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第三十三話 アサヒナ カエデ

「タイシー! ちょっとお醤油とお塩買ってきてー!」



階段下から響くお袋の声がする。



「えー、めんどくさいなぁ……」



ゲームのコントローラーを握ったまま、俺は天井を見上げた。



「手伝いしないと、あんたの晩飯抜きにするよ」



容赦のない追撃が飛んでくる。



「わかったよ……お金は? はなまる商店でいい?」



そう言うと、俺はゲームをセーブし、上着を手にして一階へと降りていく。


はなまる商店は田舎にはよくある個人商店だ。


車社会のこの町では、大抵の買い物は車で少し離れた大型スーパーへ行く。


だが高校生の俺にその選択肢はない。


駅前にはコンビニもあるが、自転車で三十分。


結局、徒歩十分のこの店が最も現実的な選択肢になる。


田んぼの脇を通るあぜ道を進む。


やがて、古びた看板が見えてきた。



(五年前くらいまでは、親に連れられて来たっけ)



愛想のいい、よく喋るおじさんがやっている店――それが俺の記憶だ。



(捕まって長話されたら面倒だな……)



そんなことを考えながら、俺は扉を押し開けた。



「チリンチリンチリン」



鈴の音がやけに大きく響く。



「……」



誰もいない。


まぁこんなものだ。


奥から店主が出てくるだろう。


やがて、奥から足音が近づいてくる。



(ほら来た)



「いらっしゃーい」



声が聞こえる。


だが――



(ん?)



聞き覚えがない。


ガサッ、と暖簾が揺れた。



「……アサヒ?」



顔を出した人影が、目を細める。



「あ……あ……ア……アサヒナさん!?」



思わず後ずさる。


見慣れた顔。


だが、どこか違う。



「なんだ、アサヒかよ」



気の抜けた声で言いながら、彼女はレジの椅子に腰を下ろした。


その仕草はいつも通りだ。


――だが。



(エプロン……?)



スカジャンはなく、代わりにシンプルなエプロン。


その違和感に、頭が追いつかない。



「今日はなんだ? 何買いにきた?」



「……」



言葉が出ない。



「……おいアサヒ? ……おい! アサヒ!」



少し強い声で呼ばれ、はっとする。



「ア……アサヒナさん、ここで……働いているの?」



自分でも間抜けな質問だと思った。



「あん? 働いてるも何も、ここアタシん家」



「え……」



思考が一瞬止まる。



「ママは病気でさ、あんま体良くねぇんだよ」



彼女は淡々と続ける。



「だからアタシが手伝ってんの」



(ママ……)



その呼び方が、妙に引っかかる。


視線が自然と彼女へ向く。


エプロン姿。


いつもより柔らかい空気。


そして――どこか、生活の匂い。



「……」



「アサヒ……お前も……男だな……」



ぽつりと呟くように言われる。



「なーに、女の体ジロジロ見てニヤニヤしてんだよ?」



からかうような笑み。



「ご、ごごご……ごめん!」



反射的に頭を下げる。



「でもニヤニヤなんてしてない! その……」



顔を上げると、彼女と目が合う。


心臓が一瞬跳ねた。



「エプロン姿だったから……」



「あん? あぁ、飯作ってたからな」



「飯?」



「ママのだよ」



少しだけ声が落ちる。



「パパも三年前に病気で死んじまったしな」



「え……」



言葉が続かない。


店の中の静けさが、急に重くなる。



「アタシ一人っ子だし、やるしかねーだろ」



肩をすくめる。


その何気ない仕草が、妙に現実味を帯びていた。



「……なんか……ごめんなさい」



思わず口をついて出る。



「? なに謝ってんだよ」



彼女は笑い飛ばす。


だがその笑顔は、どこか優しかった。


アサヒナさんが笑い飛ばしたその時、



「カエデちゃーん。お湯沸いたよー」



店の奥から声がした。



「ママ、今行くー」



彼女は店の奥へ向かって声を張り上げる。



「わりぃアサヒ、ちょっと待ってて。先、商品選んどいてよ」



そう言うと、アサヒナさんは奥へと消えていった。



(アサヒナさん……ずっとこの家を支えてきたのか……)



俺は彼女のことを、単に怖い人としか思っていなかったことに、どこか後ろめたさを感じていた。


そんなことを考えながら、店内をあてもなく歩く。


いや……本当ならあてはあるのだが……いまは、彼女のことで頭がいっぱいだった。



(この人……こんな感じだったのか……)



学校で見ていた姿だけが、その人の全てじゃない。


そんな当たり前のことを、俺は初めて実感していた。



「なんだよ、アサヒ! まだ商品選んでなかったのかよ……」



しばらくして奥から戻ったアサヒナさんが呆れる。



「あ、もしかして、場所わからなかった?」



「あ……いや……」



「ほら、何欲しいんだよ?」



そう言って彼女はレジから出てくる。


そして――


ぐいっ、と腕を絡めて来た。



「うわっ……!」



一気に距離が縮まる。


布越しに伝わる体温。



「どうせ、食料品だろ? ほれ、こっちだよ」



強引に引っ張られる。



(近い……)



石鹸の香りと、どこか家庭的な匂い。


胸の奥が落ち着かない。



(この人……こんな感じだったのか……)



知らなかった一面が、静かに胸に残った。






静かに目を開けると、俺は帰路に着く馬車の中にいた。



(なんで……アサヒナさんの夢なんて……)



ぼんやりとした意識のまま、窓の外へ視線を向ける。


そこには、リオデルカが護衛としてつけてくれた騎士たちの姿があった。



(あのあと、多少アサヒナさんと話すようになったんだっけ……)



夢の一件以来、アサヒナさんは時折、俺に絡んでくるようになった。


恐喝……いや、商品の押し売り……いやいや、ただの宣伝だ。


そのせいか、俺の中での彼女の印象は、怖いヤンキーから、口の悪い女子生徒へと、少しずつ変わっていった。


ーーいや。


正直に言えば。


“家族のために頑張る、優しい女子生徒”だった。


ふと、馬車の中を見渡す。


デンスは何やら書類に目を通し、リリィは窓の外を眺めていた。



「何を見ているんだ?」



俺はデンスに声をかける。



「昨日決まった方針を見返しているのです」



そう言って、彼は一枚の紙を差し出した。


昨日の協議は、夜遅くまで続いた。


途中で何度か休憩を挟んだものの、それでも長丁場だった。


気づけば、俺とリオデルカ以外は立ったままだったため、全員に椅子を持ってくるよう促した。


日本人の俺にとっては当たり前のことだったが、リオデルカ以外の全員が目を丸くしていたのが印象的だった。


どう動けばいいのか戸惑う彼らに、リオデルカが穏やかに頷いて見せて――ようやく、皆が腰を下ろした。


俺は受け取った紙に視線を落とす。


---

第一回 戦略会議


核たるものとして 二層攻略を方針とする


当該方針を達成するにあたり、軍事、内政、それぞれの大きな戦略を以下に定める


軍事戦略

一つ、七番領地はアレース側が、八番領地はアテーナ側が、調査を強化する

一つ、引き続きサブクラスの確保、および名簿化を実施する。また当該名簿に関しては極秘扱いとする

一つ、リベリオン全体での東西の防衛強化を早急に進めるものとする

一つ、サブクラス含む、戦い方を知らない者への教育環境を整備する


内政戦略

一つ、アレース、アテーナにおける食料の再分配する

一つ、自給率の更なる向上を促すものとする

一つ、“陛下の知識”を取り入れるための研究所および、工房を建設する

一つ、街の周囲に防壁の建設、および入り口には検問を兼ねた門兵を置くこととする


## 上記以外の細かな戦略は二枚目以降に記す

---



「……」



やる事が山積みだった。


逃げ出したかった。


……逃げられないけど。


ふと隣を見ると、リリィが外の景色を楽しんでいた。



「そう言えば、なんで昨日、急に元気になったんだ」



「教えないって言ってるでしょ」



リリィは、こちらを見ずに返事をする。



「リオさんか?」



「……勘がいいね……そうだよ」



(敵わないな……)



「リオデルカ様が、戦いにおける心構えと、その戦い方を教えてくれたの」



「ほぅ……それは興味がありますね」



デンスが興味深そうに口を挟む。



「デンス様にも教えない!」



リリィがぴしゃりと言い放つ。



「今度戦闘があったら見せてあげる!」



少し怒ったように言うその声には、確かな自信が滲んでいた。



「ちょっと教わっただけで変わるものなのか?」



そう尋ねると、リリィはゆっくりとこちらを睨む。



「あ……いや……すまん」



咄嗟に俺は謝罪する。



「もうあんな悔しい思いはしないんだから……」



小さく、だがはっきりとそう言うと、再び外へと視線を戻した。


その横顔は――


さっきまでとは、どこか違って見えた。


リリィは、そっと拳を握る。



(次は……絶対に)



揺れる草原の向こう。


彼女の瞳は、確かに戦場を見据えていた。


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