第四十九話 孤児院
朝の七番領地、その中心街は――昨夜の静けさが嘘のように、人で溢れていた。
石畳の道には行き交う人々の足音が重なり、露店からは香ばしい匂いと威勢のいい呼び声が飛び交う。
活気に満ちた光景――そう見えるはずだった。
だが。
(……暗いな)
ふと、そう感じる。
笑顔は確かにある。
だが、それは点在するだけで、街全体を照らすほどではない。
人の数に対して、明るさが決定的に足りていなかった。
アレースやアテーナとは、明らかに違う。
「こちらが、我が領地の鍛冶屋でございますわ!」
リンウェルが誇らしげに指し示した建物は、アレースのそれよりも一回りも二回りも大きく、重厚な造りだった。
中に足を踏み入れた瞬間――
ゴウッ――と熱風が押し寄せる。
炉の炎が唸り、鉄を打つ甲高い音が絶え間なく響く。
鍛冶師たちは汗にまみれながらも休むことなく槌を振るい、空気そのものが熱を帯びていた。
「ドアを開けっぱなしにするでないと、あれほど言うておろうが!!!」
奥から、口と顎に立派な髭を蓄えた小太りな男の怒号が飛ぶ。
その声は、鉄槌の音すら押しのけるほどに響き渡った。
「ひっ……!」
俺たちは思わず肩を跳ねさせる。
そして案内役であるリンウェルも例外ではなかった。
顔色を変え、慌てふためく。
「あ、あの……も、申し訳ございませんわっ!!!」
彼女は慌てて扉を閉める。
重い扉が閉じられると同時に、外界と隔絶されたように音が一気に遠のいた。
「……」
沈黙が落ちる。
「本当に……あのお方は……ガンツ様は、どうにも苦手でございますわ……」
リンウェルはどこか虚ろな目でそう呟いた。
焦点の合わない瞳が、わずかに震えている。
「あの……リンウェル?」
「あ、はいっ! つ、次の場所へご案内いたしますわ!」
ハッとしたように我に返り、無理に整えた笑顔を浮かべて、彼女は再び先頭に立った。
その背を見送りながら――
「なぁ、見たか?」
「見たっす!」
「俺たちが見たことのない武器だったな」
後ろから、カイ、ジェイク、ゴランの小声が聞こえてくる。
「あれはタクティカルグレードの装備でございます」
最後尾にいたアンソニーが、淡々と答えた。
「おそらくではございますが、同盟が成立した暁には、主も融通なさるのでは?」
その言葉に、カイ以外の二人の表情がぱっと明るくなる。
この街の中心には、鍛冶屋のほかにも配給所や役場らしき建物が並んでいた。
どうやら住民を区画ごとに管理しているらしい。
(……二千人近くを一括管理、か)
口で言うほど簡単ではないだろう。
やがて俺たちは、来た時とは別の門――東門から街の外へと出た。
そこには、広大な田畑が広がっていた。
風に揺れる作物の波。
その中で、何百人もの人々が黙々と働いている。
「東側は平坦で、水はけも良好でございますの。この地を一大農園として運用しておりますわ」
リンウェルが胸を張る。
(これは……羨ましいな……)
稲だけではない。
見渡す限り、様々な作物が整然と植えられている。
所々には家畜小屋も見え、この層の資源の豊かさが一目で分かる。
「本日は参りませんが、北の村との間には小規模ながら鉱山もございますのよ!」
「羨ましい限りね」
ミスラが俺にだけ聞こえる声で呟く。
「あぁ……本当に」
素直な本音だった。
「このほかにも見どころはございますが……広うございますので、本日はここまでになさいますか」
アンソニーが背後から声をかける。
「そうだな。明日もあるし」
「明日は北側をご案内いたしますわ!」
(西は軍事施設が多い……だから北か)
リンウェルはそう言うと、再び歩き出した。
――その時だった。
理由は分からない。
ただ、なんとなく。
メインの道ではなく、路地裏へ足を踏み入れたくなった。
「なぁリンウェル、こっちから戻ることはできないか? 近道になるだろうし」
「路地裏……でございますか? 確かに近道ではございますが……」
リンウェルはわずかに表情を曇らせる。
「特に何もございませんけれど……それでも?」
「あぁ、頼む」
一瞬の間の後、彼女は柔らかく微笑んだ。
「陛下のお心のままに」
そう言って、路地裏へと足を踏み入れる。
(……なんだ、この感じは)
理由は分からない。
だが、確かに“引かれている”。
俺はリンウェルの後に続いた。
路地裏は拍子抜けするほど整っていた。
汚れも少なく、荒れた様子もない。
よくあるような、倒れた人間――そんなものも見当たらない。
しばらく進んだ、その時。
どこからともなく、声が聞こえてきた。
「声……?」
ミスラが小さく呟く。
「あぁ、この辺りには孤児院がございますのよ!」
「――!?」
俺とカイは、同時に目を見開いた。
「いかがなさいました?」
リンウェルが不思議そうに首を傾げる。
ゴホン、と一つ咳払い。
俺は意識して声を落ち着かせた。
「いや……何でもない。その孤児院……少し見ても構わないか?」
「ええ、構いませんけれど……この人数では、子どもたちが怖がってしまうかと」
「近づく必要はない。見渡せる場所があれば、それでいい」
背後から、アンソニーの疑うような視線が突き刺さるのを感じる。
リンウェルもまた、どこか訝しげだ。
(まずいか……)
空気がわずかに張り詰める。
「あっ!」
その緊張を破ったのは、リンウェルの声だった。
「もしや……ミスラ殿下のためでいらっしゃいますの?」
「――!?」
突然振られたミスラは一瞬固まるが、すぐに理解し、言葉を紡ぐ。
「そうなのよ!
私、“こっちでも”孤児院の整備を進めていてね。
この規模の街の孤児院、一度見ておきたかったの」
「ミスラ殿下のご活動は、国内外を問わず有名でございますもの。本当に、頭が下がりますわ」
リンウェルは納得したように頷き、歩き出す。
「確か、この上から見下ろせたはずですの」
(助かった……)
アンソニーの気配も、わずかに和らいだ。
(それにしても……そんなに有名なのか……ミスラの活動は……)
ミスラの背を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
やがて、小高い場所に建つ一軒の家へと辿り着く。
「こちらの梯子を登れば、ご覧になれますわ」
一人ずつ梯子を登る。
そして――
視界に飛び込んできた光景に、言葉を失った。
(……孤児院、だよな……?)
違和感しかない。
確かに子どもは多い。
だが――
なぜか兵士がいる。
それも一人二人ではない。
槍を持った兵士達が、まるで監視するように子ども達の周囲へ配置されていた。
そして、子どもたちの表情には笑顔がない。
無機質に、ひたすら何かを創るような単純作業を繰り返している。
まるで――
(駐屯地か何かか……?)
誰もが息を呑む。
その時だった。
カイの足が、無意識に一歩前へ出る。
その表情は――まるで宝物を見つけた子どものように、輝いていた。
そして。
その目から、静かに涙が零れる。
(……カイ……)
リンウェルとアンソニーは後ろにいる。
その涙に気づいたのは、俺だけだった。
今にも駆け出しそうな彼は――しかし、唇を強く噛みしめ、その場に踏みとどまる。
次の瞬間。
カン、カン、カン、カン――!!
鋭い警鐘が、空気を切り裂いた。
「なんの音っすか!?」
真っ先に反応したのはジェイクだった。
「チッ……間が悪い」
アンソニーが舌打ち混じりに呟く。
「“今回は”南ですわね」
リンウェルも低く言う。
「何が起きた?」
俺は問いかける。
「魔襲ですわ」
その一言を残し――
二人は、躊躇なく駆け出した。




