第七十四話 それぞれの正義と、その先に
昼の陽射しは柔らかく、街並みを黄金色に照らしていた。
空は高く澄み渡っているが、風はどこかひんやりとしていて、春先の名残のような冷たさが頬を撫でる。
高台から見下ろす街には、多くの人々が行き交い、活気に満ちていた。
「活気があっていい街ですわ」
リンウェルはそう言いながら、穏やかな表情で街並みを見下ろしていた。
その視線には、どこか安堵の色が混じっている。
「みんなのおかげで、なんとかやってるよ」
俺は短くそう返す。
飾りのない、紛れもない本音だった。
墓参りのあと、俺たちはそれぞれ別行動をとっていた。
ミスラ、リリィ、アリア、ザイン、アリーゼは孤児院へ。
そして意外なことに、セシルまでそれについていった。
神出鬼没でマイペースなあいつが、そういう場所に向かうとは思っていなかったが――
「ん……あの子達……からかうと……すぐムキになる。楽しい」
「やめろ」
……どうやら、子供好きというより“遊び相手”を見つけたという方が正しそうだ。
一方で、ゴランとジェイクはエンヴィーを引き連れて、さっそく領主邸の中庭へ向かっていた。
「いや、だから、僕は手合わせするなんて言ってない」
「なにを言う! お前の目は手合わせしてくれ、と訴えているぞ!」
「そうっすよ! その目は絶対そうっす!」
「揃いも揃って節穴じゃん……」
あいつらはあいつらで、いつも通りだ。
そして――
俺、イリス、リンウェルの三人は、墓地から少し離れたこの高台に来ていた。
風が吹くたびに、わずかに体温が奪われる。
だがその冷たさすら、どこか心地よかった。
「七番領地……いえ、エリュシオンの皆も、きっと笑顔になれることを願っていますわ」
リンウェルが静かに言う。
「……」
その言葉に、イリスは何も返さず、ただリンウェルを見つめていた。
「ん? どうした?」
俺は気になって声をかける。
「イリス、あなた最近なんだか暗いですわよ」
リンウェルは遠慮なく言い切った。
(君が言うのか……ついこの前まで死んだ目をしていたくせに……)
心の中でだけツッコミを入れる。
「リンウェル様……」
イリスは少しだけ視線を落とす。
「どうしましたの?」
「リンウェル様は……その……私と一緒に陛下にお仕えすること……嫌ではないのですか?」
空気が、わずかに張り詰める。
イリスは七番領地攻略の鍵だった存在だ。
恐怖支配に抗い、こちら側へ来た。
対してリンウェルは――同じ支配に思うところはありながらも、最後まで主君に仕え続けた。
その違いは、決して軽いものではない。
「思うところがない……と言えば嘘になりますわね……」
リンウェルはゆっくりと言葉を紡ぐ。
そして、一度息を吐いた。
「あの方……カエデ様が、たとえ恐怖で領地を支配していたとしても……領民の命を奪ったことは一度もありませんでした」
「……」
「だから私は、最期までお仕えしましたの」
風が、三人の間を通り抜ける。
「もし……領民を殺してまで支配を続けていたのなら……」
リンウェルはわずかに目を細める。
「もしかすると、あなたと同じ判断を下していたかもしれませんわ」
「リンウェル様……」
イリスの声が、少しだけ震える。
「あなたにはあなたの、私には私の正義がありますわ」
リンウェルの言葉は、穏やかだが芯が通っていた。
「でも、それは相いれないこともある。だから……私たちはあの地で剣を交えましたの」
「……はい」
「そして、決着はつきましたわ」
リンウェルははっきりと言い切る。
「なら、もう過去に縛られるのはおよしなさい」
「……」
「新しい主を得たのですもの。不必要な感情は、捨てなさい」
イリスは一度、深く息を吸い――
「……そう、ですね」
小さく、だが確かに頷いた。
その空気を、ぱっと切り替えるように。
「さぁ! そんな顔をいつまでもしているんじゃありませんわ! あ、そうだ陛下」
「え!?」
完全に会話に入るタイミングを逃していた俺に、いきなり話が飛んできた。
「いくら正妻相手とはいえ、“側室”の私の前でイチャイチャするのはどうかと思いますわ!」
「側室!?」
思わず声が裏返る。
「あら? お父様からお許しも出ておりますし、てっきり私は陛下の側室になったのだと……」
「ちょ、ちょっと待て!」
「どうしたですの?」
「そもそもあれはアランさんが勝手に――」
「?」
「いや、それよりも! リンウェルはそれでいいのか!?」
「なにがですの?」
「その……側室って、つまり二番目の妻ってことだろ!?」
言葉を選びながらも、内心はかなり混乱している。
(側室って……子孫を残すためだけの関係っていうか……)
どうしても、偏った知識が先に立つ。
リンウェルは不思議そうに首をかしげていた。
「あ」
イリスが何かに気づく。
「もしかして、陛下のいらっしゃった世界にはその文化がないのでは?」
「ない!!」
即答だった。
「あら、そうでしたの……」
リンウェルは少し驚いた様子を見せる。
「こちらでは、王族や貴族が複数の妻を持つのは珍しくありません。最初の妻以外を側室と呼びます」
イリスが補足する。
「ああ、制度自体は知ってる。でも……」
言葉が詰まる。
「では、何が問題ですの?」
リンウェルが首をかしげる。
「だから……その……」
「?」
「リンウェルはいいのかよ? その……俺の妻になることを……」
言い切った瞬間、自分でも顔が熱くなるのがわかった。
「あー……」
リンウェルは一瞬だけ考えるような顔をし――
すぐに、いたずらっぽく微笑んだ。
「陛下は……私と一緒になるのは……お嫌ですの……?」
上目遣いで覗き込まれる。
完全にからかわれている。
「と、とにかく! その話はまた今度だ! 帰るぞ!」
耐えきれず、俺は背を向けて歩き出した。
背後から、くすくすと笑い声が追いかけてくる。
「陛下って、かわいいですわよね?」
リンウェルが楽しそうに言う。
「まったく……あなたの悪い癖ですよ、リンウェル様」
イリスは呆れながらも、その声はどこか柔らかかった。
二人もゆっくりと歩き出し、俺の後を追う。
「あら、あんなにかわいいのに」
そんな軽口を交わしながら。
高台を下る頃には、風の冷たさもいくらか和らいでいた。
昼の陽射しは変わらず穏やかで、街の喧騒が少しずつ近づいてくる。
その中に――確かに、さっきまでよりも軽くなった空気があった。
七番領地を失った二人もまた、少しずつ前へ進み始めていた。




