第二十五話 新たな目的
手紙を読む彼女の瞳から、ぽたり、ぽたりと雫が落ちる。
それは足元の草を濡らし、小さな水溜まりとなっていった。
風が、静かに吹いていた。
どこか遠くで、葉が擦れ合う音だけが響く。
リリィは一言も発さず、ただ手紙に視線を落とし続けている。
唇は固く結ばれ、その指先だけがわずかに震えていた。
文字を追うたびに、彼女の中で何かが崩れていくのが分かる。
それでも彼女は、最後まで目を逸らさなかった。
まるで――姉の言葉を、ひとつ残らず受け止めるために。
やがて。
読み終えた瞬間、彼女の腕から力が抜けた。
手紙はかろうじて握られたまま、だらりと下がる。
俯いたまま、肩が小さく、しかし確かに震えていた。
「……おねぇちゃん……」
消え入りそうな声。
押し殺していた感情が、わずかに漏れ出る。
そのあまりに細い響きに、俺は奥歯を噛み締めた。
声をかけることはしない。
ただ、彼女の中の嵐が少しでも過ぎ去るのを、待つしかなかった。
どれくらいの時間が経ったのか。
鼻をすする音とともに、リリィがゆっくりと顔を上げる。
赤く腫れた瞳が、真っ直ぐに俺を射抜いた。
「で? どうしてこれを私に?」
震えは残っている。
だがその奥に、必死に保とうとする強さがあった。
「おまえと、ご両親への手紙だ。……おまえが持っていたほうがいい」
「……」
「それに……俺には、もう――“必要ない”」
沈黙が落ちる。
風だけが、二人の間を通り抜けていった。
「決めたんだ。立ち止まらないって。……そう決心できた。その手紙のおかげで」
「……そう」
短い返事。
そこに感情は、ほとんど乗っていない。
「あぁ……ミリィには、頭が上がらないよ」
「……」
「俺の目的はただ一つ。この島を統一して――神をぶっ飛ばす」
言葉にした瞬間、それは揺るがない芯になる。
「……」
「……それだけ、だったんだが」
リリィの眉が、わずかに動く。
「もう一つ、目的ができた」
「……目的?」
「あぁ」
息を一つ吐いて、俺は言った。
「リリィ。おまえを、両親のもとへ帰す」
「――っ」
彼女の肩が、大きく揺れる。
収まりかけていた震えが、再びぶり返す。
小さな沈黙の中で、かすれる声が零れた。
「そんなこと……できる……わけ……ない」
俯いたままの否定。
だが――
「……そうかもな」
俺はそれを受け止める。
「そうかもしれない。けど――諦めない」
脳裏に、ワカナのあの言葉がよぎる。
――私達、諦めなかったんだよ?
「諦めない」
静かに、だが確かに。
「諦めない……諦めない……!」
胸の奥からせり上がるものを、そのまま叩きつける。
「諦めないッ!! 絶対に諦めない!!」
叫びが、空へと突き抜けた。
視界が滲む。
だが――この涙は落とさない。
泣くのは、全部終わった後でいい。
リリィが、その目を見開く。
そして、その顔がみるみる崩れていく。
「……もう……」
震える声。
「もう……私を……」
言葉にならない感情が、溢れ出す。
リリィは子供のように首を横へ振った。
「私を……一人にしないでよ!!」
張り裂けるような叫びだった。
叫びながら、すがるように俺の腕を掴む。
「みんな、いなくならないでよ!!」
「私の前から……消えないでよぉ!!」
それは、かつて無機質に刃を向けてきた少女の声ではない。
唯一の拠り所だった姉を失い、
どうしようもない孤独と恐怖に押し潰されそうな――
ただの、少女の叫びだった。
――あの子から憎しみを奪っちゃダメだよ。
ワカナの言葉が、頭をよぎる。
だが。
「……悪いな」
小さく呟く。
俺には、無理だ。
ミリィに似て……こんな優しいやつに、
憎しみだけを抱えて生きろなんて言えるわけがない。
俺は静かに涙を拭い、心に刻む。
まずは――リリィの武器だ。
そこからだ。
空を見上げる。
あの日と同じ、どこまでも広がる空。
(ミリィ……今度は俺が誓う番だ)
胸の奥で、言葉を紡ぐ。
(おまえの果たせなかった“目的”――その願いは)
(俺が、必ず果たす)
風が草を揺らし、
その先にある小さな墓標へと流れていく。
俺は静かに、誓いを捧げた。
第一の誓いは果たせなかった。
だからこそ今度は――絶対に。
第一章完結です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
引き続き、明日より第二章の投稿を開始しますので、
面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると嬉しいです。




