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第七十九話 エリュシオン城と暗殺者

ザ・シタデル。


その中枢に足を踏み入れた瞬間――


俺たちの視界を支配したのは、圧倒的な“境界”だった。


ぐるりと巡らされた外壁。


そして、それを抱くように流れる水路。


天然の川を引き込んだものか、それとも人の手で穿たれたものか。


判別はつかない。


だが――その水は確かに、この城を外界から切り離す“線”として機能していた。


外壁は無骨な石造り。


しかし無駄は一切なく、鋭く折れた角度が死角を削ぎ落としている。


要所に据えられた塔。


どこから侵入しようとも、必ず誰かの視線に晒される構造。


――城とは、ただ美しいだけの建造物ではない。


その事実を、これ以上ないほど雄弁に語っていた。


広大な中庭。


そしてその中央に、主城がそびえていた。


幾重にも積み重ねられた石の塊は、まるで大地そのものが隆起したかのような威圧感を放っている。


左右に張り出した建造部。


規則的に配置された塔。


中庭にぽつりと据えられた円形の井戸。


それらすべてが、この場所が単なる居城ではなく――


ひとつの“小さな国家”であることを示していた。


正面には堀を跨ぐ一本の橋。


普段は穏やかに架けられているそれも、ひとたび戦となれば跳ね上げられ、この城は完全に孤立するだろう。


橋の先には重厚な門。


それを守るように並ぶ二基の塔。


赤い旗が風に揺れ、訪れる者に無言の圧を与える。


城壁の上には歩廊が巡り、矢狭間が規則正しく並ぶ。


どこからでも矢が降り注ぐ構え。


だがその整然とした配置は、どこか計算された美しさすら感じさせた。


そこへ至るまでに越えるべき障害の数々が、この城の“格”を語っていた。


エリュシオン城。


それは守るための牙を剥きながら、同時に支配の象徴として大地に根を張る存在。


静寂の中に威厳と緊張を孕んだ、完成された要塞だった。


――そして。


俺たちは、その内部へと足を踏み入れる。


跳ね橋を渡ると、左右に整列した使用人たちが道を開いていた。


メイドを中心に、十数名ほど。



(デンスがこっちで見つけた人材か……)



その中央を進む。


石畳に足音が響くたび、空気が張り詰めていくのを感じた。



「すごい……」



「すごいっすねー……」



ザインとジェイクが、揃って感嘆の声を漏らす。



「そんなに上ばかり見ていると、足元をすくわれますわよ」



リンウェルが呆れたように言った。



「いやいや! リンウェルさんは見慣れてるかもしれないっすけど、俺みたいな田舎もんには――これはもう事件っすよ! なぁ、ザイン!」



急に話を振られたザインは、ぽかんとした顔で瞬きをした。



「え? 僕?」



「……なんだか申し訳ありませんわね……」



リンウェルは小さく苦笑する。



「では、内部をご案内いたします」



デンスの一言と共に、本城の門がゆっくりと開かれた。


その先に広がっていたのは――


広く、静謐な空間。


石造りの広間は天井が高く、声がわずかに反響する。


どこか中世の王城を思わせる、重厚で厳かな空気。


門を抜けた先、床が一段高くなっている。


そしてその奥。


――玉座。



「ここが玉座の間となります」



デンスが静かに告げる。



「左右には二階へ続く階段。


 また玉座の奥にも同様の階段がございます。


 左右の通路には、メイドの居住区や食堂などを配置しております」



見上げれば、二階の回廊がぐるりと囲むように張り巡らされていた。


そこからは、この玉座の間を一望できる構造になっている。



「二階にはミスラ殿下の居室、ならびに今後迎えられる側室方の部屋。そして奥には執務室、会議室がございます」



(ミスラがいなくてよかった……)



いま、側室云々は地雷だった。



「さらに三階――そこが陛下の私室となります」



説明は途切れることなく続いた。






――気が付けば、外はすでに夕刻。


一通りの案内を終えた頃には、空は赤く染まり始めていた。


リンウェルたちサブクラス保持者は、それぞれの住居へ。


ザインとアリーザは、リリィと共に割り当てられた自室へと去っていく。


そして俺は――


新たな執務室にいた。


シェリーが淹れた温かい飲み物。


その湯気が、ぼんやりと視界に揺れる。


目の前には山積みの報告書。


だが――



「ダメだ……集中できない……」



長旅の疲労が、今になって押し寄せてきた。


視界が霞み、あくびが漏れる。



(今日はもう……休むか)



椅子から立ち上がり、執務室を後にする。


三階へ続く階段の手前。


そこに――


ミスラがいた。


軽く力の抜けた装い。


いつもとは違う、無防備な姿。



「……ミスラ? どうした?」



(なんか……既視感あるな……)



「馬車で、夜話すって言ったでしょ」



目を合わせないまま、淡々と返される。



「あー……俺の部屋でいいか?」



小さく頷くのを確認し、階段を上る。


階段を上る足取りが、妙に重く感じた。


やがて終点へたどり着くと、そこには俺の私室へとつながる扉が鎮座していた。


そして、その扉を開けた瞬間――


夜風が流れ込んできた。



「……閉め忘れたか?」



バルコニーの扉が開いている。


広い室内。


アレースの時よりも一回り大きい。


大きなベッド。


暖炉。


ソファ。


奥には衣装室。


一切の不足がない、王の部屋。


俺はそれらを見渡してから、ソファへ向かおうとした。



「違う、あっち」



服の裾を軽く引かれた。


ベッドの方を指差すミスラ。



「え?」



無言のまま腕を引かれ、連れていかれる。


ベッドに腰掛けた彼女が、隣を軽く叩いた。



(……怖いな)



恐る恐る指示に従う。


風呂上がりなのか、ふわりと彼女から石鹸の香りが漂った。


心臓の音だけが、やけに大きく響いていた。



「馬車で……言ったわよね……」



「……なんのことだ?」



思考がまとまらない。



「リンウェルのこと、反対しないって」



「……ああ……まぁ」



正確には、呆れと嫌味、半分半分の了承だったが。



「でもね……私にも……あるの」



「ん?」



「女としてのプライド」



意味が――読めない。



「あなたが……最初に触れていい女は……私だけ」



「……え?」



「だから!」



初めて、真正面から視線がぶつかる。



「あなたが最初に抱くのは――私なの!!」



沈黙が部屋を支配する。


その沈黙に耐えられなかったのか、言った本人が、すぐに顔を逸らした。



「……本当にいいのか?」



「……何度も言わせないで」


小さく、しかし確かな意思。



「……わかった」



俺はゆっくりと、彼女の小さな両肩に手を置く。


びくり、と震え、その肌から体温が伝わってくる。


そして、ゆっくりと彼女の顔へ、自分の顔を近づける。



(本当に……これでいいのか……)



その瞬間――


視界の端、ミスラの奥で、何かが“光った”。



「死ね」



「!?」



反射的にミスラを抱き、倒れ込む。


ドン――!


背後で衝撃音がする。



「え!? 何?」



俺の腕の中で、ミスラの声がする。


壁に突き刺さっていたのは、一本の短剣だった。



「チッ」



舌打ちが響く。



「誰だ!」



視線を走らせるが、姿は見えない。



「これはこれは……リベリオンの王、アサヒタイシ殿。お楽しみの最中、失礼しました」



声だけが、空間に漂う。



(どこだ……)



声はする。


だが見えない。


俺の背後で何かが光る。



「ったく!」



その光が止むと、そこには不機嫌な顔をしたミスラがドラコニックウエポンを具現化させていた。



「気をつけろ、ミスラ。どこにいるかわからない」



「本当、面倒ね」



低く吐き捨てる。



「それがドラコニックウエポンか……厄介だな……だが……」



男の声は一層低くなる。



「見えていないなら、勝機はある」



男の声が、何かを決意したような響きに変わる。



「早く出てきなさい」



「怒るなよ、セルフィード王国第三王女殿。


 せっかく勇気を出していい雰囲気まで持っていったのに、邪魔をされてお怒りか?」



男の笑い声が部屋に響いた。



「ぶっ殺す」



怒りと羞恥が混じる、低く冷たい声。



「おー怖い怖い。いいところを邪魔して、本当に申し訳なかったな」



男の笑い声が最高潮に達する。


その時――



「本当……いいところだったのに……空気が読めないこと、この上ないですね」



「ガッ……!」



別の声。



(なんだ!?)



俺の声でも、ミスラの声でもない。


そして男の声でもない、第四の声。


その声と同時に、男の不快な笑い声は消え、代わりに苦しむ声が響いた。


声のほうへ視線を向ける。


そこには、今までいなかったはずのローブを着た男の姿があった。


腹から血を流して。



「き……貴様……なぜ……」



男は誰もいない背後を見て言う。



「あら……なぜって、あなたと“同じ”ですよ?」



先ほどと同じ女の声がする。



「な……に?」



「だから、あなたと同じで、“装備の効果”で不可視化しているのですよ」



「!」



「ただ、私の装備は、あなたのものとは比べものになりませんが」



そう言うと、男の後ろにすうっと靄がかかる。


その靄の中から、人影が現れる。



(まさか……)



見覚えのある顔だ。



「シェリーさん!!」



俺は思わずその名を叫ぶ。



「こんばんは、陛下」



彼女は、いつもの笑みで俺に挨拶をした。


その手に握られた、禍々しくも美しい“紫”のオーラを纏う短剣。


それは、ローブの男の腹へと深々と突き刺さっていた。



「……ご無事で、何よりです」



シェリーはそう言って、微笑む。


まるで何事もなかったかのように。


だが、その瞳だけは、月明かりの中で冷たく光っていた。



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