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第四十三話 疑念

窓の外では、激しい雷雨が荒れ狂っていた。


窓を打つ雨粒は、もはや音というよりも“圧”に近い。


空気そのものが軋み、時折、空を裂くような雷光が室内を白く塗りつぶす。


その閃光のたびに、室内の影が不気味に揺れた。



「へぇ〜アサヒのやつ、面白いこと考えるじゃん」



対面に座る少女――カエデ様は、まるで遊びを見つけた子供のように口元を緩めた。


小柄な体躯。


だが、その場にいる誰よりも“重い”。


視線一つで、空気の温度が変わる。



「それで? 返事は?」



軽い調子。


だが、その奥にあるものを測れる者は、ここにはいない。



「はい。流石に判断がつきませんでしたので、主に確認し、書面で返事をすると伝えています」



私は、淡々と答える。


余計な感情は乗せない。


乗せる必要もない。



「そうか」



一拍。


カエデ様の口元が、ゆっくりと吊り上がった。



「ならば答えはこうだ。“七番領地の領主邸で待つ”」



――静止。


その一言で、場の空気が凍りついた。


次の瞬間、雷鳴が轟く。


遅れて、周囲のざわめきが広がった。



「危険です! カエデ様!」



隣のアンソニーが、堪えきれず声を上げる。



「確かにね。何考えてるのか、まるでわかんねえ」



誰かが呟く。



「だったら――」



「何考えてるかわからねぇなら、近場に置いとくほうが対処はしやすいってもんだろ?」



言葉を被せるように、カエデ様は言い切った。


軽く。


あまりにも、軽く。



「それは……」



アンソニーが言葉を失う。



「他に意見のあるやつは?」



室内に、沈黙が落ちる。


誰も口を開かない。


いや――開けない。



「なら、決まりだ。早速返事を出せ」



私たちは、無言で頷いた。



「……あいつらが領内に入ったら、目を離すなよ」



その言葉に、再び雷光が走る。



(領内に入ってから、ね……)



遅い。


そう思ったが、口には出さない。


出したところで変わらない。


意味もない。


カエデ様が立ち上がり、扉へ向かう。


その背中を、誰も止めない。


止められない。


やがて扉が閉まり、室内に残されたのは、雨音と、沈黙だけだった。


一人、また一人と部屋を後にする。


誰もが言葉を失ったまま。


私は一瞬だけ、窓の外へ視線を向けた。


激しい雨。


濁った水が地面を叩きつける。


――すべてを洗い流すかのように。


だが、何も変わらない。


変わるはずもない。



「待て! イリス」



背後から呼び止められる。


振り返らずとも分かる声。



「……なんだ?」



ゆっくりと振り返る。


アンソニーは、明らかに苛立っていた。



「なぜお前、さっきのカエデ様を止めなかった?」



「なんのことだ?」



とぼける。


わざと。



「十五番領地のやつらとこの地で会うのを、なぜ許した?」



怒気が滲む。


近い。


距離が。



「さっき言ってただろ。“何を考えているかわからないなら、側に置く”って」



「私も同意見なだけだ」



「……」



「これは俺たちの計画にはなかったはずだ」



気づけば、彼の顔がすぐ目の前にあった。


息がかかる距離。



「俺たちの計画は、もっと慎重で――確実だったはずだ!」



飛んだ唾が頬にかかる。


不快だった。


殴ってやろうかと思う程度には。


だが――


やめた。



「そうだな。でもカエデ様が決めたことだぞ?」



わずかに首を傾げる。



「私たちは従うだけだ。それが騎士ではないか?」



「……っ」



彼の手が、強く握られる。


骨の軋む音が聞こえそうなほどに。



「俺は……お前のほうが、何考えてるかわからねぇよ」



「そうか?」



「あぁ」



間。


短い沈黙。



「十五番領地に潜入してた時もそうだ」



「わざわざ、幹部が出入りする孤児院の近くに拠点を置きやがって……」



「危険すぎる」



「……」



「逃げやすい立地だっただろ。中心地にも近い」



淡々と返す。



「いざとなったら――子供を」



一瞬言葉に詰まる。



「人質にもできる」



沈黙。


彼の顔が歪む。


怒りか、嫌悪か、それとも――



「……お前」



「人に文句を言う暇があるなら、自分で考えて動いたらどうだ?」



言葉を重ねる。


わざと。



「なに!?」



「どこぞの国の兵士だったのか知らないが」



一歩、距離を詰める。



「十五番領主との席で、緊張して置物だったのは誰だったか?」



「な……」



「敵の本丸を前にして緊張?」



「騎士が泣いて呆れるな」



「てめぇ――!」



空気が震えた。


彼の手に、大槍が具現化する。


鈍い光を放つ穂先が、まっすぐにこちらへ向けられる。



(……遅い)



踏み込み。


――来る。



「くっ……」



だが。


止まった。



「そこまでだ」



低く、重い声。


気づけば、アンソニーの背後に、一人の男が立っていた。


振り下ろされるはずだった槍の柄を、片手で掴んでいる。


微動だにせず。



「サリバン……」



自然と、その名が口をついた。



「サリバン!! 離せ! 俺はこいつを――ガッ」



言い終わる前に、手刀が落ちる。


鈍い音とともに、アンソニーの体が崩れた。



「イリス。悪く思わないでやってくれ」



低い声。


感情は、乗っていない。



「あぁ……」



短く答える。


それ以上の言葉は、いらない。


私は背を向ける。


興味は、もうない。



「……まぁだが」



背後で、声が続く。


止まらない。


振り返らない。



「大丈夫だとは思うが、イリス」



――敷居をまたいだ、その瞬間だった。



「俺たちを裏切ったら、容赦はしねぇ」



足を止める。


ほんの、一瞬だけ。


振り返らないまま、口を開く。



「肝に銘じておこう」



軽く笑みを浮かべる。


見せる必要もない笑みを。


廊下へ出ると、雨音が一層強くなった。


石の床に響く足音が、やけに大きく聞こえる。



(裏切り、か……)



小さく息を吐く。


何を指しているのか。


どこまで見えているのか。


――考えるだけ、無駄だ。


視線を前に戻す。


長い廊下。


灯りは揺れ、影は歪む。



(もう、後には引けない)



ゆっくりと、拳を握る。


爪が食い込む。



(いや――)



一歩、踏み出す。


足音が、静かに響く。



(最初から、引くつもりなんてない)



雨音が、すべてを覆い隠す。


その中で――


私は、ただ前へ進み続けた。


自分で選んだ道を、最後まで歩き切るために。


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