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第五十六話 ぶつかる刃

「ん……了解……」



俺の声に応じたのは、小さな少女の声だった。


その声は、正面玄関前の中庭を取り囲むように設けられた塀の上から聞こえてきた。



「……なんだ?」



あまりにも小さな声だったためか、アンソニーは気づいていない。


少女は手にした弓を構えると、腰の後ろに提げた矢筒から二本の矢を引き抜く。


そして――狙いを定める素振りすら見せず、その二本を立て続けに放った。


放たれた矢は、一直線にアンソニーへと向かう。


狙いを定めていないはずなのに。



「チッ!!」



アンソニーがそれに気づいたのは、一歩遅かった。


回避しようにも、両脇に抱えているザインとアリーザが足枷になる。


一瞬でそう判断すると、彼は二人を手放し、後方へ飛び退いて矢を躱した。



「うぉぉおぉぉ!!」



正面玄関へ向け、カイが突進する。


行く手を阻もうとした兵士二人を難なく斬り捨てると、ザインとアリーザを飛び越え、そのままアンソニーと対峙した。



「ジェイク……二人を頼む」



「お任せくださいっす!!」



カイは、いつの間にか背後に回っていたジェイクへ声をかける。


ジェイクは笑顔で頷き、ザインとアリーザを抱え上げた。



「さて……」



それを見届けると、俺はゆっくりと口を開く。


その時、塀の上の少女から一本の槍が投げ込まれた。


――それは、いつも俺が使っている槍だった。


槍は回転しながら空を裂き、俺の目の前に深々と突き刺さる。



「ありがとう、セシル」



「ん……もう……この服、いらない」



セシルはそう呟くと、身につけていたインペリアルガードの装備を無造作に脱ぎ捨てた。



「さて……改めて、アサヒナさん」



「……」



「俺も覚悟を決めたよ」



アサヒナさんは答えない。ただ静かに、こちらへ視線を向ける。



「白黒つけようじゃないかっ!!」



その一言を合図にしたかのように、中庭にいる全員が一斉に動き出した。


刃と刃がぶつかり合う音が、中庭を支配する。






――七番領地、領主邸中庭中央


広大な芝生の中央で、二人の男が対峙していた。


一人は、岩山を思わせる巨躯の拳使い、ゴラン。


対するは、ゴランの胸元ほどの背丈しかない小柄な青年、エンヴィー。


彼は身の丈ほどもある無骨な大剣を、重さを感じさせぬ仕草で構えていた。



「いやあ、参ったな。よもや俺より小さなあんたに、腕力で競り負けるとは」



ゴランは屈託のない笑みを浮かべ、痺れた拳を振る。


ステータス差による筋力の差は、いかんともしがたい。


だが、大柄な自分が力負けするという状況を、彼はむしろ楽しんでいた。


対するエンヴィーは、戦いそのものを汚らわしい儀式のように感じているのか、伏せ目がちに呟く。



「……もういいでしょ。無意味だよ」



「そう言うなよ。あんたみたいな強者、放っておけるかよ!」



ゴランが地を蹴った。


巨体に似合わぬ鋭いステップで密着し、目にも止まらぬ速さで左ジャブを放つ。


エンヴィーは大剣の腹で受け流そうとしたが、ゴランの狙いはその先だった。


流れるような動作で放たれた右ストレート。


それがエンヴィーの防壁をすり抜け、白い頬を鋭く掠めた。


一筋の赤い線が走り、鮮血が芝生に滴る。


その瞬間、その場の空気が一変した。



「……っ」



エンヴィーが傷口を指でなぞり、指先に付いた赤を見つめる。


戦いを厭っていた彼の瞳から光が消え、代わりに底なしの昏い殺意が宿った。



「……やったね。僕を」



エンヴィーの雰囲気が、静寂から嵐へと変貌する。


爆発的な踏み込み。


先ほどまでの「守り」の剣ではない。


大地を砕き、空気を切り裂くような、狂暴なまでの「攻め」の連撃が始まった。


大剣が唸りを上げ、ゴランの視界を銀色の閃光が埋め尽くす。



「おっと……! ああ、そうこなくっちゃあな!」



ゴランは紙一重で首を逸らし、直撃を免れる。


力任せに見えて、その一撃一撃が正確に急所を捉えていた。


エンヴィーの足元で、芝が――ぶつり、と音を立てて裂けた。


次の瞬間、彼の姿が消える。


否、消えたように見えただけだ。常人の視界では追えぬ速度で、一直線にゴランの懐へと踏み込んでいた。



「……っ!」



咄嗟にゴランは腕を交差させる。


直後、凄まじい衝撃が両腕を貫いた。


ガギィン――ッ!!


鈍い金属音にも似た音が響き、ゴランの巨体が後方へ弾き飛ばされる。踵が地面を削り、芝と土が盛大に巻き上がった。



(重てぇ……! さっきまでと別物じゃねぇか……!)



受け止めた腕の骨が軋む。


だが、痛み以上にゴランの頬は吊り上がっていた。


対するエンヴィーは、一切の間を置かない。


振り抜いた大剣を、まるで枝でも扱うかのように軽々と引き戻し、次の一撃へと繋げる。


横薙ぎ。


振り下ろし。


突き。


それらが“技”としてではなく、“衝動”として連なっていく。


だが――その全てが、異様なまでに正確だった。



「ちっ……!」



ゴランは体を捻り、紙一重で刃を躱す。


だが避けきれなかった風圧だけで、頬の皮膚が裂け、血が滲んだ。


遅れて――地面が裂ける。


ズドンッ!!


遅延した衝撃が石畳を叩き割り、破片が弾け飛んだ。



(見えてからじゃ間に合わねぇ……! 先を読むしかねぇな!)



ゴランは防御の構えを崩さず、視線だけでエンヴィーの重心を追う。


肩の入り。


腰の捻り。


踏み込みの角度。


それらを総合して、次の一撃の“予兆”を拾う。


――来る。


ゴランは半歩だけ踏み込んだ。


回避ではない。“潜り込む”ための前進。


エンヴィーの振り上げた刃が、上段から叩き落とされる。


常人ならば、そのまま真っ二つだ。


だがゴランは、その軌道の内側へと身体を滑り込ませた。


大剣が鼻先を掠める。


一瞬でもタイミングを誤れば、頭部は消し飛んでいた。



「ははっ……! いいねぇ!」



懐に入ったゴランは、そのまま体重を乗せた体当たりを仕掛ける。


ドンッ!!


鈍い衝撃音が響いた。


だが――



「……軽い」



低く、冷えた声。


エンヴィーの身体は、ほとんど揺るがない。


逆に、その場で踏み止まりながら、至近距離にも関わらず大剣を振り抜いた。



「なっ――!?」



あり得ない間合い。


常識では考えられない軌道。


ゴランは咄嗟に身を逸らすが、避けきれない。


ザシュッ――!


肩口が深く裂け、血飛沫が舞った。



「ぐっ……!」



たまらず距離を取るゴラン。


だが、その隙すらエンヴィーは見逃さない。


踏み込み。


追撃。


連撃。


息継ぎすら存在しないかのような猛攻。



「おいおい……! 止まる気ねぇのかよ!」



笑いながらも、ゴランの呼吸は徐々に荒くなる。


腕で受ける。


逸らす。


躱す。


そのすべてがギリギリだ。


一手でも遅れれば、即座に致命傷へと繋がる。



(こいつ……ただキレてるだけじゃねぇ……!)



ゴランの背に、じわりと冷たい汗が滲む。


力では劣るゴランは防御に回らざるを得ず、腕にはみるみるうちに裂傷が増えていく。


――その時。


エンヴィーの足運びが、ほんのわずかに乱れた。


ほんの一瞬。


呼吸の継ぎ目にも満たない隙。


だが、戦場においては致命的な“綻び”。


ゴランの目が、獲物を捉えた獣のそれに変わる。



(――見えた!)



ゴランの瞳は輝きを増していた。



(へ……やっぱり俺もジュラ出身だな……)



ジュラの戦士は死線を楽しむ。


ゴランもまた、この戦いを心から楽しんでいた。


上段からの猛烈な振り下ろし。


ゴランはそれを両拳で受け止めず、あえて力を逃がすように、柳のごとく受け流した。


大剣が地面に叩きつけられ、中庭の石畳が派手に爆ぜる。



「どうした? 息があがってるぜ?」



「ッ!」



肩で息をするエンヴィーが、初めて感情を露わにする。


ゴランの反撃が始まった。


力で抗うのを完全にやめ、巨体を生かした柔軟な動きで剣筋の隙間を縫う。


エンヴィーが苛立ちに任せて横一文字に薙いだ瞬間、ゴランはその懐へ、沈み込むように潜り込んだ。



「そらよっ!」



放たれたのは、全身のバネを拳一点に集中させたショートアッパー。


エンヴィーは咄嗟に剣の腹で防ぐが、その衝撃で初めて数歩、後ろへと退がった。



「……っ、しつこい……!」



エンヴィーが奥歯を噛み締め、感情を露わにする。


徐々に、体力の差が露骨に現れ始めていた。


ゴランは止まらない。


リズムを刻み、フェイントを混ぜ、執拗にエンヴィーの死角を突く。



「楽しいなあ、おい! あんたの剣、少しずつ見えてきたぜ!」



ゴランの拳が、エンヴィーの肩、脇腹、そして耳元をかすめていく。


一撃の重さでは劣るが、手数では圧倒的にゴランが上回り始めた。


嵐のような連打が、小柄な剣士を次第に押し返していく。


最後の一撃。


ゴランの右ストレートが大剣の鍔を捉え、その衝撃でエンヴィーの体勢を大きく崩したところで、二人はピタリと動きを止めた。


砂塵が舞う中庭中央。


ゴランは肩を上下させ、血まみれの腕を拭いながらも、満面の笑みを浮かべた。



「ふぅ……。殺すにゃ惜しいな。お前、リベリオンにつけよ!」



エンヴィーは乱れた呼吸を整え、昏い瞳でゴランを睨みつける。



「……殺す」



吐き捨てるようにそう言うと、地面を蹴った。



「ああ、そうだな。そうこなくっちゃな!」



そう言うと、ゴランもまた、地面を蹴った。


二つの影が、再び中庭の中央で激突する。


その轟音は、始まったばかりの戦いがまだ終わらないことを、誰よりも雄弁に告げていた。


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