第四十六話 約束
「“七番領地の領主邸で待つ”…か」
アレース領主邸の執務室。
重厚な木製の机に差し込む午後の光が、紙の縁を淡く照らしている。
その静けさの中で、リオデルカが手紙の返事を低く、落ち着いた声で読み上げた。
ありがたいことに、リオデルカは戦略会議の翌日には帰る予定だった。
だが七番領地の使者が現れたことで、その帰路は大きく先延ばしにされている。
「それで、誰を連れていくか決めたのか?」
「…はい」
短い返答のあと、空気がわずかに張り詰める。
執務室には、俺、リオデルカ、デンス、ミスラ、そして現在この領地にいるサブクラス持ちが集まっていた。
誰もが言葉を選ぶように、静かに次を待っている。
「ミスラ、カイ、ジェイク、ゴラン。それとインペリアルガードから三名ほど——カイに選抜してもらおうかと思います」
その言葉に、リオデルカは軽く相槌を打ちながら頷いた。
だが次の瞬間、彼の視界の端で俯くリリィに気づき、ほんのわずかに苦笑を浮かべる。
「妥当な人数かと思います」
静寂を破ったのはデンスだった。
「多すぎれば相手に警戒され、交渉に影響が出ます。ですが少なすぎれば危険すぎる」
「そうだな」
低く頷くリオデルカ。
「それと、このあとすぐに返事を出すとして、出発は早くても二日後が無難かと」
「わかった」
短い言葉の応酬。
だがその一つ一つが、確実に先を決めていく。
「あとは名目上、案内人として——陛下達の監視役を打診しましょう」
「わざわざ監視役を?」
腕を組んだまま、カイが眉をひそめる。
「ええ。あえて監視役をつけさせることで、相手の警戒を緩ませます」
デンスの声は、相変わらず静かで理路整然としていた。
「案内人名目ですので、“同盟領地の実情”を知る口実にもなります。領内を見て回る時間も稼げる」
「なるほどな…」
そう——今回は、“時間”が鍵だ。
「返事は私のほうで整えます」
「頼む」
俺がそう返すと、場の空気がわずかに緩む。
「よし、方針は固まったな。ではワシはひとまずアテーナへ戻るとしよう」
椅子から立ち上がりながら、リオデルカが笑う。
「はい。“後の事”はよろしくお願いします」
その言葉に、リオデルカはニカッと笑い、アリアを伴って執務室を後にした。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
――その瞬間だった。
場の中心にあった柱が抜けたかのように、
残された俺たちの表情が、じわりと変わる。
緊張。
いや——不安。
目に見えない重さが、室内に落ちてくる。
俺は大きく息を吸い込んだ。
胸の奥に溜まっていたものを押し流すように言葉を紡ぐ。
「さぁ、俺たちも——できうる限りの準備をしよう!」
執務室には似つかわしくない、少し大きな声。
「「!」」
全員が一瞬、目を見開く。
「…そうだな」
最初に応えたのはカイだった。
「じゃあ俺は、インペリアルガードの選定をしてくるぜ!」
勢いよく扉へ向かう。
「じゃあ俺は馬車の手入れっす!」
「俺は装備だな!」
「ん…研究所…見てくる」
ジェイク、ゴラン、セシルが続き、
それぞれの役目へと散っていく。
最後にミスラが振り返った。
「少しは、統治者っぽくなったじゃない」
彼女は優しい笑顔で言った。
「そ…そうかな?」
俺は少し恥ずかしく感じた。
「じゃあ私は、物資の確認をしてくるわね」
柔らかく言って部屋を出ていく。
そのすれ違いざま、
彼女がそっとリリィの肩に手を置いたのが見えた。
「…」
「…」
扉が閉まり、静寂が戻る。
広い執務室に残されたのは、俺とリリィだけだった。
言葉は出ない。
だが、沈黙だけがそこにあるわけじゃなかった。
「…らず…」
「え?」
かすれた声。
「必ず…」
俯いていた顔が、ゆっくりと上がる。
小さく握られた拳が震えていた。
その瞳が、まっすぐ俺を射抜いた。
「帰ってきてよ…」
潤んだ瞳。
こぼれ落ちそうな想い。
「私を一人にしないでよ」
今にも泣き出しそうな声だった。
それは、小さく、か弱い少女の願い。
けれど——その一言は、
俺の中にあった不安を、完全に吹き飛ばした。
「あぁ…必ず…」
(必ずだ…)
「お前を——一人にはしない」
真正面から、その瞳を受け止めて答える。
その言葉に、
リリィの瞳は涙を湛えたまま——静かに、笑った。
「お気をつけていってらっしゃいませ。お帰りをお待ちしております」
領主邸の玄関前。
朝の光が石畳に反射し、淡く広がっている。
アスラーが深く頭を下げると、
後ろに控えるメイドたちも一斉にそれに倣った。
この二日間は目まぐるしかった。
七番領地へ赴くメンバーとの打ち合わせは連日深夜まで続き、
装備の調整、物資確認、ルート上の危険地帯の精査——
日本でも経験したことのない量の作業を、ただひたすらにこなした。
「あぁ。留守を頼んだ」
そう言ってから、俺は視線を上げた。
アスラーの後ろ。
他のメイドと並んで立つリリィ。
彼女は少し俯き、
その表情から不安はまだ消えていなかった。
俺は、彼女の隣にいるシェリーへと視線を移す。
シェリーはそれに気づくと、
柔らかな笑みで、小さく頷いた。
――昨夜。
すべての準備を終えたあと、
俺は最後の用件のため、彼女を自室に呼んだ。
「夜伽ですか?」
そう言い、彼女はメイド服を上から脱ごうとする。
「ち、違います!」
「あら、残念」
軽口。
その気楽さに、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。
だがすぐに、俺は頭を下げる。
「リリィを…頼みます」
俺の行動に彼女は一瞬目を丸くする。
だが……
「……もちろんです」
一拍置いた返事。
そして、
「あの子の安全を第一に考えてくださり、ありがとうございます」
今度は、シェリーのほうが頭を下げていた。
(この人に任せておけば、大丈夫だ)
そう自分に言い聞かせる。
そんな昨夜のことを思い出していた俺は、シェリーから視線を外し、馬車へと乗り込んだ。
木製の扉が閉まり、外の光が一瞬遮られる。
「さぁ行こうか! 七番領地へ!」
俺の声を合図に、
二台の馬車は、軋む音を立てながら、
ゆっくりと——だが確かな意思を持って、北へと進み始めた。




