第五十一話 レグムシルト
ゴォン――。
それは金属を打ち据えた音にも似ていたが、どこか鈍く、重く、耳の奥に残る響きだった。
ミスラが振り下ろした槍は、“地竜の眷属”の鱗一枚、かすり傷ひとつ付けることすらできない。
「ったく! 硬いったらありゃしないんだから!」
乾いた音とともに弾かれた槍を引き戻し、ミスラが舌打ち混じりに吐き捨てる。
「まったく……だッ!」
間髪入れず、ゴランが踏み込み――大木の幹のように太い後ろ脚へ、渾身の拳を叩き込んだ。
鈍い衝撃が空気を震わせる。
だが。
「……ビクともしねぇな」
拳を打ち込んだ当人が、苦笑混じりに呟く。
その言葉通り、“レグムシルト”は歩みを止めない。まるで小石でも踏んだかのように、悠然と前進を続けていた。
――その時だった。
巨体が、不意に大きく揺らぐ。
次の瞬間、しなる尾が唸りを上げ、ゴラン目掛けて振り下ろされた。
「っと!!」
ゴォンッ!!
空気を裂く衝撃を受け止めたのは、カイの盾だった。
地面を削りながら踏み止まり、彼はわずかに口角を上げる。
「ったく、“レグムシルト(主君の盾となる鉄壁の竜)”とは、よく言ったもんだな」
軽口を叩きつつ、盾越しに伝わる衝撃を受け流すように尾を逸らす。
「動きは遅い、攻撃も単調――だが、やたらと硬く、そして重い……!」
尾が逸れ、土煙が舞い上がる。
その中で――
「鱗と、鱗の間を狙うのです!」
遠方から、イリスの澄んだ声が飛んだ。
「鱗の……間……!」
ミスラの瞳が鋭く細められる。
握り直した長槍を構え、ゆっくりと間合いを詰める。
一歩。
また一歩。
巨体が進むたび、大地が鈍く震える。
まるで山そのものが歩いているかのようだった。
レグムシルトの巨体が踏み出すたび、大地が微かに震える。
その隙間――わずかに開いた竜鱗の継ぎ目を見定め、
「――ッ!」
一気に踏み込み、槍を突き入れた。
「グオォォォォッ!!」
初めて上がる、苦悶の咆哮。
確かな手応えとともに、血飛沫が散る。
だが同時に、巨体が大きく傾いだ。
「クッ……!」
嫌な気配を察知し、ミスラは即座に槍を引き抜く。
「お前たち! 離れろ!!」
カイの怒声。
ミスラとゴランは反射的に地を蹴った。
次の瞬間――
ドォンッ!!
巨体が横へと倒れ込み、そのまま勢いよく一回転する。
巻き上がる砂埃。弾け飛ぶ小石。
「……なるほどな! あれに巻き込まれたら一たまりもねぇってわけだ!」
距離を取ったゴランが、豪快に笑った。
「なるほどね。だいたい理解したわ」
ミスラが槍の穂先を軽く振り、血を払う。
「あぁ、そうだな」
「こりゃ長期戦になりそうだな!」
三人はそれぞれ武器を構え直し、呼吸を整える。
そして再び――鉄壁の竜、レグムシルトと相対した。
「一匹抜けましたわ! 陛下! お願いしますわ!」
リンウェルの声が戦場に響く。
「わかった! ジェイク、足を止めてくれ!」
「了解っす!!」
返事と同時に、ジェイクが前へ飛び出す。
強く握り込んだ拳を、そのまま地面へと叩きつけた。
「オラオラオラオラオラァ!!」
連打される拳。
地面に浅く、しかし無数の穴が刻まれていく。
「どうだ! こんにゃろ!!」
迫り来る魔物へ吠えるが――
魔物は意にも介さず、街へ向かって突進を続ける。
だが。
「ガォッ!?」
前脚が、穴に嵌った。
体勢を崩し、巨体が前のめりに倒れる。
「今っす! 陛下!」
「あぁ――助かる!」
俺は一気に踏み込み、構えていた大槍を振り抜く。
狙うは、無防備に晒された首。
「――ッ!!」
深々と突き刺さる感触。
「ガァアアァァッ!!」
断末魔を上げながら、魔物は地に伏した。
動かなくなるのを確認し、槍を引き抜く。
「お見事ですわ!」
駆け寄ってきたリンウェルが、嬉しそうに声を上げる。
「ああ……この程度なら、まだなんとかなるな」
血を振り払い、槍を構え直す。
「でもまだまだ、いるっすね……」
ジェイクが周囲を見渡す。
「そうですわね。これは長期戦になりそうですわ」
「……だな。気を抜くなよ」
「はいっす!」
「ですわ!」
俺たちは再び陣形を整え――
魔物の群れへと、踏み込んだ。
結局、すべての魔物を討伐し終えた頃には、二時間以上が経過していた。
だが幸いにも、街への大きな被害はない。
負傷者も、最小限に抑えられている。
「ふぁー……疲れたっす……」
「腹減った……」
ジェイクとゴランが、その場にへたり込む。
土と血にまみれた戦場に、ようやく弛緩した空気が流れ始めていた。
「陛下たちのおかげで、この上ない戦果ですわ!」
リンウェルが、晴れやかな笑みを向けてくる。
「とりあえず……後始末は任せて、俺たちは迎賓館に戻ってもいいのか?」
俺は、その背後に立つイリスへ視線を向けた。
「ええ、もちろんです。陛下たちが討伐された魔物は、こちらで解体し、お帰りになるまでには素材をご用意いたします」
「別にいいのに……」
ぼそりと呟いた瞬間――
「「ダメだ(っす!)」」
ジェイクとゴランの声が綺麗に重なった。
「……はいはい」
思わず苦笑する。
「では、リンウェル様。陛下たちのご案内をお願いできますか?」
「ええ、もちろんですわ!」
リンウェルが一歩踏み出そうとした、その時だった。
「イリス様!」
兵士の一人が、息を切らして駆け寄ってくる。
「どうした?」
イリスは落ち着いた声音で応じる。
兵士は周囲を一瞬だけ気にし、彼女の耳元で小声で何かを告げた。
「――!?」
わずかに、イリスの目が見開かれる。
「……わかった。伝えよう。下がってよい」
短く指示を出し、兵士を退がらせると――
彼女は、ゆっくりとこちらへ向き直った。
「実は……カエデ様から伝言があります」
「……?」
嫌な予感が、胸をよぎる。
「状況が状況ゆえ――会談の日を早め、明日行う、と」
「――!?」
それは――
今の俺たちにとって、決して歓迎できる報せではなかった。




