第六十四話 カエデの願い
おもむろに、その男は肩に担いでいた大剣を持ち上げる。
(まずい!)
ミスラは、男から受けた死刑宣告に、まだ思考が追いついていなかった。
その場で目を見開いたまま、動けずにいる。
俺は、疲労しきった全身の筋肉に命令する。
(動け……動け動け動け!!)
だが、足は鉛のように重い。
男が、ゆっくりと体重を前へ移す。
ミスラへ向けて踏み込もうとした――その瞬間。
男の斜め前方から、二つの影が飛び出した。
一人はエンヴィーだった。
対峙していた黒ローブを切り捨て、そのままの勢いで男へ大剣を振るう。
「おいおい、なんだよてめぇ」
男は煩わしそうに、その一撃を――“素手”で受け止めた。
「!!」
金属音は鳴らない。
押し潰されたような鈍い衝撃だけが、その場に沈む。
もう一つの影はサリバンだった。
だが、彼の狙いはエンヴィーとは別にあった。
一直線に踏み込み、その拳が向かう先は――イシダ。
「ガッ!」
鈍い衝撃音とともに、イシダの顔面が歪む。
そのまま体は宙に浮き、後方の黒ローブの集団へと突き刺さった。
「リンウェル!」
サリバンの、今まで聞いたことのない、張り上げた声。
目の前の事態に呆然としていたリンウェルの体が、びくりと反応する。
サリバンの手から、何かが放られる。
それは――アサヒナさんだった。
彼女は一瞬でそれを認識し、崩れ落ちそうな体を抱きしめるように受け止める。
「“そいつ”を連れて、リベリオンの奴等と逃げろ!!」
「ですがっ!」
その迷いを、サリバンの怒声が断ち切った。
「行けっ!!!」
その一言で、リンウェルは動いた。
――いや、リンウェルだけじゃない。
「引くぞ!」
「おう!」
俺の号令に、全員が一斉に動き出す。
カイとゴラン、イリスは後方にいる黒ローブの集団に襲いかかる。
カイが盾を前面に突き出し、黒ローブの包囲へ突っ込む。
その左をゴランとイリスが、右を八番領地のジラールとイマリが切り裂く。
あぶれた敵は、セシルの放つ矢が正確に射抜いていった。
俺は、まだ動けずにいるミスラの手を掴み、強引に引いた。
「行くぞ!」
「……ッ!」
遅れて、彼女の足が動き出す。
背後で、エンヴィーの剣を片手で受け止めたままの男が、小さく呟いた。
「ったく……余計な手間増やしてやがって……」
その声を背に、俺たちは南の柵を突破した。
――街中を、南へ。
走りながら目に入るのは、戦闘の“跡”。
崩れた家、焼け焦げた壁、倒れた人影。
さっきまでの喧騒が嘘のように、静かな破壊だけがそこに残っている。
「リオデルカ様達は!?」
「竜血四侯の出現は察知してるはずだ。手筈通り引いたに違いない」
ゴランが即答する。
(リオさんなら……大丈夫だ)
あの男なら、俺達より先に退路を確保している。
そう信じるしかなかった。
俺たちの中で決めていた、絶対の原則。
――“竜血四侯が現れたら、全てを捨てて退却する”
ワカナの力を知っているからこそ、今は勝てないと理解している。
「タイシ……ありがとう。もう大丈夫よ」
手を引いていたミスラが言う。
「本当か?」
振り返ると、彼女は自嘲気味に笑った。
だが、さっきまでの重さはない。
俺はゆっくりと手を離す。
彼女は自分の足で、俺たちの速度についてきた。
「そいじゃ、俺らはこの辺で失礼するぜ」
南門を抜けたあたりで、ジランドを背負いながら走るジラールが口を開く。
「え?」
カワナミさんが目を見開く。
「狙われてんのは、そっちのお姫様二人だからな。約定は果たした」
その言葉は、正しかった。
元々、八番領地は七番領地のちょっかいが止まるならということで、俺達に協力した。
そして今、それを止めることのできる七番領地の領主、アサヒナカエデは俺達の手の中にある。
(正確にはリンウェルの腕の中だが)
「で、でも!」
反論しかけた、その瞬間――
「すまんのぅ」
「うッ……」
イマリの優しさすら感じられる手刀が、彼女の意識を奪う。
「……」
「安心せい。少し眠ってもらうだけじゃ」
穏やかな笑顔。
「ああ……カワナミさんを……頼んだ」
「任せろ。……お前らも……死ぬんじゃねぇぞ」
ジラールはそう言うと、西に向かって舵を切った。
「健闘を祈っておる!」
最後尾でカワナミさんを抱えるイマリがそう言うと、八番領地の一団はペースを上げて走り去っていった。
「よし! 俺達も――」
その時だった。
「ア……サヒ……」
「カエデ様!?」
リンウェルの腕の中で、アサヒナさんが声を漏らす。
「ア……サヒ……」
「しゃべるな! 今助ける!」
本来なら殺さなければならない相手。
だが、そう言うしかなかった。
「アタ……シを……殺せ……」
「!!」
空気が凍りつく。
「何を……言ってる……」
「このままじゃ……ゴホッ……!」
吐血。
リンウェルの足が止まる。
「止まるな! リンウェル! 走れ!」
ゴランが叫ぶ。
だが――リンウェルは動かない。
静かに、アサヒナさんを地面へ下ろした。
「リンウェル!? 何を!?」
「間に合いませんわ」
「え……?」
「もう……もちませんわ!!」
声が震える。
「カエデ様は……」
顔を上げる。
涙の奥に、強い光。
「“自分を殺し、十六番領地に七番領地を与えるな”と……!」
「な……」
「ありが……とう……リン……ウェル」
先ほどまでとは違い、穏やかな表情のアサヒナさんが、震える手でリンウェルの涙を拭う。
そして、リンウェルに支えられながら、ゆっくりと体を起こした。
「わるいな……アサヒ……サクラに……謝っといてくれ……」
「そんなこと……ッ」
俺は言葉に詰まる。
(自分で謝れよ!)
彼女はそんな俺を見ると、優しい笑みを浮かべた。
そして――腰に隠していた短剣を、俺に差し出す。
「これで……アタシを……殺せ……」
その目は、揺れていなかった。
「ッ……!」
理解している。
理解しているからこそ――。
俺はゆっくりと彼女の前にひざまずき、震える手で短剣を受け取る。
「タイシ……」
ミスラの声。
(やらなきゃいけない……)
(でも――)
その瞬間。
ドンッ――!!
空から、影が落ちた。
「ったく。あんま遠くに行ってなくて助かったぜ」
男が降り立つ。
その両腕には、イシダと、血塗れのエンヴィーを抱えていた。
「もう追いついてきたか……」
男はイシダをその場に下ろすと、
「ほらよっ」
もう一方の腕に持つエンヴィーを放った。
「っと!」
ゴランがそれを受け止める。
そして、すかさず怪我の具合を見た。
「安心しろ。“そいつは”生きてる。血はそこそこ流してるが致命傷は与えてねぇ」
つまらなそうな顔をして言う。
「おい……おまえ……」
「あん?」
イリスの声に男が反応した。
だがイリスの視線は男にはない。
「おまえが手に持ってる“それ”はなんだ……」
イリスの視線の先にいるのはイシダだ。
「あぁこれかい?」
イシダは手に持つものを両手で差し出すように見せてきた。
まるで、自分の行いを誇るかのように。
「ッ!!」
「僕からカエデを奪った悪いやつの首だよ?」
イシダの手に掲げられたもの。
――サリバンの首。
イリスの中で、何かが弾けた。
「貴様ァァ!!」
二本の剣を手に持ち駆け出す。
「!」
「落ち着け! 気持ちはわかる! わかるが! 今はダメだ!!!」
それを止めたのはカイだった。
「離せ!! あいつを! あいつは!」
その混乱を、男は一切気にしていない。
「盛り上がってるところわりぃが」
「タクミ、お目当ての“もの”は五体満足なら生きてようが死んでようが、どっちでもいいんだよな?」
「あぁ。僕は彼女さえ“完全な状態”で手に入るなら生死は問わないよ」
「そうか」
そう言うと、男は背中の大剣に手をかける。
「ッ!!」
そして、地面を蹴った。
――俺は自分の見る世界が、引き伸ばされるのを感じた。
カイは……俺とアサヒナさん、そしてリンウェルの前へ躍り出ると盾を構える。
リンウェルは……アサヒナさんを庇うように、彼女の背を抱きしめる。
そしてアサヒナさんは……短剣を俺の手に握らせた。
ズシュッ
鈍い音が響く。
何が起きたのか、わからない。
ミスラとイリスが何かを叫んでいる。
だが――耳には届かない。
視界の端で、赤がゆっくりと広がっていく。
それが何なのか、すぐには理解できない。
ただ、温かい飛沫が頬にかかり、鉄のような匂いが鼻を刺す。
遅れて、重たい衝撃が腕に伝わってきた。
――俺の手は、アサヒナさんの暖かな手に包まれながら、確かに何かを貫いている。
「……え……?」
喉が震え、かすれた声が漏れる。
目の前にあるのは、アサヒナさんの顔。
その瞳が揺れ、口元が何かを言おうとして――止まる。
俺は視線をアサヒナさんの背にいる二人へ移す。
カイの盾。
その奥にある体をも突き抜けた、大剣の刃。
その延長線上に――崩れ落ちるリンウェル。
すべてが、一本の線で繋がる。
理解が――
遅れて、追いついた。
追いついてしまった。
男の剣は、カイの盾ごと体を貫き、リンウェルにまで到達する。
そして俺の手は――
アサヒナさんの手に導かれたまま、彼女の心臓を貫いていた。




