第四十二話 同行宣言
燦々と降り注ぐ午後の日差しの中、無数の輝きが弾けていた。
――火花ではない。
中庭を駆け回る子供たちの、汗と笑顔がきらめいているのだ。
古びた院舎の影を押しのけるように、小さな背中が縦横無尽に走り抜ける。
転んでは笑い、追いかけては笑い――そのたびに、弾けるような声が空へと舞い上がっていった。
乾いた土を踏みしめる足音。
風に揺れる洗濯物のはためき。
どこかで誰かが転び、すぐに周囲が笑いに包まれる。
そのすべてが、穏やかで――
あまりにも、眩しかった。
(本当に、これで良かったのか……)
胸の奥に沈んだ問いだけが、その光景に影を落とす。
イリスたち――七番領地の使者が、俺の返答を持ってアレースを発ってから二日。
「そろそろ、領主邸に着いた頃か……」
誰に聞かせるでもない呟きは、風に紛れて消えていく。
答えは返ってこない。
ただ、子供たちの笑い声だけが――
なぜか、少し遠くに感じられた。
(さて……どう転ぶか……)
視線を落とす。
その先で、小さな子供が転び、別の子供が手を差し伸べていた。
何の迷いもなく、当たり前のように。
――それが、やけに胸に刺さった。
「また、そんな顔して……子供たちの前でくらい、笑いなさいよね」
不意に、頭上から降ってきた声。
顔を上げると、頬を膨らませたミスラがこちらを見下ろしていた。
その表情は呆れているはずなのに、どこか張り詰めていて。
「あ……すまん……」
「まったく……」
小さく息をつきながら、彼女は俺の隣に腰を下ろす。
草を押し潰す音が、やけに静かに響いた。
子供たちの笑い声が遠く聞こえる中、その音だけが妙に鮮明だった。
ここは、ミスラが建てた孤児院。
東の村にいた頃から彼女はずっと、
この島に理不尽に放り出された、身寄りのない子供たちを拾い続けてきた。
泣き叫ぶ子も、笑うことを忘れた子も――
全部、ここに繋ぎ止めてきた。
「それで? 何を悩んでるの?」
穏やかな声。
けれど、その奥にあるものを、俺は知っている。
「いや……本当に……これで良かったのかなって……」
言葉にした瞬間、自分でも情けないと思った。
だが――
「良くはないでしょうね!」
叩きつけるような声だった。
思わず、肩が跳ねる。
「あなたが殺されたら、私たちは終わりよ」
「……」
「生きた屍になる」
言い切ったあと、ミスラは強く唇を噛んだ。
その視線が、ふと中庭へ向く。
無邪気に笑う子供たち。
転び、立ち上がり、また走り出す小さな背中。
「……あの子たちも」
小さく、こぼれる。
「やっと、笑えるようになったのに……」
その言葉は、子供たちへ向けられたものだった。
そして同時に――
自分自身へ向けられたものでもあった。
その声は、怒りではなかった。
失いたくないものを見つめたときに滲む、
どうしようもない“恐れ”だった。
「わざわざ敵地に飛び込むなんて……馬鹿げてるわ!」
吐き出すように言い切る。
――ッ。
胸が締め付けられる。
何も言い返せない。
言い返してしまえば、それは彼女の恐れを否定することになる。
「……でも」
やがて、ミスラは小さく息を吐いた。
握りしめていた拳が、わずかに緩む。
「それでも、あなたは行くんでしょう?」
「……あぁ」
短く、答える。
迷いはある。
だが――
(それでも、止まれない)
「そう……」
彼女は一瞬だけ目を伏せた。
風が吹き抜け、髪がわずかに揺れる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「だから決めたの」
「決めた?」
「ええ」
「何を――」
「私もついていくわ」
「……は?」
思考が止まる。
子供たちの笑い声だけが、やけに大きく響いた。
「だ・か・ら!」
ぐい、と顔を近づけてくる。
「あなたを守りに、七番領地に行くって言ってるの!」
「いや、ちょっと待て!」
反射的に声を荒げる。
「危険すぎる!」
「あなたはその危険に行くのに?」
言葉が詰まる。
「それは……俺は……領主だし……」
「領主だから、何?」
「……」
「答えなさいよ」
逃げ場がない。
「領主だから……その……」
(俺が倒れたら、この国は終わる)
(だから俺が――)
そこまで考えて、止まる。
――本当に、それだけか?
「タイシ」
静かに、名前を呼ばれる。
その一言だけで、思考が断ち切られた。
「あなた、なんでもかんでも一人で背負い込みすぎよ」
――ッ。
「頑張ってるのは分かってる」
「止まれないのも分かってる」
「でも――」
一瞬、言葉が詰まる。
ほんのわずかに、声が震えた。
「全部、一人でやらなくていいじゃない」
「……」
「私たちは、あなたの国の国民よ」
「王の役目は、“全部背負うこと”じゃない」
「“導くこと”でしょう?」
まっすぐな視線が、俺を射抜く。
逃げ場は、もうない。
「あなたが進むなら、道を切り開くのは私たちの役目」
「臣下として――」
そこで一度、言葉を区切り、
わずかに視線を逸らしながら、
「……妻としては……」
「え?」
思わず、間の抜けた声が出る。
「と、とにかく!」
わざとらしく咳払いして、ミスラは立ち上がった。
だが、その耳はわずかに赤く染まっていて。
「あなたが敵地に行くなら、私はついていく!」
「これは決定事項よ!」
「そんな……無茶苦茶な……」
思わず苦笑が漏れる。
だが――
その“無茶苦茶”に、救われている自分がいた。
ミスラはふっと笑い、こちらに手を差し出した。
細く、けれど力強い手。
わずかに震えているのは――恐れか、それとも覚悟か。
「無茶なのは、あなただけで十分でしょ」
子供たちの笑い声が、また風に乗って届く。
その中で――
俺は、その手を見つめていた。
差し出された距離は、ほんのわずかなのに。
なぜか、とても遠く感じる。
(この手を取れば……)
一人で背負う道は、終わる。
代わりに――
誰かと共に進む道が、始まる。
(でも……それは……)
「一人で行かせないわよ」
静かな声だった。
だが、その奥にある決意は、揺るがない。
「絶対に」
風が吹く。
光が揺れる。
子供たちが笑う。
そのすべてが、背中を押してくるようだった。
――ゆっくりと、俺は手を伸ばした。
もう、一人ではないのだから。




