第六十五話 ファーストキス
(あー、これ……死ぬな)
リンウェルに抱かれながら、アタシはぼんやりとそう感じていた。
イシダに刺された傷は、さっきまで焼けるように痛んでいた。
けれど今は――その痛みすら、もう感じない。
イシダなんかと手を組んだことを、今さら悔やんだところで意味はない。
ただ――
このままアタシが死ねば、アタシを殺したことになるイシダが、七番領地を支配することになる。
(それだけは……)
霞む意識の中、領民たちの顔が浮かぶ。
正直、できることなら――“恐怖で支配”なんて、したくはなかった。
アタシは小さい頃、学園ドラマに影響を受けて、一人でいることを好むようになった。
よくあるやつだ。
一匹狼のヤンキーが、いじめっ子を叩きのめす話。
子供ながらに、その生き方が――どうしようもなく格好よく見えた。
そのドラマの主人公は、こんなことを言っていた。
『恐怖こそが、お前らに理解させる最も効率的な方法だ』
アタシは――この地で、それを実践しただけだ。
ママの元へ帰るために。
アタシは腰に隠していた短剣を、アサヒへ差し出す。
これで終わりだ。
そう思ったはずなのに、不思議と怖くはなかった。
(アサヒなら……恐怖なんか使わなくても、みんなを導ける)
彼と、その仲間たちの顔を見て――そう思えたからだ。
「わるいな……アサヒ……サクラに……謝っといてくれ……」
掠れる声で、そう告げる。
ふと、サクラとのことを思い出す。
カワナミサクラ――
アタシがクラスで、唯一自分から話しかけることのできる“二人”のうちの一人。
出会いは中学の頃だった。
進学を控えたある日、パパが病気で死んだ。
あまりにも突然だった。
悲しむ暇もなく、母も心労で倒れた。
気づけば、実家の“はなまる商店”は、アタシ一人で切り盛りすることになっていた。
生きるために。
田舎の小さな個人商店なんて、遠くの大型スーパーに行けない年寄りが来るくらいだ。
同級生が来ることなんて、ほとんどない。
――だが、サクラは来た。
ただ、お菓子を買いに。
レジで会計をしているとき、サクラが話しかけてきた。
「あの……私に……できること、ないかな?」
(は? いきなり何言ってんだ、こいつ)
サクラは、なぜか目に涙を浮かべていた。
(なんで、お前が泣いてんだよ)
「余計なお世話だよ。さっさとそれ持って帰れ」
アタシは吐き捨てるように言った。
サクラは肩を落とし、とぼとぼと帰っていった。
(なんなんだ、あいつ……)
だが、翌日も、その翌日も――サクラはやってきた。
少ない小遣いで、買いたくもないだろう菓子を買いに。
その姿が――同情じみた偽善にしか見えなくて。
アタシの苛立ちは、ついに爆発した。
「同情してんじゃねぇぞ? 反吐が出る」
気づけば、胸倉を掴んでいた。
一度怖い思いをさせれば、もう来ない――そう思った。
だが、サクラは違った。
視線を逸らさない。
「わかる……から……」
「あん?」
「わかるから」
「何がわかるんだよ?」
「私も……お父さん、死んじゃったから」
「――っ」
言葉を失い、手を離した。
そんな一件があったにもかかわらず、サクラは相変わらずうちの店に来た。
何事もなかったかのように。
しかも、買った菓子を店内の椅子で食べながら、本まで読んでいやがる。
「なぁお前……暇なのかよ」
「うん。暇だよ」
「いや……進学の準備とかあるだろ」
「それ、カエデちゃんも一緒じゃん」
「……まぁ、そうだけどよ」
いつの間にか、“カエデちゃん”と呼ばれるようになっていた。
それから数年。
毎日ではないが、サクラは月に何度か、必ず“本を読み”に来るようになった。
背後で、何かが激しくぶつかるような音がした。
イシダを抱えた男が、追いついたらしい。
(時間は……ねぇか……)
アタシは、アサヒに握らせた短剣と、その顔を見る。
アサヒは、仲間たちと同じように男の方へ視線を向けていた。
焦りはある。
だが――諦めてはいない。
(ったく……本当に、立派になりやがって)
「カエデちゃん……アサヒ君のこと、好きなの?」
店の椅子に座り、本を読んでいたサクラが、唐突に言った。
「ぶっ――!?」
飲んでいたものを盛大に噴き出す。
「な、な、何言ってんだ急に!?」
「だって、最近よく話してるの見かけるから」
「ち、違ぇよ! 商品の宣伝してただけだ!」
「ふーん。でも、いつの間に仲良くなったの?」
「……あいつ、この前うちに買い物来たんだよ」
「そっか」
「……」
「……」
アサヒタイシ。
小さい頃、親に連れられて何度か店に来ていた。
特別な印象はなかった。
だがある日、高校生になったアイツが、一人で店に来た。
アタシだって、女だ。
いくら一匹狼に憧れているとは言え、多少異性に興味だってある年頃だ。
ちょっとした好奇心で、からかってみたくなった。
軽く触れただけで、わかるくらいに緊張していた。
(……かわいいじゃん)
そう思った瞬間、今まで知らなかった感情が芽生えた。
それからだ。
理由もわからないまま、アタシはアイツに話しかける口実を探すようになった。
それが、ただの“商品の宣伝”だったとしても。
アイツは嫌そうな顔をしながらも、ちゃんと付き合ってくれた。
「アサヒ……なんか言ってたのか?」
アタシは、本に目を落とすサクラに聞く。
「ううん。別に。私もアサヒ君と席は隣だけど、あんまり話したことないし」
「……そうか」
「……」
「……」
「カエデちゃん」
「あん?」
「きっとそれ、恋だよ」
「は!?」
「私も経験ないけど……本で読んだことある!」
「……おい」
(ああ……アタシ、こいつのこと好きだったんだな)
今さら実感する、初めての感情。
死を目前にして、頭は妙に澄んでいた。
この島に来て初めは、驚愕した。
いや、誰でもそうだろう。
だがアタシはすぐに現実を受け入れて、帰る方法を探した。
ママの元へ帰るために。
そのために、恐怖で支配し――悪魔にだって魂を売った。
それが今になって、“後悔”に変わっている。
(ざまぁねぇな……)
心の中で、苦笑する。
(最期くらい……後悔は残したくねぇな)
その時だった。
目の前のアサヒの表情が歪む。
背後が慌ただしくなり、リンウェルがアタシの背を強く抱きしめてくる。
その体温を背に感じながら――
アタシは、アサヒが握る短剣を、その手ごと引き寄せ――
自分の心臓へ、突き立てた。
それと同時に舞い上がる砂埃。
痛みは――なかった。
いや、感じなかった。
ただ、アサヒの手の温もりだけが、やけに鮮明だった。
砂埃が晴れる。
アサヒの視線が、短剣へ――そしてアタシへと移る。
驚愕に染まったその顔を、アタシは右手で包む。
(そんな顔、すんなよ……)
まだ理解が追いついていない顔。
アタシは残る力を振り絞り、胸倉を掴んで引き寄せる。
(アタシの、“最初で最後”の――)
唇を重ねる。
「好き……だったよ……タイシ……」
そう言って、微笑む。
遠のいていく意識の中で――
アタシは静かに目を閉じた。
(ママ……ごめんね……)
(でも――ちょっとだけ、幸せだった)




