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第百四十話 リンウェルの一歩

散策からの帰り道、辺りはすっかり夕暮れ時を迎えていた。


空の端から藍色がじわりと染み出し、朱色の残光を塗り潰していく。


その短い黄昏の中を、リンウェルは鼻歌交じりに歩いていた。



「ご機嫌ですね」



背後から、シャノンの声がする。


シャノンもまた、楽しそうなリンウェルを見て、自然と笑顔になっていた。



「ええ。とても」



リンウェルは今の気持ちを隠すことなく、素直に返す。



(かわいい……)



シャノンは、そう思った。


先ほどまでいた、空き地という名の公園で、リンウェルは領民達に半ば強制的に訓練へ参加させられていた。


最初こそ戸惑ってはいたものの、サブクラス装備を具現化すると、領民達は大興奮。


それに加え、模擬戦で見せた圧倒的な強さに、彼らは大歓声を上げた。


ステータスの恩恵があるとはいえ、その身のこなしは美しく、鋭く、見る者を惹きつけるものがあった。


それが気持ちよかったのか、リンウェルは城までの帰り道を、まるで子供のような上機嫌で歩いていたのだ。


二人はアウター・リムを抜け、建設中のミドル・リングに差し掛かった。


ミドル・リングには既にいくつかの建物が建っており、労働者達がせわしなく動いていた。


リンウェルはそんな光景を見ると、先ほどまでスキップでもしているかのようだった足取りを止める。



「……いかがいたしました?」



シャノンが、先ほどまでとは様子の違うリンウェルに尋ねる。



「……」



「……」



足を止めた二人の間に、沈黙が流れる。



「……シャノン」



「はい」



「決めましたわ」



「?」



急な決断に、シャノンは首を傾げる。



「公園を作りましょう」



「え?」



「公園です。緑があり、領民も、私達(わたくしたち)も、心を休められる公園ですわ」



「それは、良い考えかと思います」



シャノンが答える。



「それと……」



「はい」



「道場を開きます」



「え!?」



あまりにも急な話に、シャノンは思わず声を上げた。



「クロフォード流の誕生ですわ」



リンウェルは背筋を伸ばし、視線をミドル・リングで働く労働者達へ向けたまま言う。



「お、お待ちください! なぜ急に?」



いや、急でもない話だった。


先ほどの公園での模擬戦で、リンウェルは圧倒的なまでの強さを見せつけた。


その体さばきは、恐らくステータスの恩恵がなくとも、元シルフィード王国の兵士だったダニアンを圧倒していただろう。


その甲斐あって、というべきか、ダニアンやそこで武の稽古に励む者達から、定期的に教えに来てくれないかと打診されたほどだった。



「もしや、あの打診をお受けになるのですか?」



シャノンは聞く。



「いえ、さすがに毎回アウター・リムまで足を運ぶわけにはまいりませんの」



「……」



「でも、このミドル・リングなら、アウター・リムで暮らす領民も、城で暮らす(わたくし)も来やすいですわ」



「それは……そうかもしれませんが……」



「それに……」



リンウェルは、ここでようやくシャノンに視線を向けた。



「それに?」



(わたくし)、思いましたの。領民達もやはり、不安を抱えているのだと」



先ほどの公園で訓練をしていた者達は、自衛のための訓練も兼ねているという話だった。


戦いが基本のこの島では、力なき者は淘汰される。


力なき者は、自分の道を選ぶ選択肢が、極限まで狭まってしまう。


リンウェルは、そんな現実をおぼろげながら再認識していた。



「もちろん、領民達が武器を持たないで済むことに越したことはありませんわ」



「……」



「でも、現実はそうもいきませんの。それなら、希望する者に道を開いて差し上げるのも、国の責務なのではなくて?」



「……はい。その通りかと存じます」



「それに、(わたくし)は陛下の妻として、お側にいる身ですわ」



リンウェルは、少しだけ胸に手を当てる。



「ただ守られ、ただ与えられるだけではいけませんの。(わたくし)にできる形で、この国の役に立ちたいのです」



「リンウェル様……」



シャノンの返事を受け取ると、リンウェルは柔らかく笑った。



「あとは……陛下がなんとおっしゃるかだけですわね……」



「そうですね……」



唐突。


確かに唐突ではあった。


だがシャノンは、リンウェルが第二夫人として自分にできることを見つけたことに、胸を撫で下ろした。



「それと……」



「それと?」



どうやら、リンウェルの話はまだ終わらないようだった。



「今晩……もしかすると、夕食は必要ないかもしれません」



「え? どこか体調でも悪いのですか!?」



リンウェルの発言に、シャノンは慌てふためいた。



「そうではありませんわ!」



リンウェルは至って元気そうに言った。


シャノンはリンウェルの顔色をうかがう。


頬はわずかに赤く、顔色もむしろ良いように見えた。


(ん? 頬が赤い……?)



「その……察してもらえると……助かりますわ……」



リンウェルはそう言うと、顔をさらに赤らめて俯いた。



「……」



シャノンは、そんなリンウェルを見て考え込む。


そして、ある結論に至ったシャノンもまた、みるみる顔を赤らめた。



「か、かかか、かしこまりました!」



シャノンは、リンウェルが今夜、陛下の私室を訪ねるつもりなのだと察した。






城に戻ったリンウェルは、シャノンに礼を言って別れると、そのままタイシを訪ねた。


タイシはまだ、エリュシオン城の執務室で机仕事をしていた。



「陛下。お話があります」



自分を訪ねてきたリンウェルが、急に真面目な顔でそんなことを言い出したことに、タイシは目を丸くし、思わず息を呑んだ。


執務室内には、タイシと、飲み物のおかわりを持ってきていたシェリーしかいない。


執務室にいるのがタイシとシェリーだけなのは、リンウェルにとって好都合だった。



(わたくし)、領民達の憩いの場となる公園を作りたいと思っておりますの!」



リンウェルはタイシの返事を聞く前に、自分の想いを伝える。



「公園?」



「ええ! 公園です!」



「うん、いいんじゃないか。


 公園のような場所は、一見すると何も生み出していないようでも、人が暮らすうえでは大切だって、何かの本で読んだことがある」



詳しく説明できるほど理解しているわけではなかったが、タイシも直感的に必要な場所だと感じていた。



「本当ですの!?」



「ああ。場所は……」



「それと!」



リンウェルは、タイシの話を遮るように言葉を続ける。



(わたくし)、道場を作りたいと思いますの!」



「へ!?」



思いもよらぬ言葉に、タイシは再び目を丸くする。


一方、シェリーはというと、目を閉じ、表情を変えずに話を聞いていた。


リンウェルは今日あったことと、そこで自分が思ったことを、嘘偽りなくタイシに伝えた。



「……なるほどな……」



タイシは、リンウェルの話を聞き終えると、静かに納得する。



「確かにリンウェルの言う通り、武器を持たないことに越したことはないが……現状、そうも言っていられないか……」



「……そうですの」



「……」



タイシは腕を組み、しばらく考える。



「分かった。公園や道場の場所も含めて、デンスに相談してみるよ」



タイシのその言葉に、リンウェルの顔は子供のように明るくなった。



「ありがとうございます! 陛下!」



リンウェルは嬉しそうに礼を言う。



「話は以上か?」



タイシが聞く。



「……いえ」



(まだ……何かあるのか?)



「……」



しかし、リンウェルは言葉を発しない。


その代わり、頭を垂れ、俯いていた。



「?」



タイシは首を傾げる。


そんなタイシをちらりと一瞥すると、リンウェルは大きく息を吸い込んだ。


そして――



「シェリーさん!」



おもむろにシェリーへ視線を向ける。



「はい」



「本日の陛下の公務は、ここまでとします!」



「え?」



タイシの口から、驚きの声が漏れる。



「そして、シャノンにも言いましたが、陛下と(わたくし)の今晩の夕食は、用意していただいても無駄になってしまうかもしれません!」



(ちょっとちょっと……この子……何を言っているんだ?)



タイシは思った。



「かしこまりました」



姿勢は相変わらず正したまま、シェリーは間髪入れずに返事をする。



(ちょっとちょっと、なんで何食わぬ顔で了承しているんだよ)



そんなシェリーの様子に、タイシは内心で突っ込む。



「陛下」



そう言うと、リンウェルはタイシに近づき、羽ペンを握っていた右手首を掴んだ。



「え?」



「行きますわよ」



「え? え? どこに?」



「いいから、行きますわよ!」



タイシは、いつになく強引なリンウェルに手を引かれ、執務室をあとにする。


リンウェルがタイシを連れて向かう先は、タイシの私室だった。


その背中を見送りながら、シェリーは静かに一礼する。



「では、本日のご夕食は、軽めで温め直せるものをご用意しておきます」



「いや、待ってシェリー! そこは止めるところじゃないのか!?」



タイシの抗議は、廊下の向こうへと遠ざかっていく。



「陛下」



「はい……」



「今日は、(わたくし)のお願いを聞いてくださいますわよね?」



振り返ったリンウェルの頬は赤い。


けれど、その手はまったく緩まない。



「お願いって……公園と道場の話は、もう聞いたよな?」



「ええ。ですから、ここからは別のお願いですわ」



「別の……?」



(わたくし)、本日はとても頑張りましたの」



「う、うん」



「でしたら、ご褒美をいただいてもよろしいでしょう?」



そう言って、リンウェルは恥ずかしそうに視線を逸らした。


その仕草だけを見れば、可憐な令嬢そのものだった。


ただし――タイシの手首を掴む力だけは、まるで戦場で獲物を逃がさない騎士のそれだった。



「……えっと、ちなみに俺の心の準備は?」



「それは、お部屋に着くまでに整えてくださいませ」



にっこりと微笑むリンウェル。


その笑顔を見て、タイシは悟った。


今夜のリンウェルは、どうやらいつもより少しだけ大胆らしい。


そしてこの日、それ以降、二人の姿を見た者はいなかった。






翌朝。


部屋に朝食を届けに来たシェリーの視線に入ったのは、揃って少し寝不足らしい顔をしたタイシとリンウェルだった。



「おはようございます、陛下。リンウェル様」



いつも通りの顔で、シェリーが朝食を並べる。



「昨夜は随分と、道場について熱心にご相談されていたようですね」



「ぶっ――!」



タイシが水を吹き出す。



「昨夜は、結局ご夕食にも手をつけていただけませんでしたね」



「すまん……」



「それに……昨夜は、随分長い間お励みだったようで――」



「シェリーーーー!!!」



タイシの叫び声が、部屋中に響き渡る。


隣では、リンウェルが真っ赤な顔で俯いていた。


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