第三十四話 水竜の指輪
アテーナを発って、一日半。
俺たちは、アレースの街へと帰還した。
領主邸へ足を踏み入れると、アスラー、シェリー、そしてミスラが出迎える。
「お疲れ様です、陛下」
アスラーとシェリーが揃って頭を下げた。
「……ああ。本当に疲れたよ」
思わず漏れた本音に、シェリーがくすりと小さく笑う。
その和やかな空気の中で――ミスラが一歩、俺へ歩み寄った。
「タイシ……このあと、少し話せる?」
その瞳には、どこか落ち着かない色が宿っていた。
「え? ああ……」
本来なら、このあと全員に方針を伝え、指示を出す予定だった。
半ば強引にデンスに組まれた日程を思い出し、俺は視線を向ける。
「よろしいでしょう。説明と指示は私が済ませておきます」
ため息混じりに、デンスが肩をすくめた。
(ナイスだ、ミスラ……!)
内心で小さく拳を握る――が、
改めて彼女の表情を見た瞬間、その軽さは消えた。
どちらを選んでも、気楽には済まない。そんな気配。
「……執務室でいいか?」
「ええ」
短く頷き合い、話は決まる。
「シェリー、飲み物を二つ、執務室に頼めるか?」
「承知しました」
シェリーは一礼し、屋敷の奥へ消えていった。
それを追うように、俺とミスラも歩き出す。
背後ではすでに、デンスとアスラーが打ち合わせを始めていた。
執務室へ向かう廊下。
互いに、言葉はない。
(……話ってなんだ? 様子が変なのはわかっているが……)
俺が先を歩き、ミスラがその後ろを静かに追う。
やがて扉の前に立つとーー
(腹を括れ)
心の中で呟き、勢いよくドアを開いた。
室内は、俺が不在だった一週間の間も手入れされていたのか、
埃一つなく整っている。
造りや配置はリオデルカの執務室と似ている。
だがそこには、使い込まれた者の重みではなく、どこか“まだ馴染みきっていない”よそよそしさがあった。
俺は応接用のソファに腰を下ろし、
ミスラも向かいに静かに座る。
やがてシェリーが運んできた飲み物がテーブルに置かれ、
静かに退室していった。
それを見届けてから、俺は口を開く。
「それで……話って?」
「……アスラーから聞いたの。あなたが、ずいぶん私のことを心配していたって」
「え……ああ、まぁ……」
(ずいぶん、って……)
事実ではあるが、少し大げさに感じた。
「その……あの日。ワカナ……あの竜血四侯から指輪を受け取ってから、少し様子が違ったから」
言葉を選びながら続ける。
「気のせいならいいんだけどな」
「……大したことじゃないの。本当に」
そう言いながらも、ミスラは一度も視線を合わせない。
だがーー
意を決したように、顔を上げた。
一瞬だけ、まっすぐに俺を見ると、
懐から指輪を取り出し、テーブルの上に置く。
「これ……よーく“見て”」
「――っ!?」
その一言で、俺は理解する。
視線を集中させる。
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ハイドロゼリオンリング
水竜の力が宿った指輪
特別な者だけが、その力、ドラコニックウェポンを引き出すことができる。
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なんとなく、そんなものだろうとは予想していた。
その指輪は若菜が右手の中指につけているものと似ていたからだ。
ただーー
「水竜……ドラコニックウェポン……」
(あのとき、ワカナが文句を言っていた相手は……)
「そう。そして“特別な者”っていうのは――あなたと」
「……と?」
「あなたの配偶者……もしくは、血縁者よ」
「……は?」
思考が一瞬、止まる。
(そんなこと、ルールブックに書いてなかったぞ……)
いや、そもそもドラコニックウェポンの存在自体書かれていないのだから、当然ではある。
だがそれは、すなわち、竜血四侯、もしくは竜自体が追加したシステムの証であった。
(つまりミスラだけじゃない。もし俺に兄弟姉妹がいたなら、その相手でもいいってことか……?)
「最初に会ったとき、情報を提供できるって言ったでしょう?」
「ああ……」
「その一つが、これ」
「……なるほどな」
ミスラは静かに続ける。
「私の国にも昔、竜血四侯から接触があったの。内容は……ドラコニックウェポンについて」
脳裏に浮かぶのは、あの槍。
腹を貫いた、美しくも異彩を放つ重厚な存在感。
(あれを……俺が?)
現実感が、追いつかない。
「そして、その武器だけが……竜を滅ぼせる唯一の手段だって」
「――っ!」
思わず息を呑む。
(なるほど……蛇の道は蛇、か)
「本来なら……こういうものは全部、あなたに献上すべきなんだけど……」
ミスラが俯く。
「“竜を倒したい私”と……それを使うために“あなたの配偶者になる必要がある現実”が、どうしても整理できなくて……」
頬が、わずかに赤い。
(あれだけ結婚しろって言ってたのに……)
「私、あんなに結婚しなさいって言ってたのにね……」
どうやら、自分でもわかっているらしい。
小さく苦笑する。
そこで、ふと疑問が浮かんだ。
「なあ。この島での“結婚”って、何をもって成立するんだ?」
「……」
「俺たちの世界なら、届け出が必要だ。でもここには、そういう制度はない」
「ええ……」
短い沈黙。
やがて――
「……既成事実、とか……?」
視線を逸らしたまま、小さく呟き、顔を赤く染める。
「……は?」
一気に現実へ引き戻される。
そしてーー
今まで竜とドラコニックウェポンのことで頭がいっぱいだった俺は、目の前の彼女を強く意識してしまう。
同い年の女性。
服越しでも分かる、やわらかな曲線。
何気ない仕草のたびに揺れるその輪郭が、
妙に現実味を帯びて、視線を縛りつける。
(……やばい!)
慌てて目を逸らし、ティーカップに手を伸ばす。
――が、わずかに手元が狂い、紅茶が揺れた。
「な、なんでもないわよ!」
ミスラも慌てて取り繕う。
気まずい沈黙が落ちる。
「……と、とにかく!」
俺が無理やり空気を切り裂いた。
「正直、結婚ってまだ現実味がない。この島での仕方もわからない! だから……その、少し時間をかけて考えよう!」
逃げ、とも言える提案。
だが――
ミスラは、ゆっくりとこちらを向いた。
「……ええ。そうね。それがいいわ!」
まだ頬を赤らめたまま、俺の話に乗っかる。
「その指輪は、とりあえずミスラが持っててくれ。君が受け取ったものだし」
「わかったわ。……ありがとう。それと……ごめんなさい。こんなことで悩ませてしまって」
深く頭を下げる。
その仕草には、迷いがなかった。
(……吹っ切れた、か)
「気にするな」
そう返すと、ミスラは顔を上げーー
「じゃあ、お互い仕事に戻らないとね!」
「うっ……」
現実に引き戻された。
昼下がりの執務室。
曇り空のせいで、室内にはわずかな薄暗さが残っている。
だが――
その中に浮かぶ彼女の笑顔は、年相応で、まっすぐで。
重たかった空気を、やわらかく照らしていた。
彼女が出ていった部屋の中で、俺は考えをまとめる。
ドラコニックウェポンは竜を倒せる。
だが、なぜ竜を倒す必要がある?
この島の竜は、縄張りを侵さなければ、こちらに危害を加えることはないんじゃないのか?
いや……そもそも水竜は“島の外”が縄張りのはず……。
それに、火、水、地の竜の情報は聞いた。
最後の一匹の情報が何も入ってこない。
“風竜”。
存在だけは知っている、その竜に思いを馳せる。
「この地を創ったと“言われる”神は、俺たちに何をさせたいんだ……」
そんな言葉が一人だけの室内に漏れる。
今まで疑問に思っていたことが、頭の中を螺旋の如くぐるぐる回る。
「ダメだ……疲れた……頭が回らん」
俺はそう呟くと、ソファに身を沈めた。
思考はまとまらないまま、意識だけがゆっくりと沈んでいくのを感じーー
俺はそれに身を委ねた。




