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第三十二話 周辺状況

朝の陽ざしが、執務室の窓からやわらかく差し込み、室内を淡く照らしていた。


磨き上げられた応接机の表面には、光が静かに反射し、整然と並べられた書簡や地図に薄い陰影を落としている。


窓の外からは、遠くで働く領民たちのかすかな喧騒が届く。


だがこの部屋の中は、それらを切り離したかのように静まり返り、張り詰めた空気だけが支配していた。


アレースとアテーナ、それぞれの状況報告は滞りなく終わった。



「続いては、リベリオンの周りの領地についてです」



デンスは淡々と話す。



「我々と同じ第三層に位置し、アテーナの西に隣接する領地である、十三番領地ですが、領主の名は“タケグチ ジュン”という名です」



第三層。


俺たちはそう呼んでいる、島の中心にある天竜山から一番遠い円状の一帯。


背後を海に囲まれており、攻め込まれにくいという利点はあるものの、資源は決して豊富ではないという欠点がある。



(タケグチ……あいつか……)



俺の脳裏によぎるのは、小柄だが顔立ちが良く、大人しく優しい笑顔の持ち主の姿であった。



「領地の運営については、軍備より、内政に力を入れているようです。


 その甲斐あってか、領民は彼を領主として認め、協力的とか。


 現状は脅威になりませんが、後々厄介になってくる相手でしょう」



俺はいずれ顔を合わすことになるであろう相手を想像し、全身の筋肉がわずかに強張るのを感じた。


リオデルカは小さく相槌を打ちながら聞いている。



「続きまして、こちらも第三層、アレースの東に隣接する領地、十六番領地についてです」



俺の拠点がある、リベリオンの首都、アレースの隣。


一番脅威になり得る領地の一つだ。



「こちらに関しましては、領主の……いや、領地にいる全ての人間がやる気がない……と言いますか……


 活気などなく、みな死んだ目をしているとか……」



「領地にいる全員が……?」



俺は思わず聞き返す。



「はい。このゲームが開始され、まもなく四か月が経ちますが、領内の発展も、軍備の増強もないとか……


 攻め込めば、容易く落ちるでしょう……」



「それで……領主の名は……」



「イシダ タクミという名です」



「イシダ……イシダ……」



記憶を探る。


だが、すぐには引っかからない。



「なんでも、この領主すら、死んだ目をしているとか……」



「……あいつか!」



ようやく像が結びつく。


とにかく影が薄く、クラスメイトと話している姿を見た記憶がない。


休み時間もただぼんやりと座っているだけ。


正直――“気味が悪い”という印象しかなかった。



「どういう男なのだ?」



リオデルカが問う。


俺はその印象を、そのまま言葉にした。



「なるほど……“気味が悪い”か……」



リオデルカは目を閉じ、わずかに思案する。



「様子見……が妥当だろうな」



静かに告げる。



「このゲームに参加せず、時が過ぎるのを待つばかりであるならば攻め滅ぼしてしまえばいいが、罠という線も考えられる。


 ならば調査を継続し、様子を見るのが定石。


 なに、勝手に自滅してくれるならよし。


 もし、不穏な気配があるなら、軍を差し向ければよい」



(攻め滅ぼす……)



リオデルカにしては強い言葉だった。


だが、それが現実だ。


このゲームに参加している以上、避けては通れない。


彼の決意を、俺は正しいと受け入れた。



「そうですね。俺もそれがいいと思います」



「では続きまして、リベリオンの北に位置し、第二層にある二領。七番領地と、八番領地についてです」



デンスは次の報告へと移る。


第二層。


第一層と第三層に挟まれ、防衛が難しい代わりに、領民と資源が豊富な重要地帯だ。



「アレースの北東に位置するのが七番領地、その東、アテーナの北に位置するのが八番領地になります。


 この二領は一カ月前より、小規模でありますが戦闘が起きています。


 まぁ、牽制しあってるという感じですね」



「戦闘が……?」



「はい。どちらも人的資源は豊富なので、事が起きるならこの層からだと思っていましたが、未だ大規模侵攻には至っていないようです。


 また、どちらも女性が領主を務めております」



「……」



「七番領主の名は“カワナミ サクラ”、八番領主の名は“アサヒナ カエデ”と言います」



「!?」



カワナミ サクラーー。


俺の隣の席に座っていた女子生徒。


艶のある栗色の髪は胸元まで静かに流れ、揃えられた前髪の奥からは、どこか控えめな視線を覗かせていた。


静かで、本ばかり読んでいて、誰とも深く関わろうとしなかった少女。



(カワナミさんが……)



胸の奥に、わずかな引っかかりが生まれる。


だが、すぐにもう一人の名前へ意識を向けた。


アサヒナ カエデ。


肩口でふわりと揺れる短めの髪は、整いすぎない自然な丸みを帯びていて、どこか幼さを残していた。


右側の前髪だけがヘアピンで留められているのも、妙に目を引く。


スカジャンを着崩し、口は悪いが、不思議と誰にも媚びない。


孤高――そんな言葉が似合う存在だった。



(あの二人が……戦っている……?)



現実感が、ひどく希薄だった。


俺は二人の印象を説明し、デンスへと問う。



「どちらが優勢なんだ……?」



「それは、こやつらが答えよう」



リオデルカが後ろに控える二人へ目を向ける。



「はい」



ハンスが前に出る――が、口を開いたのはゴランだった。



「情勢が動くほどの戦闘じゃねぇな。


 どっちも人は多い。だが、横やりを警戒してるって感じだ」



ハンスが鋭く睨む。



「なるほど……」



(この偵察に行っていたから、今朝戻ったのか)



「ただ……」



ハンスが気を取り直す。



「私の見立てでは、大きな戦闘が起きれば七番領地のほうが優勢になるかと」



「ほう……それはなぜだ?」



リオデルカが正面を向いたまま問う。



「はい。七番領地の領主、カワナミ サクラは、十三番領地のタケグチ ジュンと似た気質を持っています」



その一言で、リオデルカは深く頷いた。



「優しく、領民の信頼が厚い。協力関係によって成り立つ統治です」



ーーそれは、良い統治だ。


俺はそう思った。



「対する八番領地の領主、アサヒナ カエデは、恐怖で支配しています」



(恐怖で……?)



「恐怖は、人を従わせる最も単純で強力な手段です。


 そして時に、人はその恐怖から逃れるため、限界以上の力を引き出します」



「……」



「平時なら、七番領地が栄えるでしょう。


 ですが――今は戦時です」



ーー!



その言葉は、まるで“優しさでは守れない”と断じられたように、胸に突き刺さった。



「それゆえ、八番領地が優勢になる……か……」



リオデルカが静かに結ぶ。


その言葉を受けるように、デンスが続きを引き取った。



「はい。


 ただし――我々にとっての最優先は食料。


 第二層は、喉から手が出るほど欲しい地です」



「……」



沈黙が落ちる。



「さて、どうする?」



リオデルカの問い。



「……」



俺の中で思考が渦を巻く。



「………」



目を閉じ考える。


そして――決断した。



「……わかった」



「食料確保を最優先とする。


 攻略目標は第二層。


 ただし、七番か八番かの判断は保留。情報をさらに集める」



言い終えた瞬間、全員が頭を垂れた。



「それは、このあとの軍事戦略協議で詰めましょう」



自分の意見が受け入れられたからか、


それとも、俺が情に流されず、第二層攻略を決めたからか、


デンスがわずかに表情を緩める。


ふと、窓から差し込む光が揺れた。


雲が流れたのか、室内の明るさが一瞬だけ陰る。


俺の決断一つで、誰かが生き、誰かが死ぬ。


もう戻れない。


これはゲームであって、ゲームではない。


生きるか、奪うか。


その選択を、俺はもう受け入れている。


静まり返った執務室の中で、俺はゆっくりと目を開いた。


その視線は、もう迷っていなかった。


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