第十六話 リオデルカ・アストロガルド 2
俺はリオデルカのあとを追い、彼の家を出た。
言葉はない。
ただ、並んで歩く足音だけが、乾いた土を踏みしめて響いていた。
決して大きくない村の中心を抜け、ゆるやかな坂を上り、高台へと向かう。
道中すれ違う村人たちは、誰一人として不安や絶望の色を見せていなかった。
この島に“飛ばされた”という現実など、まるで存在しないかのように。
それどころか、活気に満ち、笑い声すら聞こえる。
そして――
会う人、会う人が、自然な笑顔でリオデルカに声をかけていた。
気取るでもなく、媚びるでもなく。
ただ、当たり前のように。
(これが……統治者……賢王……)
胸の奥で、何かが静かに沈んだ。
やがて辿り着いた高台からの景色は、息を呑むものだった。
島の中心には、日本の富士山にも似た、美しい円錐の山が悠然と鎮座している。
空を突き刺すその姿は、どこか神聖ですらあった。
あの火口付近が火竜の寝床。
そしてその地下には、地竜の縄張りが広がっているという。
だが、この島にいる限り――
奴らは、自らの領域を侵さぬ者を襲うことはないらしい。
(あの邪竜を……この手で、殺せるか……)
昨日のミスラの言葉が、脳裏に蘇る。
――その時だった。
「さて……ここからは王も先王もなしだ」
リオデルカはそう言うと、ゆっくりと草の上に腰を下ろした。
風が草を揺らし、その白髪をわずかに揺らす。
「一人の少年と、ただの老人として話させてもらってもよいかな?」
「……はい」
俺は迷わず頷き、その隣に腰を下ろした。
少しだけ距離を置いて。
「先程、神をぶっ飛ばすと言ったな」
「……はい」
言葉が、喉に引っかかる。
「そう怯えんでもよい」
穏やかな声だった。
「神を信じるも、敬うも、憎むも……人の自由だ」
「……!?」
思わず顔を上げる。
その言葉は、あまりにも予想外だった。
「ただ……」
その声色が、わずかに低くなる。
「神を討つということは、この島を統一するということだ。“言い伝えが本当なら”な」
「……」
引っかかるような言い方。
「すなわち――そなたの同郷の者たちを討つということになる」
胸の奥が、鈍く軋む。
「そなたの目には、憎しみと怒りしか宿っておらぬ」
静かな指摘。
「それは“覚悟”ではない」
「……っ」
わかってはいたが、言葉を失う。
「戦とは覚悟だ」
風が静かに吹き抜ける。
「憎しみも怒りも力にはなる」
「だが、それだけでは視界を曇らせる」
「その目で、その思いだけで――」
リオデルカは真っ直ぐ俺を見た。
「そなたは本当に神を……いや、“敵”を討てるのか?」
その言葉が、胸の奥へ重く沈む。
それでも、目を逸らすわけにはいかなかった。
「……正直……」
絞り出すように、言葉を紡ぐ。
「……わかりません」
沈黙。
だが、俺は続けた。
「でも……今、この思いを、この歩みを止めたら……」
拳が、無意識に握られていた。
「……もう二度と、立ち上がれなくなる気がするんです」
リオデルカは何も言わない。
ただ、静かに聞いている。
「同郷の奴らには……正直、“顔見知り”くらいの感情しかありません」
自分でも驚くほど、冷たい言葉だった。
「でも……いざ、その時が来たら……」
言葉が、続かない。
「……どうなるか、自分でも想像がつかないです」
「つよがらんのだな」
ぽつりと落とされた一言。
「……」
強がりたかった。
いや、強がっている。
みんなの前では。
でも――
この人の前では、それができない。
「はっはっはっはっ! 王には向かんな」
豪快な笑いが、静寂を打ち破った。
しばらくして、笑いが収まる。
「スカーレット・レガリア」
「……え?」
「覚えておくとよい。血塗られた英雄。その名は、いずれそなたの前に立ちはだかる」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
「……はい」
再び、沈黙。
だが先ほどとは違う。
どこか重く――そして確かなものを孕んだ静けさだった。
「あの……一つ、いいですか?」
「なんだ?」
「さっきの……“言い伝えが本当なら”って……」
「……」
リオデルカは一瞬だけ空を見上げた。
「まだ、その時ではない」
短い答え。
だが、その奥に何かがあるのは明らかだった。
「約束しよう」
ゆっくりと、こちらを見る。
「時が来れば、そなたにこの島の“本当の歴史”を話すと」
「……はい」
それ以上、聞くことはできなかった。
「さて――十四番領地の代官の件であったな」
空気が変わる。
リオデルカはゆっくりと立ち上がり――
次の瞬間。
片膝をついた。
「陛下の勅命――」
その声音は、先ほどまでの“老人”ではない。
かつて王として君臨した者の、揺るぎない響きだった。
「このリオデルカ・アストロガルド、確かに拝命いたしました」
「ほ、本当ですか!?」
思わず声が裏返る。
「でも……どうして……」
リオデルカはゆっくりと顔を上げ――
わずかに、笑った。
「なぁに……年寄りの気まぐれよ」
その目は、どこか楽しげで――
同時に、鋭かった。
「王に向かぬ少年が、真なる王へと至る道――」
「それを、この目で見たくなっただけのこと」
「……そんな理由で……」
思わず呆れる。
だが――
「それにな」
リオデルカは、静かに空を見上げた。
「冥土の土産にするには、これ以上ない面白い物語ではないか」
風が吹いた。
その言葉は、やけに――重く、そして温かく胸に残った。
「王として、まずはその姿勢から直さんとな」
俺は思わず顔を引きつらせた。




