第七十六話 王都移転、そして新たな一歩
「陛下、城が完成したようです」
その日、俺の眠たい頭を叩き起こしたのは、アスラーのその一言だった。
「……もう!?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
ついこの前まで、基礎工事がどうこうと言っていたはずだ。それが、もう完成?
その目まぐるしいスピードに、俺は驚愕を隠せなかった。
「はい。なんでも、七番領地は人口も多く、それなりに人手を割けたことと……」
アスラーは淡々と続ける。
「筋力が、思った以上にすごかったとのことです」
「あ……」
その言葉で、脳裏に一つの光景が蘇る。
血の匂い。
焼けるような怒り。
そして――静かに崩れ落ちたカイの姿。
『憤怒の感情が一定量を超えました。これより領民のSTRが+1されます』
あのとき、左目に浮かび上がった無機質な文字。
あまりにも多くの出来事が続きすぎて、俺はそのことを――皆に伝えるのを、完全に忘れていた。
「ごめん……そういえば……」
俺は頭をかきながら、アスラーにその経緯を説明する。
「なるほど。そうでしたか」
一通り聞き終えたアスラーは、小さく頷いた。
「結果として建設も早く終わりました。問題はございませんよ」
優しい声音だった。責める気配は一切ない。
「それで、拠点を移すのはいつ頃にしますか?」
「どれくらいで移動できそうだ?」
「私は、このお話が出てから既に荷造りを終えておりますので、すぐにでも可能ですが……」
ほんのわずかに間を置く。
「皆はそうはいかないかと」
(なんと、できる執事だろう……)
内心で感嘆する。
「だよな……」
「ただ、皆、荷物が多くないのも事実です。おそらく一週間ほどあれば、荷造りを終えられるかと」
「わかった。じゃあそれで通達してくれ。あとはアランさんへの引き継ぎか」
「かしこまりました。アラン様への引き継ぎは私のほうで進めておきますので、陛下はご自身の荷物をおまとめください」
(本当にこの人……できる……!)
アスラーは一礼すると、静かに自室を後にした。
扉が閉まる音が、やけに静かに響いた。
「……ついに、この地ともおさらばか……」
ぽつりと呟き、俺はバルコニーへと向かう。
扉を開けると、風が頬を撫でた。
どこか懐かしい、変わらない風。
だが――
目の前に広がる景色は、七カ月前とはまるで別物だった。
かつて、この場所から見えたのは――ただの“村”だった。
木と藁で作られた粗末な家々。
雨が降ればぬかるみ、晴れれば土埃が舞う道。
夜になれば、闇に飲まれるように灯りが消える。
人々の顔には、諦めと疲労の色が濃く滲んでいた。
生きている、というよりは――ただ耐えている。
そんな空気だった。
だが今。
石造りの家々が整然と並び、屋根は均一に整えられている。
道はしっかりと舗装され、馬車が滑らかに行き交う。
通りには人の声が溢れ、子どもたちの笑い声が風に乗る。
物々交換を希望する者たちの呼び込みの声。
鍛冶場から響く金属音。
パンを焼く香ばしい匂い。
生活の“音”と“温度”が、はっきりとここにある。
そして何より――
人々の表情が違う。
顔を上げている。
前を見ている。
明日を、疑っていない。
同じ場所とは思えないほどの変化だった。
それは偶然なんかじゃない。
ここで流れた血と、積み上げてきた時間の結果だ。
「……すげぇな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
誰に聞かせるでもなく。
ただ、胸の奥から自然とこぼれた言葉だった。
そして、この地で起こったこと。
戦い。
別れ。
出会い。
決断。
様々な情景が、まるで走馬灯のように脳裏をよぎる。
(……感傷に浸ってる暇はないぞ……!)
軽く頬を叩き、俺は息を大きく吸い込んだ。
肺の奥まで風を入れる。
そして――吐き出す。
「よし」
気持ちを切り替え、俺は部屋へ戻る。
やるべきことは山ほどある。
さっそく、荷造りを始めた。
一週間後――
俺は再び、一人で墓地へと足を運んでいた。
小高い丘の上にあるその場所は、街の喧騒から少し離れた静寂に包まれている。
風が、草を揺らす。
さわ……と、柔らかな音が連なる。
遠くからは、かすかに街の音が聞こえる。
だがここでは、それすらもどこか遠い。
別の世界の出来事のように感じられた。
整然と並ぶ墓石。
新しいものもあれば、まだ土の匂いが残るものもある。
その一つ一つに、名前が刻まれている。
「カイ、アサヒナさん、そして……ミリィ……」
ゆっくりと、その名を口にする。
声に出した瞬間、胸の奥がじわりと痛んだ。
足を止め、一つの墓の前に立つ。
指先で、石の表面に触れる。
ひんやりとしていた。
そこにあるのは、ただの石だ。
だが――
「……俺達は、また新しい一歩を踏み出してくるよ」
視線を落としたまま、言葉を続ける。
「そこに……みんながいないのは、本当に寂しい」
喉が詰まる。
言葉が、うまく出てこない。
あの日の光景が、鮮明に蘇る。
守れなかった命。
届かなかった手。
間に合わなかった一瞬。
「でも……前を向くしかないんだよな……」
拳を、ぎゅっと握る。
爪が食い込むほどに。
「必ず……みんなの想いは、俺が成し遂げてみせる」
それは誓いだった。
誰に強制されたわけでもない。
ただ、自分自身に刻み込むための言葉。
大きく息を吐く。
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなる。
「……じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
顔を上げる。
空は高く、青かった。
雲がゆっくりと流れている。
「また、時間を見つけて来るね」
そう言って、背を向ける。
一歩、踏み出した――その瞬間。
少し強めの風が吹いた。
背中を、押されるような感覚。
草がざわりと揺れる。
「――――」
一瞬。
確かに、何かを聞いた気がした。
――きっと、あなたは成し遂げます。
振り返る。
だが、そこには誰もいない。
あるのは、静かに並ぶ墓と、揺れる草だけ。
それでも――
なぜか、はっきりと感じた。
見送られている。
ミリィが。
カイが。
アサヒナさんが。
そして、この場所で眠るすべての者たちが。
笑っている。
「……都合のいい解釈だな……」
小さく苦笑する。
だが、その声にはどこか安堵が混じっていた。
――その時。
背後で、草が踏まれる音がする。
俺が咄嗟に振り返ると、そこには美しい白髪に、無地の真っ白なワンピースを纏った、アリーザくらいの歳の少女が立っていた。
「……君は?」
「私?」
無表情の彼女はこちらをまっすぐ見つめている。
「私は、リュミエル・メイヤ。ねぇお兄ちゃん、このお墓にいる人達はどうして死んでしまったの?」
(リュミエル・メイヤ……そんな子、このアレースにいたっけ……)
俺は彼女を見ながら考える。
「お兄ちゃん?」
彼女は表情を変えず、俺を覗き込むように見る。
「ん? ああ、ここで眠る人たちは、それぞれの何かを守る為に戦って亡くなったんだ」
(それと……神のゲームの犠牲者達……)
俺はその先の言葉を口にはしなかった。
「そうなんだ」
「……」
無表情だが、どこか大人びた雰囲気のある彼女は、ゆっくりと立ち並ぶ墓を見渡す。
やがて――
「変わらないんだね。“人”も“竜”も」
何かを呟くが、俺は聞き取れなかった。
「ん? なんか言ったか?」
聞き返すが、彼女は答えない。
(そろそろ時間か)
俺は、出発の時間が迫っていることを思い出す。
「俺はもう行かなきゃいけないんだが、君は一人で帰れそうか?」
リュミエルに尋ねる。
「うん。大丈夫」
彼女は淡々とした声で答える。
(変わった子だな)
「そうか。じゃあ帰り道は気を付けて帰るんだぞ」
彼女にそう言うと、再び前を向く。
そして、一歩ずつ歩き出す。
その足取りは、先ほどまでとは違っていた。
重さは残っている。
失ったものも消えてはいない。
それでも――
顔は、もう苦悶に歪んではいなかった。
背後では、風に揺れる草の音だけが、静かに彼らを見送っていた。




