
理解が追いつかない。
「貴方が味わう苦しみ。突き刺さるような悲しみ。
そして、砂漠で水を見つけたかのように零す、小さな喜び。
そのすべてが、私にとっては――この世で最も尊い宝石に見えるのです」
その瞳に宿る熱は、もはや正気とは言い難い。
純粋すぎるがゆえに歪んだ、無償の献身。
それが渦巻いていた。
その表情は、聖母のようでもあり――同時に、何よりも恐ろしい殉教者のようでもあった。
「陛下が望まれるなら、私はいつでもかつての暗殺者に戻り、その手を汚す役目を引き受けましょう。
この体が必要であれば、どうぞお好きなように損なってください。
私はただ、貴方の愛おしい人生の、ほんの些細な一部として消費されたいだけなのです」
言葉は静かだが、色々な意味で重い。
「たとえ世界中のすべてが貴方を否定しても――
私だけは、貴方の“痛み”の一滴までをも慈しみ、飲み干すと誓いましょう。
それこそが、私を高ぶらせてくれた陛下への恩返しなのですから」
――話の本題は、完全にどこかへ消えていた。
気づけば、これはただの“狂気の告白”に変わっている。
しかも、かなりヤバい方向の。
彼女は微動だにせず、ただ視線だけを俺に注ぎ続けていた。
「あ……その……えっと……で? その武器は?」
どうにか話を戻す。
「ああ……失礼しました。この武器は、ミリィ様が亡くなり、私の陛下への愛が最高潮に達した時――私の部屋に現れました」
「え? どういうことだ?」
あまりにも軽いその言葉に混乱が深まる。
彼女の話を聞く限り、憎しみよりも――
むしろ、愛のほうが強い。
「もちろん、憎しみがなかったわけではありません」
シェリーは静かに言った。
「陛下を傷つけたもの。陛下から奪ったもの。陛下に涙を流させたもの。そのすべてが、私は憎くて憎くてたまらなかった」
その声は穏やかなままだった。
だが、その奥に沈むものは、ひどく冷たい。
「ですが、その憎しみすら、陛下への愛の一部だったのです」
「愛が憎しみを食い、憎しみが愛を育てる」
「え?」
振り返ると、ミスラがぼそりと呟いていた。
「深い執着と強い想いを共有する、表裏一体の感情なのよ。愛も、憎しみも……」
「なんだ、それ……」
「知らないわよ! そんなこと!」
ミスラは苛立ったように声を強める。
「ふふっ」
その様子を見て、シェリーがくすりと笑った。
まるで、すでに答えを知っているかのように。
「何か知っているのか?」
「確証はありませんが」
前置きをしてから、彼女は続ける。
「単純な話です、陛下。殿下も私も――陛下を愛しています」
「ちょ……あなた……!」
ミスラが慌てて割って入る。
「あら? 違うのです?」
「いや……その……」
勢いを削がれ、ミスラは俯いてしまう。
シェリーは、優しく微笑んだ。
「陛下。女の愛は、得てして狂気じみているものです」
「……」
「ですが、良識ある者は、それを自制します」
彼女はそっとミスラへ視線を向ける。
「ミスラ殿下がリンウェル様に嫉妬し、誰よりも早く陛下の寵愛を賜ろうとしたように」
「え……」
恐る恐るミスラを見ると、彼女はベッドの上で足を八の字に折り、顔を伏せたままだ。
「つまり、愛と憎しみは――“同じ一枚のコインの表と裏”なのですよ」
「表と裏……」
「ええ。だから……私は、陛下が“ご心配されているような”武器に喰われることはないと思っております」
「……わかってたのか」
「ええ。陛下はリリィの件の糸口になれば、と考えておられたのでしょう?」
すべて見透かされていた。
「……ああ」
「リリィも、愛を知れば――あるいは助かるかもしれません」
「……!」
「あくまで推測です」
「……わかってる」
「ですが、持ち主である私がそう感じている――それだけでも、心に留めていただければ」
慈愛に満ちた微笑みだった。
「わかった。ありがとう」
「では、私は本当にこの者を拷問してきますね。……ああ、その前に治療をしないと、出血多量で死んでしまいますか」
軽やかな口調でそう言い、彼女は背を向ける。
「あ、シェリーさん! 最後に一つだけ!」
「はい?」
足を止め、首だけこちらに向ける。
「君の件は、黙っていたほうがいいのか? 立場上、リオさんとデンスには話さなきゃいけないけど」
「ええ、それで構いません。そのほうが、私も動きやすいです」
少しだけ肩をすくめる。
「まぁ、バレてしまった以上、今までのように陛下の一挙手一投足だけを見ている生活は難しいでしょうが……何かあればお申しつけください」
「一挙手一投足って……」
「ああ、それと……」
扉に手をかけたところで、再び足を止める。
「イリス殿は、おそらく私がただ者ではないことに気づいています」
「え? イリスが? なぜ?」
「七番領地の使者として彼女がアレースに来た夜、領主邸に忍び込んできましたので」
「ああ……」
あの晩、イリスを俺とリオデルカのもとに連れてきて、引き合わせたのはシェリーだった。
「最初は陛下の命を狙う不届き者かと思いまして――殺しかけてしまいましたので」
「……なるほど……わかった」
「では、これで失礼します。“楽しい”夜をお過ごしください」
意味深な笑みを残し、扉が静かに閉まった。
――静寂。
「あの……色々あったけど……その……ミスラさん」
「……私も……部屋に帰るわね」
顔を伏せたまま、彼女は目を合わせようとしない。
頬が、わずかに赤い。
「あ、ああ……」
間の抜けた返事しか出なかった。
彼女の背中を見送りながら、俺は深く息を吐く。
まったく……とんだ初日だな……
どっと疲れが押し寄せる。
思考も感情も、ぐちゃぐちゃだった。
ミスラを見送ったあと、俺は着替える気力もなく、そのままベッドに倒れ込む。
アレースのものよりも柔らかい寝具が、体を沈み込ませた。
その心地よさに抗う術もなく――
俺の意識は、すぐに闇へと落ちていった。




