第五十話 魔襲
駆け出したリンウェルとアンソニーの背を追い、俺たちも石畳を蹴った。
朝の喧騒はすでに遠く、代わりに耳へと流れ込んでくるのは、怒号と金属音、そして獣じみた咆哮だった。
「おい、リンウェル! 陛下達を迎賓館までお送りしろ!」
前を走りながら、アンソニーが振り返りもせずに叫ぶ。声には、取り繕う余裕など微塵もない。
「なぜですの?」
対するリンウェルは、あくまで優雅に――しかしその足は緩めず、微笑みすら浮かべている。
「せっかくの機会ですもの。陛下達に、わたくしたちの戦いをご覧いただいたほうがよろしいですわ!」
「……っ」
アンソニーは言葉を飲み込んだ。俺たちの存在を意識しているのだろう。
同盟はまだ結ばれていない。そんな相手に“手の内”を見せるなど、本来なら避けるべき行為だ。
(まぁ……普通は止めるよな)
だが――。
「チッ」
短く舌打ちすると、アンソニーはさらに速度を上げた。もはや説得は無意味だと判断したらしい。
やがて辿り着いた南門は、すでに戦場と化していた。
門内には、七番領地への道中で遭遇したものと同種の魔物が入り込み、兵士たちが迎撃している。槍と剣が閃き、血と土が混じり合う。
一体に対し四人――統率の取れた動きから、練度の高さが窺えた。
だがアンソニーは、そこに目もくれず門の外へ向かう。
「ここはいいのか?」
ゴランが問う。
「ええ。ここは彼らに任せますわ」
リンウェルは前を見据えたまま、迷いなく答えた。
「わたくしたちは――これから来る“竜”に備えますの」
「!?」
その一言で、空気が凍りつく。
(竜……だって?)
門外に出た瞬間、さらに濃密な殺気が肌を刺した。
外には、アンソニーの他に三人の騎士。
いずれも一目で只者ではないと分かる装備と気配を纏っている。
その背後では、三十は下らない魔物が兵士たちと乱戦を繰り広げていた。
(これが……戦場か)
胸が強く脈打つ。視界が妙に鮮明になる。
「……陛下? どうしてここに……」
その中の一人――イリスが、俺に気づいて目を見開いた。
「わたくしがお連れしましたの! 絶好の機会ですもの!」
リンウェルが胸を張る。
「……」
イリスは無言のまま、俺たちを一瞥する。
他の騎士たちはアンソニーに視線を投げるが、当人は露骨に顔を背けた。
「わかりました」
やがてイリスは、静かに口を開く。
「間もなく“大物”が来ます。我々はそちらに集中せざるを得ません。陛下の護衛は――」
「ええ、それはもちろん」
ミスラが即答する。
短い頷き。
それだけで、話は終わった。
――その瞬間だった。
南の街道沿いの木々が、轟音と共に根こそぎ薙ぎ倒される。
地面が震え、砂埃が視界を覆った。
「……多いな……」
誰かの低い呟き。
やがて土煙が晴れ――それは姿を現した。
魔物の群れ。その奥。
明らかに“格”の違う、三つの巨影。
「あれが……竜?」
思わず、声が漏れる。
それは――もはや生物ではなかった。
大きさは、その辺の魔物の二倍はある四本足。
剥き出しの岩山が意思を持って動いているかのような巨体。
幾重にも重なった土色の鱗は断崖のように荒々しく、陽光を鈍く弾く。
一歩踏み出すたび、大地が軋み、深い足跡が刻まれていく。
「ええ。あれが竜――いえ、“竜の眷属”」
リンウェルが静かに告げる。
「“地竜アンタレグム”が送り込む、刺客。レグムシルトですわ!」
その言葉と共に、彼女は細剣を抜いた。
騎士たちもまた、それぞれの武器を構える。
「……三体か」
「しかし……これは街に被害が出るかもしれませんわね……」
「そんなに?」
ミスラの問いに、リンウェルは僅かに眉を曇らせる。
「普段は多くて二体。サブクラス持ちが二、三人で一体に当たれば問題ありませんわ。ですが……今回は三体に加え、あの数」
遠くで、魔物の群れが一斉に動き出す。
「通常は、竜討伐に参加しないサブクラス持ちと、別働の者が雑魚の処理を担いますの。でも今回は……」
言葉は最後まで続かなかった。
だが、その意味は十分すぎるほど伝わった。
「南の市街は……壊滅する可能性もございますわ」
「!?」
その瞬間だった。
「――っ!」
カイが、弾かれたように飛び出した。
「ちょっと、カイさん!?」
ジェイクの声も届かない。
騎士たちの脇をすり抜け、一直線に戦場へと向かっていく。
(やっぱり……あの孤児院には…)
脳裏に、孤児院を見つめていたあの時のカイの横顔がよぎる。
「あわわ、ど、どうなさいましたの!?」
リンウェルが狼狽える。
ミスラたちも動揺していた。
――だが。
(あいつが行く理由なんて、考えるまでもない)
俺は大きく息を吸い込み、吐き出す。
「ミスラ、ゴラン! カイのサポートを!」
「え……? ええ、わかったわ!」
一瞬の逡巡の後、二人は走り出した。
「お、おい! ちょっと!」
アンソニーの制止は、もう誰にも届かない。
「ジェイク! お前は俺と残れ! 周りの魔物を削るぞ!」
「了解っす!」
「おい、貴様――」
詰め寄ってくるアンソニーを、ジェイクが一歩前に出て遮る。
俺はその向こうで、静かに言い放った。
「悪いな。うちのが先走った。……その代わりだ」
一瞬、呼吸を整える。
「竜の一体――俺たちが落とす。雑魚の処理も手伝う」
「何を勝手に――」
その言葉が最後まで続くことはなかった。
「待て」
低く、腹に響く声。
次の瞬間、アンソニーの腕は大きな手に掴まれていた。
振り向くと、そこには巨躯の男。
雷を象った刺青。握られた拳具からは、淡い光が滲んでいる。
「てめぇ……サリバン!」
呼ばれた男――サリバンは、アンソニーを一瞥すらせず、俺を見据えた。
その圧だけで、空気が重く沈む。
ジェイクの拳が、無意識に強く握られるのが分かった。
「……」
一瞬の静寂。
そして――
「協力、感謝する」
短い言葉。
それだけで、すべてが決まった。
「おい!?」
アンソニーの抗議を無視し、サリバンは戦場に響く声で叫ぶ。
「中央の竜はリベリオンの騎士隊に任せる!」
背後の兵士たちの背筋が一斉に伸びる。
「右は俺とこいつだ!」
そう言って、アンソニーを半ば放り投げるように前へ出した。
「ちょっ……!」
「イスラ! エンヴィーと共に左を潰せ!」
無言の頷き。
大剣を担いだ少年――エンヴィーと共に、イスラが駆ける。
(エンヴィー…)
俺はその名を“見た”事があった。
「リンウェル。貴様は指揮を執れ。雑魚を一掃しろ」
「承りましたわ」
最後にそう告げると、サリバン自身も地を蹴った。
一瞬で、全員がそれぞれの持ち場へ散る。
リンウェルが一歩前に出る。
その背筋は、もはや一片の迷いもない。
「さぁ――始めますわよ!!」
澄んだ声が、戦場全体に響き渡る。
次の瞬間。
咆哮と衝突音が重なり合い、世界が一気に動き出した。




