第十九話 襲来
沈黙が、場を支配していた。
誰も動けない。
誰も、言葉を発せない。
喉元に突きつけられた短剣。
それは、小刻みに震えていた。
――リリィの震えが、そのまま伝わってくる。
あと少しでも力が加われば、容易く命を断てる距離。
それでも、彼女は動かない。
足元。
擦り切れた靴。
泥に汚れた裾。
たった一人で、ここまで辿り着いたのだろう。
姉を求めて。
生きていると信じて。
また会えると願って。
そして――知ったのだ。
その最期を。
誰もが、壊れる。
そんな現実を前にして。
「あら?ダメじゃん」
場違いなほど、軽い声。
「殺る時は一撃で決めてあげないと!」
空気が、裂けた。
その声は、明らかに“ここにいた者ではない”。
背後。
ひらり、とスカートが揺れる気配。
振り向こうとした――その瞬間。
背筋に、嫌な予感が走った。
グサリ。
「――っ」
冷たい。
硬い何かが、腹を貫いた。
遅れて、熱が広がる。
「あっれー?私も人のこと言えないなぁ……」
間の抜けた声。
視線を落とす。
腹から突き出たそれは――長槍。
血が、ぽたぽたと滴り落ちている。
その柄は、背後の“女”と俺を繋いでいた。
痛い。
痛い痛い痛い痛い――
視界が揺れる。
「あ……あ……」
リリィの声。
惨状を目の前に、震えた壊れかけの音。
「また会ったね!タイシ君」
その声を、俺は知っていた。
夢の中で。
あの日、確かに会った女。
彼女は、満面の笑みで――
容赦なく、槍を引き抜いた。
ぶち、と嫌な音。
血飛沫が弾ける。
それが、リリィの頬にかかる。
だが彼女は、動かない。
完全に、思考が止まっていた。
俺は、女のほうを見る。
彼女が持つその槍は、いや、それを“槍”と呼ぶには、あまりにも異質だった。
先端は剣のように幅広く、
その両脇から伸びる刃は、まるで獣の角のように歪に反り返っている。
柄の付け根に埋め込まれた宝玉が、不気味なほど静かに光っていた。
――武器、というより。
これは『何かを葬るための象徴』だ。
そして、リリィの持つオディウム・デュアルダガーに似た、いやそれ以上の輝きを放っていた。
ただ違うのは、その槍が放つ輝きが“水色”だったことだ。
「あれ?もしかして、そっちの子、戦意喪失しちゃった?」
くすり、と笑う。
俺の体は考えるよりも早く動いた。
「……その子、君の命狙ってた子だよ?それでも庇うんだ……。優しいんだね」
リリィを背に庇うように女と対峙した俺に、答える余裕などない。
「心配しなくても、その子に用はないよ。……ほっといても、いずれ“喰われる”し」
ぞくり、と背筋が冷える。
「ふーん。今代、“二人目の復讐者”は、この子なんだ……それも“また”この地で」
リリィへ向けられる視線は――冷たい。
値踏みするような。
観察するような。
まるで、“人間ではない何か”を見る目。
「殿下!」
デンスの声。
崩れ落ちそうな俺へ、必死に手を伸ばす。
だが。
「じゃま」
軽く振るわれた槍の柄。
それだけで。
「うっ……!」
デンスの体が沈む。
力の差が、あまりにも露骨だった。
「さて!」
女が満面の笑みを浮かべる。
「ごめんね!タイシ君!」
くるり、とこちらへ向き直る。
さっきまでの残酷さが嘘のように、明るく。
「こないだこっそり、会ったのバレちゃったんだ」
意識が霞む中。
それでも、俺は彼女を“視た”。
---
ハシグチ ワカナ 竜血四侯 グランド・ドレッドノート(グランドクラス)
STR ?? VIT ?? DEX ?? AGI ?? INT ?? EXP ??
ハイドロゼリオン・ランス ドラコニックウエポン
STR+25 VIT+25 DEX+25 AGI+25 INT+25 EXP+25
水竜の力が宿った槍
ドラコニックレザーアーマー ストラテジーグレード
VIT+7 STR+3
ドラコニックレザースカート ストラテジーグレード
VIT+7 INT+3
ドラコニックレザーグローブ ストラテジーグレード
DEX+10
ドラコニックレザーブーツ ストラテジーグレード
AGI+10
---
(……日本人……?)
それに――
「竜血四侯……」
ミスラが、かすかに反応する。
「おっ!成長してるね!」
ワカナが笑う。
「前は驚くだけで、私のこと見ようともしなかったのに!」
「おま……え……なん……だ……」
かろうじて絞り出す。
「そのままだよ?」
彼女はあっさりと言った。
「私は竜血四侯のワカナ。君を殺しに来たよ!」
あまりにも、軽い。
「本当は接触しちゃいけなかったんだけど……興味本位で会っちゃったから、怒られちゃってさ」
その小柄な体で、巨大な槍を軽々と振り回す。
異様。
ただ、それだけが際立つ。
「だから、申し訳ないけど――死んでもらうね」
槍を構える。
「いたぶる趣味はないから、安心して」
彼女は笑う。
「……待ち……なさい……」
そんな彼女の笑顔を遮ったのはミスラだった。
血を吐きながら、それでも立つ。
俺と――ワカナの前へ。
「もう……私は殺人鬼じゃないんだってばー。邪魔しないでくれる?」
「あなたたちは……なんなの……」
震える声。
それでも、問う。
「敵なの? “味方”なの?」
一瞬。
空気が、止まる。
ワカナは真っすぐにミスラを見つめる。
しかし次の瞬間、その目はミスラから外された。
「……」
「え?なに?」
ミスラに言ったのではない。
「……」
「知らないよ……そんな事……」
誰か“別の存在”に向けて、言っている。
「……」
「へぇ……この子が……」
ゆっくりと、ミスラに視線を戻す。
しかし、次の瞬間。
「……」
「え?は?なんで?」
その顔が、歪む。
先ほどまでの軽さが消え、不機嫌が滲む。
「……」
「勝手なこと言わないで!あなたが言ったから来てるのよ!」
苛立ち。
抑えきれない感情。
しばしの沈黙。
「……」
「……はぁ」
大きくため息をつく。
「ほんと、腹立つ」
空気が、重く沈む。
ミスラは、震える手で槍を握り直す。
その音に、ワカナが反応する。
そして――
ぱっと表情が戻る。
「あっ!ごめーん!質問なんだっけ?」
まるで、何もなかったかのように。
「……!」
ミスラが睨む。
「そう睨まないでよ!こっちにも事情があるの!」
そう言って、左手を掲げる。
一瞬、光。
次の瞬間。
その手には、指輪があった。
「これ……あなたにだって」
放られる。
ミスラは、反射的に受け取る。
「これは……」
「あなたなら、分かるんじゃない?」
冷たく。
突き放すように。
「それと、アイツから伝言」
視線が、わずかに鋭くなる。
「“やってみろ”だってさ」
「――!!」
ミスラの目が見開かれる。
「さて、帰ろっかな」
くるり、と背を向ける。
「ま……待ちなさい!」
届かない。
「じゃあね!タイシ君!また会いにくるね!」
ウインク。
この状況で。
狂っている。
「ミスラちゃんと……リリィちゃんだっけ?も。またね!」
砂埃。
そして。
消えた。
本当に、最初からいなかったかのように。
「…………」
静寂。
重たい空気だけが残る。
ミスラは、しばらく指輪を見つめていた。
やがて、はっと我に返る。
「タイシ!大丈夫!?」
俺の体を抱き上げる。
温もり。
遠くなる意識。
「ミス……ラ……たの……む……」
かろうじて、腕を上げる。
指した先には、リリィの姿があった。
頬を拭ったのか、血に濡れた手で座り込む少女。
壊れたままの、瞳。
「リ……リィを……頼む……」
それが、最後だった。
意識が、静かに闇へと沈んでいく。




