第五十七話 ミスラ vs リンウェル
――七番領地、領主邸中央玄関前
乾いた金属音が響き渡る石畳の上で、今、二人の女が対峙している。
「それにしても殿下。ずいぶんとお甘い領主様を、お慕いしているのですね」
真紅の戦装束に身を包んだリンウェルは、微笑みを浮かべながら言った。
「それは、タイシのことを言ってるのかしら? とってもかわいいでしょ?」
ミスラは双槍を改めて構える。
“元”王女ミスラと、“元”侯爵令嬢リンウェル。
二人の接点は、過去に数度、華やかな夜会で言葉を交わした程度に過ぎない。
しかし今、この場にドレスの衣擦れの音はなく、ただ冷徹な鉄の匂いだけが立ち込めていた。
「それはそうと、あなた……私たちを迎えに来たとき、腹痛ジェイクが“偽物”だって気づいていたわよね?」
今度はミスラが口を開く。
「……ええ」
「なぜ、報告しなかったの?」
「……」
静寂が辺りを包む。
やがて、リンウェルがゆっくりと口を開いた。
「私も、イリスと同じで、今の統治には思うところがありますの」
「!」
ミスラの瞳が、わずかに期待を帯びて揺れる。
「でも、私は……この地に“騎士”として来ました」
「……」
「騎士たるもの、思うことがあろうとなかろうと、簡単に主を裏切ることなどできませんわ!」
「品行方正のクロフォード家……ね」
ミスラは納得する。
納得した上で、言葉を紡ぐ。
「……リンウェル。あなたの覚悟はわかったわ。でも、あなたがここで命を捨てる必要はないはずよ」
その声には、隠しきれない躊躇いが混じっていた。
淑やかな令嬢であったはずのリンウェルと刃を交えることは、本意ではない。
最後の望みを込めての言葉。
だが、リンウェルは一切の揺らぎを見せなかった。
白銀の剣先は、ミスラの喉元を一点に見据えている。
「お言葉ですがミスラ様、私は命を捨てに来たのではありません。
私の信じる正義を貫きに来たのですわ。……覚悟はとうにできておりますの」
お嬢様言葉の端々に、鋼のような意志が宿る。
次の瞬間、リンウェルが地を蹴った。
「はあっ!」
「ッ!!」
鋭い踏み込みと共に、一閃。
細剣が流星のごとくミスラの胸元を襲う。
ミスラは双槍を交差させ、それを受け流す。
重い衝撃が腕に伝わった。
(……なんて迷いのない突きなの)
ミスラは驚愕する。
自分は「かつての知人」という感傷に引きずられ、槍の矛先が鈍っている。
対してリンウェルは、かつての身分も、夜会の思い出も、すべてを剣の鋭さへと変えていた。
リンウェルの猛攻は続く。
フェンシングの型を基礎としながらも、それは実戦の狂気を孕んでいた。
「“ミスラ・シルフィード”! 迷っている暇などございませんわよ。
私を斬らねば、貴女の道はここで途絶えますわ!」
突き、払い、そして刺突。
リンウェルの細剣が、ミスラの頬を薄く裂いた。
鮮血が夜風に舞う。
その痛みと、リンウェルの真っ直ぐな瞳が、ミスラの心の霧を晴らした。
(……失礼だったのは、私の方ね)
ミスラは小さく吐息をつき、二振りの槍を低く構え直す。
その瞳から迷いが消え、凍てつくような戦士の顔が戻る。
「……わかったわ。“リンウェル・クロフォード”。あなたの覚悟、その身で受け止めるわ!」
空気が変わった。
ミスラの双槍が、生き物のようにうねり始める。
リンウェルの細剣が、静かに震えた。
否――震えているのは空気の方だった。
次の瞬間、彼女の足先がわずかに滑る。
石畳を撫でるような、音すら立てぬ踏み込み。
「――参りますわ」
囁くような宣言と同時に、その姿が流れるように前へと伸びた。
一直線の刺突。
だが、それは単なる“直線”ではない。
わずかに軌道を揺らし、受ける側の判断を狂わせる、計算された揺らぎ。
「……速いっ!」
ミスラは双槍の一本で受け、もう一本で軌道を逸らす。
キィン――と澄んだ音。
火花が夜気の中で小さく弾けた。
その火花を追うように、リンウェルは半歩、さらに踏み込む。
刺突が外れた瞬間、すでに次の一手へと移行している。
手首の返し。
刃の反転。
まるで舞踏のターンのように、流麗な動きで再び喉元を狙う。
(この人……止まらない……!)
ミスラは一歩引く。
だが、その後退すら読まれている。
リンウェルは距離を詰めることに一切の躊躇を見せない。
貴族として磨かれた優雅な所作が、そのまま“間合いの支配”へと昇華されていた。
「逃がしませんわ」
細剣が空気を裂く。
鋭さの中に、どこか冷たい美しさがあった。
ミスラは槍を回す。
一本を盾のように構え、もう一本で牽制する。
だが――
「甘いですわ」
リンウェルの剣先が、槍の“隙間”を縫う。
まるで糸を通す針のように、わずかな空間へと正確に差し込まれる。
「っ――!」
ミスラは咄嗟に身体を捻る。
細剣が頬をかすめ、銀髪の一房がふわりと宙に舞った。
遅れて石畳に落ちる。
その一瞬の静寂。
だが、戦いは止まらない。
リンウェルはそのまま一歩、円を描くように回り込む。
側面を取る動き。
優雅なステップ。
それはまるで、夜会でのダンスの延長線上にあるかのようだった。
(……そうか、リンウェルにとっては――)
ミスラの中で、何かが繋がる。
これは戦いでありながら、“在り方”そのものなのだと。
騎士としての所作。
貴族としての誇り。
それらすべてが、今この剣に宿っている。
「……美しいわね」
思わず、口をついて出た。
リンウェルの瞳がわずかに細まる。
「恐れ入りますわ」
その言葉とは裏腹に、攻撃の手は緩まない。
むしろ、わずかに加速した。
そして、また突く。
呼吸のように繰り返される連撃。
その一つ一つが、過不足なく研ぎ澄まされている。
ミスラは受ける。
受けながら、観る。
観ながら、読み取る。
(直線的……でも、完全に直線じゃない。揺らぎで惑わせてる……なら――)
ミスラの足が止まった。
一瞬の静止。
その“隙”を、リンウェルは見逃さない。
「いただきますわ!」
一直線の刺突が、迷いなく放たれる。
――その瞬間。
ミスラの身体が、わずかに沈んだ。
槍が回る。
一振りではない。
二振りが互いに干渉し合いながら、螺旋を描く。
ガキィン――ッ!
細剣が、その渦に絡め取られる。
「……なっ!?」
初めて、リンウェルの声に揺らぎが混じった。
刺突の“芯”が外される。
力の方向を逸らされ、剣先がわずかに泳ぐ。
そのわずかな狂いが、決定的な差となる。
ミスラは踏み込む。
先ほどまでの受け身とは違う、“攻め”の一歩。
双槍が、まるで一対の生き物のようにしなやかにうねる。
右が誘い。
左が本命。
――いや、その逆か。
視線すら欺く連携。
リンウェルは即座に後退する。
だが、完全には間に合わない。
槍の穂先が、彼女の袖を裂いた。
布が裂け、白い肌がわずかに覗く。
「……っ」
だが、その表情に動揺はない。
むしろ――
「なるほど……そう来ますのね」
わずかに、笑った。
戦場においてなお、気品を失わない笑み。
その足取りが、再び整う。
構え直される細剣。
だが今度は、先ほどとは違う。
より慎重に。
より深く、“見極める”構え。
対するミスラもまた、槍を構えたまま動かない。
二人の間に、静かな間合いが生まれる。
風が吹く。
衣が揺れる。
血の匂いすら、どこか遠く感じられた。
――次で、決まる。
互いに、そう理解していた。
リンウェルの細剣が突く一点を、ミスラは螺旋を描く槍捌きで絡め取り、その芯を外す。
圧倒的な技量の差。
ミスラが踏み込むたび、リンウェルは一歩、また一歩と後退を余儀なくされる。
石畳に激しい火花が散る。
ミスラの右の槍がリンウェルの側頭部をかすめ、左の槍が彼女の細剣のガードを強引にこじ開けた。
「これで終わりよ」
ミスラが鋭く踏み込む。
リンウェルは必死に剣を戻そうとしたが、ミスラの動きの方が一段速かった。
双槍の柄がリンウェルの手首を打ち、細剣が虚空を舞って石畳に突き刺さる。
同時に、鋭い矛先がリンウェルの喉元でぴたりと止まった。
静寂が戻る。
リンウェルは荒い息をつきながら、自身の首筋にある冷たい鉄の感触を見つめていた。
「……見事ですわ、ミスラ様」
リンウェルは力なく笑みを浮かべる。
敗北したというのに、その表情には一片の悔いもない。
彼女は乱れた髪を指先で整え、戦場の只中であることも忘れ、かつて夜会で見せたのと同じ、完璧なカーテシーを捧げた。
「参りましたわ。……私の負けです」
ミスラはゆっくりと槍を引いた。
リンウェルの覚悟に敬意を表すように、彼女もまた小さく頷いた。
だが――中庭に響く剣戟の音は、まだ止まらない。
この戦いは、まだ終わっていなかった。




