第七十七話 揺れる想いと、新王都エリュシオン
「あの……ミスラさん……怒ってます?」
俺は、目の前に座るミスラに尋ねる。
馬車の中は、揺れに合わせて微かに軋み、木材の擦れる音が規則的に響いていた。
「……怒ってない」
ミスラは馬車の窓から外を見ながら答える。
その横顔は穏やかに見えるが、視線はどこか遠く、感情を閉ざしているようだった。
(いや……絶対怒ってる)
俺達は馬車でエリュシオンに向かう道中にいた。
街道を見渡すと、青々とした草が風に揺れ、遠くにはところどころ雪化粧をしている山々が霞んで見えている。
アレースを出発した日は、色々な打ち合わせなどもあり、馬車はアスラーとシェリーと一緒だった。
だが二日目。
俺は今、意図的に二人だけにさせられた馬車の中で正座をしている。
空はよく晴れているが、馬車の中の空気だけが妙に重かった。
あと半日でエリュシオンに着く距離だ。
なぜミスラの機嫌が悪いかというと、それは出発前のアランの一言が原因である。
俺たちは、人員を現地で確保することから、少数で出発した。
見送りの場には、領民たちが集まり、穏やかな空気に包まれていた。
誰もが期待と不安を胸に、それでも前を向こうとしている――そんな空気だった。
だが、その空気が一変したのは、見送りに来たアランの、余計な一言だった。
「陛下、行ってらっしゃいませ。このアレースは、このアラン・クロフォードが確かにお預かり致します」
「アレースを、よろしく頼みます」
ここまではよくある会話だ。なんてことはない。
だが――
「リンウェル」
「はい。お父様」
「しっかりと陛下にお仕えするのだぞ」
「もちろんでございます」
「そして、早く陛下との子供の顔を見せなさい」
(あ……)
その瞬間、風が止まったかのように感じた。
周囲のざわめきが一斉に途切れ、誰もが息を呑む気配が伝わってくる。
「あの……ミスラさん?」
「……なに?」
「説明させてもらえませんか?」
揺れる床板の上での正座は思った以上に辛いが、そんなことを言っていられる状況じゃない。
「何を?」
「その……リンウェルのこと……」
「良かったじゃない。あんな素敵で可愛い彼女が“側室”だなんて」
その声音は淡々としているが、わずかに棘が混じっている。
「いや、それはアランさんが勝手に言ってるだけで……」
「嫌なの?」
ミスラが初めてこちらを向く。
その瞳は静かで、逃げ場を与えない。
「いや……嫌というか……なんと言うか……」
「じゃあ何を説明する必要があるのかしら?」
ミスラの指摘に、俺は黙る。
馬車の車輪が石を踏むたびに、ゴトリ、と重たい音が響いた。
「ミスラは……その、嫌じゃないのか……?」
「なぜ?」
「いや、ほら……なんていうか……」
「あなたのいた世界では知らないけど、こっちの世界では王族が側室を持つことは当たり前よ」
「……はい」
「それにリンウェルなら、器量も、忠誠心も申し分ないわ。それにあの見た目ですもの」
「……」
ミスラは間を置く。
「ただ……」
「ただ……?」
彼女が何か言葉を絞り出そうとする。
だが、言葉は喉元で止まり、代わりに小さく息を吐いた。
窓の外では、風に揺れる草原が流れていく。
その景色を追うように、ミスラは再び視線を外へ戻した。
「ただ……なんですか?」
俺は聞く。気になって仕方ない。
「……今日の夜にでも話すわ」
(一番怖いやつか……)
俺はそれ以上言わず、ミスラとは反対の窓から外の景色を見た。
遠くに見える城壁の輪郭が、ゆっくりと大きくなっていく。
その後、馬車がしばらく走ると、やがて元七番領地が見えてきた。
元七番領地――今はリベリオンの「首都」となったエリュシオンだ。
街道の先に広がるその街は、まだ完成には程遠い。
だが、確実に“都市”へと変わりつつある気配があった。
木製だった外周の柵は、ところどころ石積みに置き換えられており、灰色の壁が陽光を受けて鈍く輝いている。
石と石の間にはまだ隙間も目立つが、それでも防壁としての威圧感は十分だった。
今は閉ざされている門へと続く道には、人や荷車の往来が増え、土埃がうっすらと舞っている。
建設用の資材を運ぶ者、炊き出しを始めようとする者、ただ四方の村から新天地へとやって来た者――
様々な思惑が、この街に集まり始めていた。
それはまるで、一つの国が産声を上げようとしているかのようだった。
「見違えたわね」
この旅で初めて、ミスラから俺に話しかけてくる。
その声には、先ほどまでの刺々しさは感じられなかった。
「あぁ。領民のステータスの影響はあれど、この短期間にすごいな」
遠目にも、働く人々の動きが異様に効率的なのが分かる。
石を運ぶ者、木材を組む者、指示を飛ばす者――そのすべてが無駄なく連動していた。
「ところで、前に話していた通貨のことはどうするの?」
「うん……一応この地を起点に発行はしたいと思ってる。
ただ、まずは周りの山にどれだけ鉱物の埋蔵量があるかを調べないと始まらないからな」
視線の先には、街を囲うように連なる山々がある。
あの中に、この国の未来を左右する資源が眠っているかもしれない。
「そうね……でも、どうやってそれを調べるの?」
ミスラの表情からは、機嫌の悪さは感じられなかった。
「一応当てがあるんだ。イリスに教えてもらった人に会ってみようと思って」
(正確には、リンウェルに教えてもらって、イリスが交渉役を買って出てくれた……が正しいんだが……)
その名前を出す勇気はなかった。
(せっかく少し機嫌が直ったのに……それはできない!)
「そう……私は早く孤児院の様子を見に行きたいわ」
「たしか、デンスに大きめの土地と、孤児院の設計図を渡してたな。アウター・リムに建設するのか?」
街の外縁部――まだ空き地が多いであろうその場所を思い浮かべる。
「希望としてはそうだけど……実際、アウター・リムは領民の住居でいっぱいになるでしょ。たぶんミドル・リングじゃないかしら?」
「なんだ、指定しなかったのか?」
「一応希望としては伝えているけど、その辺はデンスに任せているわ。実際、都市開発してからじゃなきゃわからないことだってあるだろうし」
「確かにな」
そんな話をしていると――
「陛下! エリュシオンの門前に着きましたっす!」
御者をしてくれていたジェイクの声が響く。
馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて止まる。
揺れが収まると同時に、外の喧騒が一気に近づいてきた。
俺とミスラはその声を聞くと、ゆっくりと馬車を降りた。
外では、穏やかな風が吹き、心地の良い日差しが降り注いでいた。
昼前の柔らかな光が、石壁や木材を明るく照らし、街全体に活気を与えている。
乾いた土の匂いと、新しく切り出された木の香りが混ざり合い、どこか懐かしいような空気を作っていた。
「目の前に来ると、かなり圧倒的だな」
そこには、分厚い木材で組まれた門がそびえ立ち、鉄の補強が重厚感を増している。
脇には簡素ながら機能的な詰所があり、兵士たちが槍を立てかけながら待機していた。
門の上では見張りがこちらを確認し、合図を送る。
軋む音とともに、巨大な門がゆっくりと開いていく。
その動きは決して速くはないが、確かな力強さを感じさせた。
「長旅、ご苦労様です、陛下。よくおいでくださいました」
デンスが出迎える。
その背後には、整備途中の大通りがまっすぐ伸びていた。
「ここが、リベリオンの新王都。エリュシオンです」
未完成でありながら、確かに“始まっている”街。
その中心に、自分が立っている。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
俺は自分の心が躍るのを感じた。
――ここからだ。
この街で、俺たちの新しい国が始まる。




