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第二十話 リリィ・オルテリア

目を覚ますと、そこには見知らぬ天井があった。


簡素な木造の天井。ところどころに染みがあり、決して清潔とは言えない。


だが、これまでの旅路のほとんどを野宿で過ごしてきた少女にとっては、それでも“まともな寝床”だった。


ただし――一つの例外を除いて。


ガシャ、ガシャ、と乾いた音が響く。


手足を動かしたことで、四肢に取り付けられた鉄の枷と鎖が音を立てた。


ベッドの脚と固定されているそれは、逃亡の余地がないことを明確に示している。


少女はしばらく無言のまま、その状況を受け入れるように視線を落とした。



(……)



思考は、自然とあの日へと遡る。


目の前で、自分が憎しみを向けていた男が、別の女によって腹を貫かれたあの日。


あまりにも唐突で、あまりにも現実味がなかった。


そして何より――


自分でも理解できなかったのは、その時に抱いた感情だった。


殺したいほど憎んでいた相手のはずだった。


それなのに、苦痛に顔を歪める姿を見た瞬間、胸の奥に生まれたのは“悲しさ”だった。


なぜそんな感情が生まれたのか、今でも分からない。


それ以降の記憶は曖昧だ。


ただ、遅れて現れた騎士たちに取り押さえられ、


『ミスラ』と呼ばれていた女性の指示で、この部屋に拘束されたことだけは覚えている。



(もう……どうでもよくなっちゃったな)



少女は力なく目を閉じた。


思い返せば、“お告げ”を受けたあの日から、状況は一方的に悪化し続けていた。


姉妹そろって“お告げ”を受けた日。


両親は悲しみに沈んでいたが、姉は違った。



「必ず帰ってくるから大丈夫だよ!!」



姉はそう言って笑った。


不安でいっぱいだったはずなのに。


まるで遠足にでも行くかのように。


夜、眠りにつく前も――



「じゃあ、リリィちゃん!あっちでね!」



そう言って笑っていた。


しかし、次に目覚めた時、姉の姿はなかった。


少女がいたのは、十四番領地の西の村。


姉とは別の場所に飛ばされていた。


本来であればすぐにでも探しに行くべきだったが、領地間の移動は危険が伴う。


サブクラスを持ってこの地に来たとはいえ、自分の戦闘能力も未知数だった。


そのため少女は、一度現地で生活基盤を整えることを選択した。


幸いにも授かっていたクラスは「薬師」。


薬草を採取し、調合し、食料と交換することで最低限の生活は維持できた。



(大丈夫……あのお姉ちゃんだもの……)



そう自分に言い聞かせながら、日々を過ごしていた。


しかし、この領地の環境は劣悪だった。


領主の統治は行き届いておらず、力の強い者が弱者を支配する構図が出来上がっていた。


実質的には無法地帯に近い状態だったと言っていい。


少女はその中で、極力目立たないように生活していた。


だが、その均衡は長くは続かなかった。


ある日、一人の男に声をかけられる。



「もしや、あなたは……ミリィ・オルテリアさんの妹さんでは?」



男は、自身を十五番領地の宰相デンスに雇われた密偵だと名乗った。


この領地の偵察と並行して、十五番領地のメイド長から「妹を探してほしい」という依頼も受けていたという。


その話を聞いた瞬間、少女の中で希望が大きく膨らんだ。


こんなにも早く、こんなにも近くで姉に繋がる手がかりが見つかるとは思っていなかったからだ。


男は言った。



「あと数日、この地で調査を行います。それが終わり次第、一緒に十五番領地へ向かいましょう」



少女は迷わず承諾した。


数日待てば、姉に会える。


それだけで十分だった。


だが、その“数日”は訪れなかった。


翌日。


男は死体となって発見された。


川辺に打ち捨てられるように転がっていたという。


密偵であることが露見し、処分されたのだ。


密偵と言っても、この地にいる以上、訓練された密偵だとは思っていなかったが、こうもあっさりと……。


そして当然、接触していた少女にも疑いの目が向けられる。



(この村にはもういられない)



そう判断した少女は、その日のうちに村を離れた。


目的地は、十五番領地。


姉のもと。


サブクラスの恩恵により、街道に出現する魔物には対処できた。


決して楽ではなかったが、致命的な障害にはならなかった。


睡眠中の危険を避けるため、


木の上で眠る日もあれば、洞穴でうずくまる日もあった。


最初から整備されていた街道を東へと進んだ。


途中で立ち寄った十四番領地の中心部は、酷い状況だった。


領主による搾取が進んでいるのか、住民は著しく衰弱していた。


食料不足は明らかで、統治が破綻していることは一目で分かった。


その村で、少女は武装した一団を目撃する。


彼らは東へ向かっていた。


自分と同じ方向だ。


接触を避けるため、一泊してから村を出発した。


そのかいあってか、武装した一団に遭遇することもなく、ついに十五番領地へと辿り着く。


十五番領地の西の村は、十四番領地とは異なり、一定の秩序が保たれていた。


空気は重いものの、統治そのものは機能しているように見えた。



(やっと……)



長い道のりだった。


十三歳の少女が単独で移動するには過酷すぎる距離だったが、それでも足取りは軽かった。


期待に胸を膨らませながら、領主邸までの最後の旅の支度をする。


靴はもうボロボロだが、そんなことは気にならなかった。


準備もある程度済ませ、最後に井戸で水を汲んでいた時、村人たちの会話が耳に入る。



「襲撃したのは十四番領地の連中らしいぞ」



その言葉で、十四番領地で見た武装集団の存在が結びつく。


嫌な予感がした。



「……メイドが一人、人前で凌辱されたらしい」



その一言で、思考が止まった。


少女は水桶を落とし、そのまま走り出した。


目的は一つ。


さらに西の領主邸。


無我夢中で走った。


領主邸の前に到着した時、目に入ったのは――棺だった。


運び出される棺。


その中には誰かしらの遺体が入っている。



(違うよね……)



そう思いたかった。


だが、不安は消えない。


気づけば近くにいた老婆に問いかける。



「あの、亡くなられたのはどなたですか?」



返ってきた答えは、少女を打ち砕くものだった。



「この領地のメイド長さんでね……ミリィちゃんっていうの……いい子だったのに……自から……」



その瞬間、思考は完全に停止した。



「気持ちはわかるわ。年頃の女の子が……人前で……ねぇ……」



現実を受け入れることができなかった。


少女はその場を離れ、無意識のまま歩き続けた。



「あ、ちょっと、お嬢ちゃん?」



老婆の心配する声も、耳には届かなかった。


彷徨う彼女は、やがて村外れに辿り着く。


その最中、耳に入った村人たちの会話。



「領主様はなにをやってるんだい!その場にいたっていうじゃないか!」



「いまは、閉じこもってるそうよ。部屋に」



「閉じこもってばっかりで、ちゃんと領地運営しないからこんなことになるんだよ」



「これじゃ、まるで“領主様が殺した”ようなもんじゃないかい!」



女たちの勝手で他愛もない会話。


自分にはどうしようもない事柄が起きた時、誰かに責任を擦りつける人間のそれ。


しかしその言葉が、少女には決定打となり、彼女の中で繰り返し響いていた。



(なんで、なんでよ……)



少女は悲しむ。



(どうして……どうして……助けてくれなかったの!?)



少女は怒る。



(憎い……助けてくれなかった領主が憎い……)



少女は憎む。


彼女の中で、責任の所在が固定された。


――領主が、姉を見殺しにした。


その認識が、感情を一方向へと収束させた。


悲しみは怒りへ。


怒りは憎しみへ。


憎しみは殺意へ。


気づけば村から出て、導かれるように近くの森を彷徨っていた。


そして、その森の中でそれは起きた。


地面が揺れ、何かが落下する音が響く。


その方向へ無意識に向かった少女の前に現れたのは、一対の短剣だった。


明らかに異質な気配を放つ武器。


恐怖心はない。


少女はそれに触れる。


その瞬間、内面の均衡が崩壊した。



(憎い)



(殺す)



(殺してやる)



その感情だけが、残った。


短剣を手にしたその時。


少女は“復讐者”となった。


――そして現在。



「あの時の感情……なくなっちゃった」



薄暗い拘束された部屋の中で、少女は静かに呟く。


頬を伝う涙は、止まらない。


だが、それが何の感情によるものか――


彼女自身にも、もう分からなかった。


ただ一つ分かるのは、もう姉には会えないということだけだった。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回でリリィの背景まで描くことができました。


次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。


面白いと思っていただけましたら、ブックマークや評価などで応援いただけると励みになります。






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