第十五話 リオデルカ・アストロガルド 1
部屋の中には、重たい沈黙が漂っていた。
窓の外では、夜風がかすかに木々を揺らしている。
虫の鳴き声が遠くで響き、この小さな部屋だけが、世界から切り離されたように静まり返っていた。
彼女の語った過去は――あまりにも重い。
理不尽で、救いがなくて、どうしようもなく現実的な絶望。
目の前にいる少女のものとは思えないほどに。
背中越しに見えるミスラの肩は、どこか力が抜けていて。
その華奢な背中は、さっきよりもずっと小さく見えた。
――こんなもん、なんて声かけりゃいいんだよ……
喉まで言葉が出かかって、結局、何も出てこない。
俺はただ、黙っていることしかできなかった。
すると――
「そう!だから!」
バッ、と勢いよくミスラが立ち上がる。
さっきまでの空気を、強引に切り裂くように。
「私と結婚しなさい!」
くるりと振り返り、無邪気な笑顔。
さっきまでの話が嘘みたいな、軽さ。
「なんでそうなるんだよ!!」
思わず叫ぶ。
感情の振り幅についていけない。
ミスラは、そんな俺を見て――
くすくすと楽しそうに笑っていた。
(いや、マジでなんなんだコイツ……)
さっきまでの重苦しい空気が、一瞬で霧散していく。
だが――だからこそ、余計に引っかかる。
「それより……なんで……出会ったばかりの俺に、そんな話できるんだよ」
自分でも少し意外なくらい、静かな声が出た。
ミスラは少しだけ首を傾げる。
「んー?なんでだろ?」
少し考える素振りを見せてから――
「たぶん、あなたが私に似てたからかな?」
「似てる?」
思わず聞き返す。
俺と、こいつが?
「そう」
あっさりと頷く。
「大切なものを目の前で奪われて――それでも綺麗ごとを言わず、復讐を選ぶところ」
「……」
言葉が詰まる。
否定も、肯定もできない。
胸の奥を、まっすぐ突かれた感覚。
ミスラが、少しだけ意地悪く笑う。
――何も言い返せない。
「それと」
俺は視線を逸らすように話題を変える。
「さっき、自分から参加したみたいなこと言ってたよな? あれ、どういう意味だ?」
「? どういう意味って……そのままの意味よ?」
当然のように返される。
「え……このゲームって、自分の意思で参加できるのか?」
思わず身を起こす。
ミスラは軽く頷いた。
「そうよ。まぁ、わざわざ参加する人なんてほとんどいないけどね」
(自分から、こんな地獄に来るやつがいるのかよ……)
内心で呟く。
だが、目の前に“いる”。
復讐のためだけに、ここに来たやつが。
「“竜の盃”にね、自分の血で名前を書くの」
さらりと、とんでもないことを言う。
「それで、このゲームに参加できる」
「……」
言葉を失う。
(なんだよ、それ……)
軽い気持ちで踏み込んでいい領域じゃない。
明確な“覚悟”が必要な行為だ。
「ま、要するに!」
ぱん、と手を打つ。
場の空気を、また軽くするように。
「私だって、少しは信用してもらおうって努力したってこと!」
にこっと笑う。
どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。
掴みきれない。
「じゃ、おやすみ!」
くるりと背を向け、そのまま扉へ向かう。
ギギ、と音を立てて扉が開く。
「お、おい――」
呼び止めようとして、言葉が出てこなかった。
翌日、俺たちは指定されたリオデルカの家へと赴いた。
屋内は静まり返っており、中央のテーブルに――ただ一人、リオデルカが腰を下ろしていた。
その佇まいだけで、場の空気が引き締まる。
「あらためまして、領主殿。ワシはリオデルカ・アストロガルドと申します」
落ち着いた、しかしどこか底の見えない声だった。
「……お初にお目にかかります。おれ――」
一瞬、言葉が詰まる。
「……私は、アサヒ タイシと申します。リベリオンの領主……いえ、王を務めております」
慣れない一人称が、やけに口の中で重かった。
「リベリオン?」
「はい。つい先日、この領地をそう名付けました」
「なるほど……」
リオデルカはわずかに目を細め、何かを測るようにこちらを見る。
値踏みされている――そう感じた。
「さて、ミスラ殿下。
お久しゅうございますな。
まさかこの島でお会いするとは、夢にも思いませなんだ」
その視線がふっと柔らぐ。
「ご無沙汰しております、リオデルカ様。
ご健勝のご様子、何よりでございます」
ミスラは一歩前に出て、優雅に頭を下げた。
普段の彼女とは別人のような、完璧な所作だった。
「そなたも久しいな、デンス」
「……リオデルカ先王陛下。ご無沙汰しております」
「三年前の“あの件”以来か」
「……はい」
言葉はそれだけだった。
だが、その短いやり取りだけで、空気が重く沈む。
踏み込んではいけない領域――そう本能が告げていた。
「さて――それでは、王よ。要件をお伺い致しましょう」
沈黙を断ち切るように、リオデルカがこちらへ向き直る。
その一言で、逃げ場はなくなった。
「……は、はい」
喉が乾く。
それでも――逃げるわけにはいかない。
俺は一度、大きく息を吸い込んだ。
そして、襲撃のこと。
十四番領地の現状。
代官が必要なこと。
すべてを、言葉にして吐き出した。
途中で何度も言葉に詰まりそうになったが、それでも止まらなかった。
最後に――
「……十四番領地の代官を、あなたにお任せしたいと考えています」
そう、言い切った。
話している間、リオデルカはずっと目を閉じていた。
時折、小さく相槌を打つだけで、それ以外の感情は一切見せない。
やがて、静かに目を開く。
「話は理解致しました」
その声は穏やかで――
「しかしながら、ワシは統治者の座を退いて三年。
老い先も短い身にございます。
ご期待に添えられるかは、何とも申せませぬな」
やんわりと、だがはっきりとした拒絶だった。
「――私は」
気づけば、言葉が先に出ていた。
「私の世界では、“子供”でした。何も知らず、何もできない側の人間でした」
拳が、無意識に強く握られる。
「それでも――戦うと決めました」
一瞬の沈黙。
「どうか……どうか、お力をお貸しください」
俺は深く、腰を折った。
「これこれ、王たる者が、そう容易く頭を下げるものではありませぬぞ」
呆れとも、感心ともつかない声。
だが――
「いえ」
顔を上げずに、言い返す。
「たとえどんな立場になろうと……礼を尽くすべき相手には、尽くすべきだと思っています」
「……ほう」
わずかに、空気が変わった気がした。
「そこまでして――あなたは、何を成そうとしておられるのです?」
静かな問い。
試されているのが、はっきりとわかった。
「方法は存じ上げないが……元の世界へ帰るため、ですかな?」
「……そこまでは、考えていません」
短く、正直に答える。
迷いは――あった。
だが、嘘はつけなかった。
「では、何と戦い、何を成すのです?」
その問いは、逃げ場を許さない。
「私の目的は――」
一瞬、言葉が止まる。
ミスラの視線。
デンスの気配。
そして、目の前の“元王”。
全部を背負ったまま――
俺は、口を開いた。
「――神を、ぶっ飛ばすことです」
場が、凍りついた。
「神を……?」
リオデルカの声が、わずかに低くなる。
横を見ると、ミスラが露骨に「やっちゃった」という顔をしていた。
だが、もう引けない。
沈黙が、じわじわと広がっていく。
その重さに耐えきれなくなりそうになった、その時――
「……少し、二人で外を歩きませんか」
リオデルカが、静かに立ち上がった。
その表情からは、何も読み取れない。
こちらの返事を待たず、扉へ向かう。
「……はい」
短く答え、俺はその背を追った。




