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第七十一話 責任

エンヴィーは真っすぐ俺を見つめ、リンウェルは俯いたままだった。


地下牢特有の湿った空気が、重く場に沈んでいる。



「俺たちは、方針を決めた。このあと七番領地に宣言をするつもりだ」



静かに告げる。


その言葉は、この場にいる二人の今後を大きく左右するものだ。



「…」



「それで――君たちはどうする?」



間を置いて、問いかける。


選ばせるための問いではない。


だが、それでも“選択”という形は残しておきたかった。



「僕は…あまり戦いたくないんだけど…」



エンヴィーが肩を落としながら言う。



「…この島にいる以上、それは無理だな…」



現実を、そのまま返す。


ここはそういう場所だ。


戦わないという選択肢は、存在しない。


エンヴィーは天井を仰ぎ、大きくため息をついた。



「……わかった。わかったよ」



両手を上げ、降参の意を示す。



「死にたいわけじゃないし、僕は君につくよ」



諦めと、わずかな納得が混じった声だった。



「わかった。これから頼む」



俺がそう言うと、エンヴィーは苦笑しながら肩をすくめた。



「さて――」



視線をもう一人へ向ける。



「私は…」



リンウェルが、ようやく口を開く。


かつて整えられていた金髪の縦ロールは乱れ、見る影もない。


その姿が、彼女の内面をそのまま映しているようだった。



「騎士として…主を護れませんでしたわ…」



震える声。



「…」



「そんな私が…」



言葉は途中で途切れ、代わりに涙が頬を伝った。


静かに、しかし止めどなく。



「俺がお前の新しい主だ」



拳を強く握る。



(気持ちは痛いほどわかる…)



だからこそ――迷わせない。



「!」



リンウェルが顔を上げる。


涙を溜めた瞳が、真っ直ぐにこちらを捉えた。



「俺の為に生きろ!!」



言い切る。


逃げ道を断つように。



(前を見て進むしかない)



「でも私はっ!」



「うるさい!」



声を叩きつける。



「黙って俺に、その誇りを捧げろ!」



「その剣も、その忠誠も、全部だ!」



一気に言い切った。


彼女に必要なのは、後悔ではない。


向ける先だ。


俺と同じ――いや、俺たちと同じ“進む理由”。


リンウェルの目から、堰を切ったように涙が溢れ落ちる。


そのとき――



「おやおや」



背後から、場違いなほど軽い声がした。



「まさか“側室”とは言え、陛下の御眼鏡にかなうとは。我が娘ながら、大したものですな」



「!?…アランさん…?それに…側室って!?」



振り返ると、満面の笑みのアランが立っていた。


いつの間に――。


牢番の兵士すら気づいていなかった。



「ん?今、陛下は“身を捧げろ”とおっしゃっておりませんでしたか?」



「お父様!?」



リンウェルが目を見開く。



「あ…いや…それは…言葉のあやというか…」



なんとか取り繕おうとするが――


アランは笑みを崩さないまま、じりじりと距離を詰めてくる。



「なんと!間違いだった、と?」



正直――怖い。



「いえ…その…違く…ないです」



「そうでしょそうでしょ!見目麗しい我が娘!その娘が陛下との間に賜る子…我が孫!早く見たいものですなぁ!」



(この人、絶対楽しんでるだろ…)



だが――



「それで…」



空気が変わる。


アランの視線が、リンウェルへと向けられる。



「お前は、いつまでそんな顔をしている」



低く、重い声。



「お父様…私は…」



「陛下はお前に道を示した」



「!」



「その道を切り開くのは、誰だ」



「…わたくし…です」



「なんだ?」



「私です!!」



声が強くなる。



「ならば、立ってみせろ。その足で」



「…はい」



「切り開いてみせろ。その剣で」



「はい!!」



リンウェルの表情が変わる。


先ほどまでの迷いは消え、そこには確かな決意が宿っていた。


涙の跡は残っている。


だが、その瞳はもう揺れていない。


ただ前だけを、真っ直ぐに見据えている。



「そして…」



アランがふっと口元を緩める。



「早く私に孫の顔を見せなさい」



(え?)



「は、はい…」



顔を真っ赤に染めながら答えるリンウェル。



(いやいやいや…)



場の空気が一気に崩れた。


――だが。


それでいい。


少なくとも、彼女はもう前を向いている。






――その日の夜。


俺は仕事を終え、自室に戻ろうとしていた。


廊下の窓から差し込む月明かりが、石床の上に淡い銀の帯を描いていた。


昼間の喧騒が嘘のように、領主邸は静まり返っている。


外に目をやれば、雲ひとつない夜空に無数の星が瞬き、まるで手を伸ばせば届きそうなほど近く感じられた。


風はほとんどなく、ただ時折、遠くの木々がかすかに揺れる音だけが耳に届く。


どこまでも澄みきった夜――。


それは美しく、そして同時に、やけに胸の奥を締めつけてくる静けさだった。


まるで、自分だけが取り残された世界のように。


足を進めるたび、靴音がやけに大きく響く。


まるで、この静寂の中では、自分という存在だけが異物であるかのように。



(……静かだな)



ふと、そんなことを思う。


あの日から、二週間。


すべてが前に進んでいるはずなのに――


自分だけが、あの瞬間に取り残されているような感覚が消えなかった。


そんなもやもやした気持ちのまま、自室の前にたどり着いた時、俺は息を飲んだ。


そこには、ミスラが壁に寄りかかるようにして待っていた。



「タイシ…ちょっと…話せる?」



彼女はどこか寂しそうな表情で俺を見て、そう呟いた。



「…ああ」



俺はそう言うと、自室の扉を開け、彼女を招き入れた。


彼女は俺の後に部屋に入ると、椅子に腰を下ろす。


俺は、距離を取るようにベッドへ腰かけた。



「…」



「それで…話って?」



俺は恐る恐る聞いた。



「…」



彼女は俯いたまま、何も話さない。



「…」



静寂が部屋を包む。



「タイシ…あなた…私を避けてる?」



俯いたままのその声が、静かに響いた。



「…いや…そんなつもりは…」



「避けてるじゃない!あの日…あの時から!」



ミスラの声が大きくなる。


あの、竜血四侯との戦いのあと――


俺は死ぬほど後悔した。


ミスラへ戦えと命じたことを。


――その瞬間。



「なんでよ…!」



ミスラが勢いよく立ち上がり、俺へと詰め寄る。



「なんで目を合わせてくれないのよ!なんで避けるのよ!」



その瞳は、怒りというより――必死だった。


逃げ場が、なくなる。



「……っ」



言葉が出ない。


だが――



「……怖かったんだよ」



気づけば、口が勝手に動いていた。



「君に戦えって言った。あのリュウヤへの憎悪に任せて……」



ミスラの動きが、ぴたりと止まる。



「でも…俺が命じたせいで……君が、死ぬかもしれないって……」



喉が詰まる。


それでも、止まらない。



「実際……あと少しで……」



言葉の先を、飲み込む。



「……あの時、失うかもしれないって思ったんだ」



視界が滲む。



「どうしようもなく…怖かったんだ…」



「……」



「アサヒナさんも……カイも……失った…」



「それに君まで失うと思ったら…」



名前を出した瞬間、胸の奥が軋んだ。



「だから…君を…いや…俺は…」



言葉が絡まる。



「君まで失ったら、俺はもう立ち上がれないんだよ!」



拳を握りしめながら、本音を吐き出す。



「もう……正直、限界なんだよ……」



絞り出すような声。



「何が正しいのかも分からない……誰を守れてるのかも分からない……」



沈黙。


重く沈む空気。



「……だから、距離を取った」



かすかに笑う。



「これ以上……失うのが怖くて」




言い終えた瞬間、全身から力が抜けた。


そのとき――



「……バカね」



小さな声。


気づけば、ミスラがゆっくりとベッドに歩み寄っていた。


そして――


俺の隣に、静かに腰を下ろす。


距離は、もうなかった。



「一人で抱え込んで……」



そのまま、そっと腕が回される。



「前にも孤児院で言ったでしょ…」



ぎゅっと、強く抱きしめられる。



「そんなの、許さないわよ」



柔らかな温もりが伝わる。



「私は、あなたの妻になったのよ?」



耳元で、静かに囁く。



「まぁ…プロポーズはロマンチックのロの字もなかったけど…」



苦笑が混じる。



「妻になったんだから……全部、一緒に背負うに決まってるじゃない」



抱きしめる力が、さらに強くなる。



「怖いなら、一緒に怖がるわ」



「苦しいなら、一緒に苦しむ」



「失うのが嫌なら……絶対に離れない」



その言葉は、静かで――


重く、真っ直ぐだった。



「……だから」



少しだけ身体を離し、ミスラが俺の目を覗き込む。



「勝手に一人で抱え込まないで」



そう言って、彼女はゆっくりと俺の頬にキスをした。


――その瞬間。


何かが、切れた。


理性も。


怒りも。


後悔も。


すべてがぐちゃぐちゃに混ざり合って――


抑えきれなくなる。



「……っ!」



気づけば、ミスラの肩を掴んでいた。


そのまま――


勢いのまま、ベッドへと押し倒す。


シーツが大きく波打ち、彼女の銀髪が無造作に広がる。


荒い呼吸が、やけに近くで響く。


そのまま、彼女の羽織っていたストールを乱暴に引きはがした。


白い肌が露わになる。


ふと、彼女の表情が目に入る。



「ッ…!」



一瞬、驚いた顔を見せるが――


すぐに、すべてを受け入れるように優しく微笑んだ。



「どうして…」



思わず問いが漏れる。



「ん?」



「どうして…拒まないんだ?」



「どうしてって…私はあなたの“妻”だから」



微笑みは変わらない。


だが――どこか寂しさが混じっていた。



「ただ…」



「ただ?」



「ほら…“初めて”は、もう少しロマンチックなものになると思ってたから…」



少しだけ視線を逸らす。



(なにを…なにをしてるんだ…俺は…!)



パンッ!


乾いた音が部屋に響く。



「タイシ!?」



俺は自分の頬を両手で叩いた。


暴走しかけていた自分に。


彼女の綺麗な白い体を、この気持ちの捌け口にしようとしていた自分に。


無理やりブレーキをかける。



「……」



「なにを…」



ミスラが俺の頬に手を伸ばす。


その直前――



「ごめん。ミスラ」



「え?」



「俺、どうかしてた」



「…」



俺は彼女の上から降り、再びベッドに腰かける。



「正直、まだ自分の中で色々な感情があって、整理がついてない」



「…うん」



「でも…そんな俺でも…なんとか前に進むから…」



「…うん」



「一緒に…隣を…歩いてくれないか?」



自嘲気味な笑みを浮かべながら言う。



(君の愛想が尽きるまで――)



ミスラは目を見開く。


再び、静寂。


やがて――



「その言葉…すごく嬉しい」



彼女はゆっくりと体を起こす。


そして――


後ろから、そっと俺を抱きしめた。



「私の答えはこうよ」



頬を寄せ、静かに言う。



「もちろん」



ミスラの肌から伝わる彼女の体温は、荒む俺の心を静かに鎮めていった。


長い夜は、まだ終わらない。


それでも――


俺はもう、一人ではなかった。


ここまでお読みいただき、ありがとうございます!


これにて第二章完結となります!


七番領地との戦い、そしてタイシ達にとって大きな喪失となった戦いでした。


次章では、新たに手に入れた七番領地を舞台に、物語が大きく動いていきます。


引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価などで応援していただけると今後の励みになります。


今後ともよろしくお願いいたします。


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