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第五十四話 イリスの願い

「本題に入ろうか」



彼女は、決意を宿した目をこちらへ向ける。


その視線は、まるで抜き身の刃のように鋭く、冷たかった。



「……」



(ダメだ……飲まれるな)



胸の奥で自分に言い聞かせる。


膝の上で、無意識に拳を握りしめていた。



「……その前に……」



「あん?」



わずかに顎を上げ、アサヒナさんがこちらを見る。



「一つ聞きたい」



「……なんだよ?」



さっきまでの軽さは消え、明確な警戒がその表情に浮かんでいる。


中庭を抜ける風が、二人の間をすり抜けた。


俺は一度、深く息を吸い込む。



「なぜ、俺の命を狙った?」



「……」



彼女は答えない。


ただ、視線だけがさらに鋭くなる。



「いや、言い方を変えよう」



言葉を重ねる。



「なぜ、命を狙った俺に同盟なんて提案してきた?」



「……」



互いに、視線を逸らさない。


まるで、どちらが先に瞬きをするかを試しているかのようだった。


音が消える。


遠くで揺れていた木々のざわめきさえ、意識から遠のく。


アサヒナさんの背後――控えていた騎士たちの指が、わずかに動く。


空気が張り詰め、次の瞬間には何かが起きてもおかしくない、そんな緊張。



「……はは……」



小さな笑い。



「?」



「はっはっはっは!」



次の瞬間、それは豪快な笑い声へと変わり、静寂を叩き割った。



「やっぱ気づいていたのか。アサヒ」



「あぁ」



短く答える。



「昨日、エンヴィーを“見た”時か?」



「いや……それは確信した時だ」



エンヴィー。


アテーナで俺達を襲撃したサブクラス持ちの大剣使い。


双剣使いは“隠遁者のローブ”によって正体は分からなかったが、大剣使いのエンヴィーのステータスはしっかりと見ていた。


そして、アンソニーが軍事施設を理由に視察を断ってきた理由の一つに、エンヴィーを軍事施設に匿う目的があったのだろう。


エンヴィーは本来、この場が来るまでは隠しておきたかった存在だ。


アサヒナさんは、ニタっと笑う。



「そうか……じゃあこいつがゲロったか?」



そう言いながら、彼女は右手の親指で背後の騎士の一人を示す。



「!?」



意外にも、目を丸くしたのはエンヴィーだけだった。



「やはり気づいておいででしたか」



指された騎士――イリスが、静かに口を開く。



「まぁな……アタシはこう見えて人の感情には敏感なんだよ。


 お前が“アタシのやり方”を良く思ってないってのはわかってたしな」



アサヒナさんは、首をわずかに傾けながらイリスを見る。



「そうですか……でも……私は話しておりません」



イリスは表情を変えない。



「へぇ……」



短く興味を示すと、再びこちらへ視線を戻してくる。


その視線を受けながら――






俺の意識は、あの日の夜へと引き戻されていた。


――七番領地の使者が訪れた、その夜遅く。


灯りを落とした執務室には、机の上のランプだけが静かに揺れていた。


その光の中で、俺とリオデルカが向かい合っていた時――


扉が、控えめに叩かれる。


シェリーに案内されて現れた人物を見て、



「イリス!?」



「お前か!?」



俺とリオデルカの声が、驚きに染まる。



「夜分遅くに申し訳ありません。陛下、リオデルカ様」



イリスは静かに一礼した。



「……」



「……」



言葉が出ない。


予想外すぎる訪問に、思考が一瞬止まる。


だが同時に、警戒も走る。



「それでは私は、お茶でも入れて参ります」



場の空気を読んだのか、シェリーは穏やかな笑みを残し、部屋を出ていこうとする。



「あ……その……ありがとうございました……」



イリスが戸惑いながら礼を述べる。


その声音には、どこか場違いな緊張……いや、困惑が混じっていた。


扉が閉まる。


静寂。



「それで何用だ?」



最初に口を開いたのはリオデルカだった。


声音はすでに、いつもの威厳を取り戻している。



「は!失礼しました!」



イリスは姿勢を正し、改めて頭を下げる。



「それで?」



短い追及。



「はい。実は……」



一度、言葉を切る。


そして――


拳を強く握る。


まるで、自分自身を奮い立たせるように。



「七番領地を救って頂きたく馳せ参じました!」



「「!?」」



彼女は言い切った。


空気が一変する。



「どういうことだ?」



「七番領主、アサヒナカエデは、領内の子供たちを人質に、領民に恐怖を植え付けています」



(アサヒナさんが!?)



理解が追いつかない。


だが、言葉は容赦なく続く。



「その支配から、七番領地を救って頂きたいのです!」



「……」



俺が混乱し、リオデルカが静かに思考を巡らせている間、執務室を静寂が包んだ。


そしてゆっくりと、リオデルカが口を開く。



「なるほどな。


 例え血がつながっておらずとも、従わなければ目の前で子供達を殺す、とでも言えば、領民達の心は揺れる。


 そして、その矛先がいつ自分に向くかと考えるわけだ」



淡々と結論を口にする。



「はい……」



「戦略的には合理的だが……正義感の強いそなたには耐え難い、というわけか」



「はい……」



イリスは視線を落とす。



「……どう思う?」



リオデルカが俺に振る。



「……」



頭の中が、ひどく混乱していた。



「正直……信じられません……あのアサヒナさんが……」



「そうか……だが人は変わる。極限に置かれればな……そなたがそうだったように」



「!?」



言葉が刺さる。



「ワシもまだ半信半疑だが……似た噂は耳にしておる」



(恐怖で支配する七番領地……)



胸の奥に引っかかるもの。



「一つ聞いていいか?」



俺はイリスを見る。



「なんなりと」



「なぜ、アテーナ……いや十四番領地で俺達を襲っておいて、この話を持ってきた?」



「!?」



イリスの表情が揺れる。



「……」



リオデルカもわずかに目を見開いた。



「気づいておいででしたか……」



(やっぱりか)



「いや、かまをかけただけだ」



「!?」



「その腰につけているのは片手剣だが、お前のサブクラスはグラディエーター。二刀流使いだ」



「……」



「この領地にはいないサブクラスだが、リオさんやミスラ、竜血四侯から接触があった国の重鎮達がいてな。


 その辺の情報も少しはあるんだ」



イリスが視線を落とす。



「あの日、“隠遁者のローブ”を着ていたのはお前だな?」



淡々と説明し、イリスを見る。



「……はい」



「それで?命令か?アサヒナさんの」



「……はい」



「そうか……」



あまりにあっさりした返答に、



「!?」



今度はイリスが困惑の表情を浮かべた。



「それだけですか?」



「知りたかったのはそこだけだ。別にお前を責めたりなんかしない」



「しかし……私は……」



「あの時、お前は本気じゃなかっただろ?」



「!?」



「ほう……それはなぜ?」



リオデルカが興味を示す。



「この前、リリィとミスラの模擬戦を見たんです」



「ふむ」



「リリィの圧倒的なステータスを前にミスラが見せた、“技術”は素晴らしかった。


 リリィをあと一歩まで追い詰めていましたから」



「なるほどな」



「ただ、あの日イリスが見せた技術はミスラ以上でした。


 それに加え、四人がかりでの素晴らしい連携もあった。


 あの大剣持ちのスピードではリリィをやれはしないですが、イリスは違った。


 たぶん彼女が本気でリリィを殺そうと思えば、リリィは死んでいたと思います」



「……」



沈黙。



「リオさん」



「ん?」



「俺はイリスを信じてみようと思います」



「!」



「ほう」



イリスが顔を上げる。


その目に、わずかな光。



「よいのか?」



「はい……。正直、日本にいた時のアサヒナさんの印象だけで言えば信じられません。ですが……」



俺は、膝の上に置く拳を握る。



「ですが、クドウの変わりよう、そしてなにより俺自身の変わりよう……それを知っているから……」



言葉が詰まりかけたところで、



「もうよい」



リオデルカが制する。



「そなたが決めたなら、それに従おう」



彼は、優しい笑みでそう言った。



「……ありがとうございます」



この瞬間、リベリオンの攻略目標は、七番領地となったのだった。






「まぁいいや。それで、どうするつもり?」



意識が現在へと戻る。


アサヒナさんは、不敵な笑みを浮かべたままこちらを見ていた。



「アサヒナさん……さっき迷ってただろ?」



「!?」



その一言で、彼女の笑みが消える。



「でも、アサヒナさんは“それ”を選ばなかった」



「……ッ」



わずかに、顔が歪む。



「だが、俺はその選択肢を選ばせてもらう」



「!」



空気が張り詰める。



「アサヒナカエデ!降伏して、俺の“下”につけ!」



一気に言い切る。


それは――ルールブックに記された、領地を“奪う方法”の一つ。


逃げも誤魔化しもない、真正面からの宣言だった。


そして同時に、七番領地との戦いの始まりを告げる言葉でもあった。


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