第五十八話 伏兵
おはようございます!
また評価を頂き、ありがとうございます!
とても励みになります!
引き続きよろしくお願いいたします。
――七番領地、街の南門付近
真上から差し込む陽光が、石造りの南門とその周囲を白く照らし上げていた。
乾いた風が街路を抜け、砂埃をわずかに舞い上げる。
つい先ほどまでの喧騒が嘘のように、人の気配は薄い――だが、完全に静まり返っているわけではない。
遠くからは、押し殺されたようなざわめきと、金属の触れ合う音が微かに響いていた。
「いいか! 武器を持たぬ者を殺すことは禁止だ! 向かってくる者だけを仕留めろ!」
男の乾いた声が、門前の空気を鋭く裂いた。
命令を受けた兵士たちは、緊張を滲ませながらも短く応じ、それぞれの持ち場へと散っていく。
「ここまでは順調だな、ハンス」
南門をくぐりながら、リオデルカが周囲を一瞥しつつ言った。
その声音は落ち着いているが、視線は常に動き、街の細部まで見逃すまいとしている。
「はい。しかし……よろしかったのですか?」
ハンスと呼ばれた男は、足を止めることなく問いかける。
だがその横顔には、どこか引っかかるものが残っているようだった。
「なにがだ?」
「その……リリィ嬢のことです」
ハンスの視線がわずかに落ちる。
昼の光が彼の頬に影を作り、その迷いをより濃く見せていた。
「言葉にはしていませんでしたが、あんなに行きたそうにしていたのに……」
「そうだな……しかし陛下の勅命だ」
即答ではあったが、リオデルカの声はどこか柔らかい。
ただ命令を盾にしたのではない、理解した上での決断だと感じさせる響きだった。
「それは……そうですが」
言い淀むハンスに、リオデルカはふっと優しい笑みを向ける。
「おまえの気持ちもわかる。リリィの強さ……みすみす領内に置いておくのは、惜しかろうな」
「……」
ハンスは答えない。
だが、その沈黙がすべてを物語っていた。
「だがワシは、良かったと思っておる」
「アリアのことですか?」
「あぁ。あやつをリリィの側につける。そうすれば、あやつもここに来る必要がなくなる」
風が二人の間を吹き抜ける。
どこか張り詰めた空気が、ほんのわずかに揺らいだ。
「ですが……」
「あぁ、いつかは戦場に立つだろう」
リオデルカの言葉は短い。
だがその一言には、避けられぬ未来への理解と覚悟が込められていた。
「……」
「まぁ今はよい。目の前のことに集中せねばな」
「……はい」
ハンスは小さく頷く。
その時、リオデルカの視線がふと横へ流れた。
「おぬしもそう思うだろ? “サクラ”殿」
「はい」
やや強張った声で答えたのは、若い少女だった。
整えられた装束に身を包みながらも、その指先はわずかに震えている。
「そんな顔をするでない。そなたの兵士たちが不安を感じてしまうぞ」
「……! ……そ、そうですね」
彼女ははっとしたように顔を上げ、無理にでも口元を引き上げる。
だが、その笑みはぎこちなく、かえって緊張を際立たせていた。
「ふむ……笑ったほうが不安を感じてしまうか……」
リオデルカはいたずらっぽく目を細める。
「えぇぇぇ」
「リオデルカ殿、あまり我が主をからかいなされるな」
すかさず、少女の脇に控える老人が口を挟んだ。
年季の入った鎧に身を包み、その視線は鋭くも落ち着いている。
「はっはっはっ!」
リオデルカは豪快に笑う。
しかし当の二人は苦笑を浮かべるばかりだった。
「では、これより先は手筈通り、そちらの兵はこちらでお預かり致します」
「あぁ、ハンス殿。我らの兵を頼んだ」
老人――ジランドの言葉に、ハンスは無言で頷く。
「サクラ殿とジランド殿は、領主邸へ向かうのだったな?」
「ええ。私は気乗りしませんが……」
そう言いながら、ジランドはちらりとサクラへ目をやる。
「行かなきゃいけないんです。ちゃんと自分で……この目で……」
サクラは、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
その瞳には、恐れと、それでも前へ進もうとする強い意志が宿っている。
「我らが陛下同様、好きにするがよい」
リオデルカは穏やかに言う。
「ただし、何があるかわからん。気をつけるのだぞ」
「ありがとうございます……リオデルカさん」
サクラは深く一礼し、踵を返す。
ジランドと数名の武装兵がそれに続き、やがて街の奥へと姿を消していった。
その背中が小さくなっていくのを見送りながら、リオデルカがぽつりと呟く。
「……戦争を知らぬ領主か……可哀想にな」
同情とも、あるいは予感とも取れる声音だった。
「そうですね。しかし、やってもらわねばなりません」
ハンスが応じる。
「そうだな……」
リオデルカは遠くを見つめる。
昼の光の中で、サクラの背中はすでに人波に紛れて見えなくなっていた。
――その時だった。
「ご報告致します!」
背後から、切迫した声が飛ぶ。
振り返ると、一人の兵士が息を切らせながら駆け寄ってきていた。
「なんだ!?」
ハンスが鋭く問い返す。
「斥候からの情報によりますと、東の街道沿いに、兵士が多数!」
「!!」
二人の表情が一変する。
「どこの兵だ!?」
「は、はい! 所属は不明です! ですが……兵士は皆、死んだような目で……まるで屍のように行進しているとのこと!」
「なん……だと!?」
ハンスの思考が一瞬止まる。
対してリオデルカは腕を組み、静かに目を閉じた。
「この機に乗じて……予想していなかったわけではないが……」
低く、思考を巡らせる声。
「リオデルカ様?」
「まさか……十六番領地が動くとはな……」
「十六!?」
リオデルカはゆっくりと目を開く。
その瞳には、すでに迷いはない。
「ハンス! 兵を南門前に呼び戻せ! 東門から柵伝いに来る敵を迎え撃つ!」
「はっ!」
ハンスは即座に動き出す――が、
「お待ちください!」
報告兵の声が、それを引き止めた。
「なんだ!? まだあるのか!?」
焦りと苛立ちが混じる怒声。
兵士は思わず一歩後ずさる。
「これ、ハンス。怯えさせてどうする」
「も、申し訳ございません……」
「良い。続けよ」
「は、はい! 東に現れた軍勢は……一直線に街中へ向かっている模様です!」
「!?」
リオデルカの目が見開かれる。
「どういうことだ……? まさか、一気に領主邸を襲い、今いる領主三人をまとめて……?」
思考が加速する。
だがすぐに、その可能性を自ら否定するように首を振った。
「いや……我々の介入が読めぬはずがない……街中で軍勢をぶつけるなど、復興どころか街そのものを壊しかねん……」
「リオデルカ様……?」
「……意図が読めん。領主三人を狙うにしても無謀すぎる……」
「……あの、リオデルカ様?」
「ん……ああ、すまん」
思考を一度切り、現実へと戻る。
「相手の意図は読めんが、手をこまねいているわけにもいかん。今から東に展開しても間に合わぬだろう」
「……」
ハンスは黙って聞く。
「ならば、不本意だが――街中で迎え撃つ!」
「しかし! まだ制圧しきれておりません!」
「わかっておる! だからこそ、今の軍勢を西へ展開しつつ制圧を続ける!」
ハンスの目に理解が宿る。
「なるほど……東に我ら、中央に七番領地軍、そして西に十六番領地軍……」
「ああ。領主邸が危険になるが……あやつらなら大丈夫だろう」
「承知しました!」
ハンスは一礼し、駆け出した。
その背を見送りながら、リオデルカは小さく息を吐く。
「まったく……聞いていた通り、何を考えているかわからん薄気味悪さだな……“イシダ タクミ”」
遠くで再び、金属音が鳴る。
戦いの気配が、確実に近づいていた。
リオデルカはその音に耳を澄ませると――
静かに、だが迷いなく、街の中へと一歩踏み出した。




