第五十三話 会談の始まり
「ごきげんよう!陛下!お迎えに参りましたわ!」
昼時の穏やかな空気の中、リンウェルのよく通る声が迎賓館の玄関先に響いた。
陽光を背に受けた彼女は、いつも通りの華やかな笑顔を浮かべている。
「ああ……ありがとう。それじゃ行こうか」
俺は軽く応じると、背後に控えていた“三人”へと目だけで合図を送った。
気配がわずかに動き、すぐにそれぞれが位置を整える。
「あら?ジェイクさんは行かないですの?」
リンウェルが視線を室内に向ける。
その先――ソファーの上では、ジェイクが腕を額に当て、ぐったりと横になっていた。
「ああ、あいつは昨日食いすぎてな……留守番の兵士に見ててもらうよ」
「うぅ……申し訳……ないっす……」
弱々しい声が、クッションに顔を埋めたまま漏れる。
「……あら……そうですの……それは心配ですわね……」
リンウェルは一歩近づき、覗き込むようにしてジェイクを見る。
その視線は、ただの社交辞令ではない、ほんの少しの真剣さを帯びていた。
「……」
その眼差しの意味を測りかね、わずかに沈黙が落ちる。
「まぁいつものことだから、気にしないで!」
軽く空気を払うようにミスラが言うと、場の緊張がわずかに緩んだ。
「そうなのですね!では、心苦しくもありますが、陛下達をご案内致しますわ!」
リンウェルはぱっと表情を明るくし、くるりと踵を返す。
そのまま、軽やかな足取りで先導し始めた。
「静かだな」
迎賓館を出てしばらく歩いたところで、思わず口をつく。
昨日とは違い、露店の呼び込みも聞こえない。
昨日はあれほど賑わっていた七番領地の街が、まるで別の場所のように静まり返っていた。
風に揺れる旗の音と、遠くの足音だけがやけに大きく聞こえる。
(まるで、何かが起きるのを察知してるかのようだな……)
「ええ……実は昨夜、八番領地がまた侵入してきましたの」
隣を歩くリンウェルが、声を落として答える。
「八番領地が?」
「はい。おそらく、我々のこの会談を阻止するためではないかと、予想されていますわ」
「まぁ、そうくるでしょうね……」
ミスラが淡々と頷く。
「でもご心配なく!西の村付近まで攻め入られましたが、なんとか撃退はできましたので!」
リンウェルは、あえて明るく言い切る。
その声音は軽いが、その裏にある疲労は隠しきれていない。
やがて、視界の先にひときわ大きな建物が姿を現した。
昨日も目にはしていたが、こうして正面から見ると、その威圧感は段違いだった。
陽光を受けた外壁が、静かに光を返している。
「さぁ着きましたわ!」
リンウェルが誇らしげに指し示す。
周囲には浅いながらも堀が巡らされ、その内側を木の柵が取り囲んでいる。
隙間から見える建物は、要塞ほどではないにせよ、アレースの領主邸よりも一回り大きい。
「跳ね橋まであるのか……」
思わず呟くと、
「ええ!まだ建築途中ですが、もっと立派なものになる予定ですわ!」
リンウェルが胸を張った。
やがて、俺たちの到着に合わせるように、重い音を立てて跳ね橋がゆっくりと降りてくる。
同時に、門も内側へと開かれていく。
(さぁ始めようか)
胸の奥で何かが静かに燃え上がる。
かつてとは違う感覚――結末を見据えながらも、どこか高揚している自分がいた。
だが、その時だった。
「久しぶりだな!アサヒ!」
開ききった門の向こう。
陽の中に立つ一人の影が、満面の笑みで手を振っていた。
「まさか……出迎えてくれるなんて……」
思わず言葉が漏れる。
「そんなの当たり前じゃねぇか!アタシにとってはこっちで会う初めてのクラスメイトなんだぞ!
だから、わざわざ制服まで着たのに……」
彼女――アサヒナさんは、懐かしい格好のままだった。
スカジャンに、少し着崩した制服。
この世界には似つかわしくないはずなのに、不思議と違和感はない。
その背後には、昨日顔を合わせた騎士たちが、一人を除いて控えていた。
(アンソニーはいないのか……)
「まったく……こっちに染まりやがって」
跳ね橋を渡る俺を、上から下まで眺めながら、彼女は苦笑する。
「はは……まぁ……そうかもね……」
自然とこちらも笑みがこぼれる。
橋を渡り切り、彼女の前に立った、その瞬間だった。
「え?」
「ちょ!?」
俺とミスラの声が重なる。
いや、それだけじゃない。
周囲の視線が一斉に集まった。
「アサヒナさん?」
彼女は小柄な体で、目いっぱい背伸びをして、俺の首の後ろに腕を回すと、そのまま抱きついてきた。
小柄な体から伝わる体温と、柔らかな感触が、不意に意識へと入り込む。
「会いたかった……」
耳元で、かすかな声。
その声は、さっきまでの豪快な彼女とは別人のようだった。
きっと俺にしか聞こえていないだろう。
「え……」
戸惑いが言葉にならない。
「さっ!立ち話もなんだ、中に入れ!今日は天気もいいし、中庭で話そうぜ!」
まるで何事もなかったかのように、彼女はぱっと体を離し、いつもの調子で笑った。
案内されたのは、広い敷地の中央にある中庭だった。
領主邸の正面に広がるそこは、開けた空と芝生が気持ちよく、風がよく通る。
「ここは普段、兵士達の訓練にも使ってるんだ」
そう言いながら、アサヒナさんは用意されていたカフェセット風の椅子に腰を下ろす。
金属の脚が、わずかに音を立てた。
釣られるように、俺も向かいに座る。
彼女の後ろには、イリス、サリバン、エンヴィー、リンウェルが横一列に並ぶ。
対するこちらも、カイ、ゴラン、ミスラが静かに位置を取った。
「まったく。ずいぶん男を上げちゃって……」
「そ……そうかな……?」
突然の言葉に、少しだけ視線を逸らす。
「そうとも!日本では、ひょろひょろだったアサヒが、筋肉までつけちゃってよ!」
「うん……まぁ少しは鍛えてるよ」
「アタシの家で、アタシにおっぱい押し付けられた時に、あんなオロオロしてたやつがねぇ……」
意地の悪い笑み。
「ちょ……気づいてた……てか、あれ、わざとだったの!?」
「当たり前じゃん!エプロン姿を理由にあんなにアタシの体を舐めるように見てきて……なぁ……からかいたくもなるだろ?」
背中に、じわりと刺さる視線。
(もしかしなくてもミスラの視線だな)
「今のお前なら……まぁ……抱かれてもいいかな?」
「ちょ……!急に何を!」
思わず声が裏返る。
背後の空気が一瞬で冷えた気がした。
それは間違いなく殺気だった……
「はっはっは!冗談だよ冗談!」
軽く笑い飛ばされる。
ひとしきり笑ったあと、アサヒナさんはふっと表情を緩めた。
「しかし……」
そのまま、少しだけ表情を曇らせる。
「正直驚いたよ。アサヒが、クドウを殺ったって聞いた時は」
穏やかな口調のまま、重い言葉を落とす。
「……幻滅した?」
「んー幻滅っていうか、驚いたってのが正直なとこだな」
「……」
「クドウ自体、アタシはあんま話したことねぇし、金魚のフンみたいなヤツって印象しかなかったし……」
風が吹き、芝がさわりと揺れる。
「でも、それを殺ったってのが、お前ってことに心底驚いたって感じだな」
「そうか……」
「その……どんな……感じだった?」
一瞬、彼女の目が揺れた。
「え?」
「クドウを殺した時だよ」
「……」
空気が止まる。
遠くで鳴く鳥の声すら、やけに遠い。
「あの時は……必死で……良く覚えてないっていうか……」
「そうか……そうだよな……」
彼女は視線を落とし、大きく息を吸い込む。
「ま、それはいいか!」
顔を上げた時には、もういつもの彼女に戻っていた。
「この島に来ちまった以上、殺るか、殺られるか。それだけだもんな」
その言葉は、笑顔とは裏腹に、鋭く真実を突いていた。
「さて……」
彼女はもう一度、軽く俯く。
「昔話や近況報告はこの辺にして」
ゆっくりと顔を上げる。
「本題に入ろうか」
その瞬間、彼女の表情から完全に笑みが消えた。
消えただけではない。
その目は、何かを捨てる覚悟を決めた人間の目だった。




