第五十二話 迎賓館にて
「では、明日のお昼ごろ、再びお迎えに上がりますわ!」
軽やかな声とともに、リンウェルは優雅に一礼し、迎賓館を後にした。
扉が静かに閉じられると、外のざわめきが一段遠のき、室内にはわずかな静寂が落ちる。
俺たちは、ジェイクが手早く用意してくれた昼食を軽く済ませたあと、示し合わせたわけでもないのに、それぞれが小さく息を吐いた。
誰もが気づかぬうちに肩へ力を入れていたのだろう。
長椅子のクッションが沈み込み、身体の重さと同時に、見えない疲労まで吸い込んでいくようだった。
壁際に置かれた大きな窓からは、午後の陽光が斜めに差し込み、床に長い影を落としている。
その光の端に、カイがぽつんと座っていた。
肘掛けに片腕を乗せ、外を見つめるその背中は、どこか遠い場所にいるようにも見える。
「……どうぞ……」
控えめな声とともに、留守番をしていたインペリアルガードの一人――小柄な少女が、湯気の立つ飲み物を差し出してきた。
カップの縁からは、ほのかに香草の匂いが立ちのぼっている。
「……ありがとう」
俺はそれを受け取り、短く礼を言う。
温もりが指先からじんわりと広がるが、胸の奥の重さまでは解けない。
「困ったことになったわね……予定では明後日のはずだったのに……」
ミスラが背もたれに体を預けながら、天井を仰いで呟く。
揺れる髪の影が、頬の上をかすめた。
「ああ」
短く応じる。
「“間に合う”のか?」
ゴランが腕を組んだまま、壁にもたれずに立っている。
その視線だけが、鋭くこちらを射抜いていた。
「なんとしても“間に合わせる”しかないだろ」
「そうね……」
言葉は返ってきたが、その後が続かない。
部屋の空気は、じわりと重く沈み込んでいく。
「ところで、あの騎士達の中にはいたの?」
その停滞を断ち切るように、ミスラが視線をこちらへ戻す。
「あぁ、いたよ」
(エンヴィー……やっぱりお前だったのか)
胸の奥に、黒い名前が沈む。
「じゃあ、“確定”ね」
「あんまり、嬉しくないけどな……」
「命を狙われて嬉しい人間がいてたまるもんですか!」
ミスラはわずかに眉を寄せ、不満げに言い放つ。
「そうか? 俺の国では、そういうイカれた野郎はけっこういたぞ?」
「あなたの国では……そうでしょうね……何人かジュラの人と会ったことがあるけど……
正直あなたが一番理性的に感じてしまうもの」
「はっはっは! まぁ俺は、ジュラでは変わり種だからな!」
ミスラが細めた目でゴランを見ると、ゴランは肩を揺らして笑い飛ばした。
「そうなんすか?」
ジェイクが身を乗り出す。
「ええ。彼の国は……その……」
言い淀むミスラ。
「野蛮だからな!」
間髪入れず、ゴランが引き継ぐ。
「野蛮?」
俺は思わず聞き返す。
「ああ。力こそ全て。力がないものは、すべてを奪われても文句は言えない」
窓から吹き込む風が、カーテンをわずかに揺らした。
「……」
「家も資産も女も子供も、全ては力がある者の物って感じだな」
(すべては力……か……)
胸の奥で、その言葉が鈍く響く。
「まじっすか……」
ジェイクが引いたように呟く。
「まぁ、今のこのリベンジゲームと同じことが、常に国内で起きているって感じだな」
「……だからゴランさんはこの島に来ても落ち着いてたんっすね」
「ん? まぁそうかもな!」
ゴランは軽く首を鳴らす。
「これでも国じゃそこそこ力のあるほうだったんだぜ。
でもな、力が全てのあの国には常に疑問をもってた。外の世界に出て色々と見たかった」
その視線は、どこか過去を見ている。
「そんな時に、この島に来た。
まぁ、お前らには申し訳ないが、俺にとって渡りに船だったよ。いろんな国のヤツに出会えるしな」
「そうか……そういう人もいるのか……」
(みんながみんな、この島を地獄だと思っているわけではないのか……)
光と影の境目で、思考がゆらぐ。
「まぁ、俺の話はいいだろ! さっそく作戦会議を始めようぜ!」
ゴランがわざとらしく声を張り、空気を切り替える。
「ああ……だが……その前に……」
「「?」」
俺は視線を動かし、窓際のカイを見る。
光の中に座る彼は、相変わらず外を見ていた。
「ん?……なんだよ?」
ゆっくりとこちらを振り返る。
「……あの孤児院に……“いたのか?”」
「!?」
カイの目が見開かれる。
場の空気が一瞬で変わる。
何の話か分からない者たちの間で、ただ一人――ミスラだけが息を呑んだ。
「……いたって……まさか!?」
「……バレてたか……バレないようにしたんだがな……」
「たぶん、後ろにいたリンウェルとアンソニーにはバレていないと思う」
「……それならいいが……」
カイは一度、深く息を吸い込む。
胸がわずかに上下するのが見えた。
そして、何かを噛み締めるように目を閉じる。
「いたよ。“二人とも”」
「「!!」」
俺とミスラの表情が、一気に明るくなる。
「表情は暗かったが、間違いなくザインとアリーザだった」
「それって! カイさんのお子さんの!?」
「あぁ」
「だからあなた、リンウェルの南の街が壊滅するかもって言葉に……」
「ああ……悪かったな。ただ、どうしても居ても立っても居られなかったんだ」
カイは視線を落とし、静かに言う。
「いや、いいんだそれは。それより良く、孤児院で耐えてくれたよ……」
「そ……そうっすよ! なんで、すぐ行ってあげないんっすか!」
ジェイクの真っ直ぐな疑問。
「あぐッ」
その瞬間、ゴランの腕がジェイクの首に回る。
「バカ野郎。事情が良くわかんねぇ俺だってそんなことくらいわかんぞ!」
「グエッ! ぞうなんでずが!」
締められながらも抗議するジェイクに、思わず空気が緩む。
張り詰めていた糸が、少しだけ緩んだようだった。
「ここは、リベリオンじゃないのよ?」
「そう、今のあいつらは七番領地の領民だ」
「あっ!」
解放されたジェイクがようやく理解する。
「俺が動揺し、あいつらに何かあると知られれば、弱みになる」
「……そうっすね……」
「俺は……あいつらが人質にでもされたら……陛下にだって立てついちまうだろう……」
「それで……押し殺した……」
「ああ」
再び、静寂が落ちる。
だがそれは先ほどの重さとは違い、どこか芯の通った静けさだった。
「す……」
「す?」
「すごいっすね!!」
ジェイクの声が、場違いなほど明るく響く。
「俺なら、速攻で迎え行っちまうっす!」
「はぁ……あなたなら……そうね……」
ミスラは呆れながらも、わずかに笑みを浮かべる。
「俺よりも単細胞だからな……」
ゴランも肩をすくめる。
「そんな褒めないでくださいっす」
ジェイクはなぜか照れていた。
「……」
一瞬の間。
「さて、じゃあ、ザインとアリーザの件も含めて、作戦会議といこうか」
そう言うと、空気が切り替わる。
それぞれの視線が、自然と一点に集まった。
さっきまでの柔らかな光が、今はどこか鋭く感じられる。
――七番領地との戦いが、静かに幕を開けようとしていた。




