第百三十九話 リンウェルの散策
「ずいぶんと、人の往来がありますのね」
「はい。この領地の四方に点在していた村々を廃し、住民をこの地へ集めましたから」
リンウェルとシャノンの二人は、エリュシオン東のアウター・リムにあるメインストリートを歩いていた。
そこは昼間ということもあり、行き交う人々で賑わっている。
道の端には物々交換の露店なども並び、あちらこちらから声が飛び交っていた。
「私たちがいた頃とは、大違いですわね」
「はい……」
自嘲気味に笑うリンウェルに、シャノンは暗い顔を見せた。
過去を思い返しているのだろう。
二人はともに、この島に飛ばされた際、この地に降り立った仲だった。
「シェリーさんに焚きつけられた勢いでここまで来ましたが、いったい何をしたらいいのか……」
リンウェルは辺りを見回しながら、そう言った。
リンウェルにとって、アウター・リムは久しぶりの訪問だった。
これまでは、何か目的があってここまで来ていた。
だが、今はその目的もなく、ただ彷徨っているだけに過ぎない。
(とにかく……動いてみる……)
ただそれだけで、今ここにいる。
「リンウェル様のライフワークになり得るものが、簡単に見つかるものでもありませんし、お散歩と思って気楽に参りましょう」
シャノンが励ますように言う。
「そうですわね……ありがとう、シャノン」
リンウェルが笑顔で返したその時、右斜め後ろを歩くシャノン越しに、一本の路地が目に入った。
「あの路地……どこに繋がっているのでしょうか?」
「あの路地?」
シャノンはリンウェルの視線の先を追い、自分の背後を振り返る。
そこには、メインストリートから住宅街へと伸びる、細い路地があった。
「あぁ、あれはアウター・リムの住宅街を通って、南のメインストリートに繋がる路地ですね」
仕事でたびたびアウター・リムを訪れているシャノンが答える。
「……」
しかし、リンウェルはそれには答えず、何かを考え込んでいるようだった。
「リンウェル様?」
首を傾けながら、シャノンが聞く。
「……行ってみましょう」
「え?」
「せっかく来たのですし、まだ行ったことのない道を通ってみましょう」
リンウェルは笑顔で言う。
「しかし……路地は危険……では?」
「問題ありませんわ! 私、こう見えてもフェンサーのサブクラス持ちですのよ」
「それは存じておりますが……」
なおも引き下がらないシャノンに、リンウェルは優しく言う。
「それに、領民は毎日その“危険”な路地を使い、生活しているのですわよね?」
「それは……そうですが……」
「ならば、私も、この国を治める王の妻として、その“危険”とやらを、身をもって知っておくべきだと思いますの」
そう言うリンウェルの表情は、どこか少女のように楽しげなものだった。
「……ご随意に……」
その顔を見たシャノンは、ついに諦めるのであった。
アウター・リムの東と南を繋ぐ路地裏は、思いのほか綺麗に整備されていた。
住宅街とあって多少入り組んではいるものの、視界もそれほど悪くない。
危険があるようには思えなかった。
「まぁ、路地裏ともなれば、やはり人の往来は減りますわよね……」
リンウェルは辺りを見回しながら、溜息交じりに言う。
「そうですね。ここはメインストリートとは違い、基本的には住居へ向かうための道ですからね。
あるものといえば、共同井戸と、小さな公園くらいでしょうか」
シャノンが現状を説明する。
「公園? 公園があるのですか?」
「え?」
リンウェルの予想外の食いつきに、シャノンは一瞬戸惑いを見せる。
「公園! あるのですか?」
リンウェルの顔が、シャノンの顔に近づいてきた。
「は、はい! あります!」
「シャノン! 案内してください!」
シャノンが答えると、間髪入れず懇願される。
「こ、こちらです」
シャノンはその勢いに圧倒されながらも、リンウェルを案内するため、彼女の先を歩き始める。
「私、公園って好きなんです」
リンウェルが、シャノンの後を追いながら言う。
「公園が、ですか?」
「ええ。美しい緑や花々に囲まれ、それをゆっくり眺められるベンチがある。そこにいると、まるで時が止まったように感じますわ」
(ああ……)
シャノンは理解した。
リンウェルが期待しているのは、各国の貴族街にあるような、美しく整備された公園なのだと。
どう説明しようかと悩んでいるうちに、公園はもう、突き当たりを曲がったすぐ先まで迫っていた。
「あ、あの……リンウェル様……非常に申し上げにくいのですが……」
「ん? なにかしら?」
「おそらく……ご想像されている公園とは……違うかもしれません……」
「え?」
「とにかく……見ていただいた方が早いかと……この先を曲がったところにありますので……」
シャノンは申し訳なさそうに言った。
「?」
リンウェルは、まだその意味を理解していないようだった。
そして、黙ってシャノンの後を追った。
二人は無言のまま、突き当たりを左へと曲がる。
そして、目に飛び込んできた光景に、リンウェルは絶句した。
「これは……」
「これが、我々の言うところの公園です」
シャノンは俯きながら説明する。
リンウェルの目に映るもの。
それは、リンウェルが想像していた“公園”とは似ても似つかない、荒れ果てた広い“空き地”であった。
「これが……公園?」
「……申し訳ありません」
シャノンは、期待させてしまったことを素直に謝った。
「……」
しかし、その言葉も、呆然と立ち尽くすリンウェルには届いていなかった。
その時だった。
「甘い!!」
公園に響く、大きな声。
その声で、リンウェルは我に返る。
「え!? なんですの?」
声のする方に視線を向ける。
そこには、大人と子供、合わせて十人ほどの集団が、棒切れを持って立っているのが見えた。
「あれは……」
「ああ、領民達が自主的に開いている、簡易的な道場のようなものですね」
「道場?」
そう言われてみれば、確かに彼らが手に持つ棒切れの長さは、一般的なロングソードに近い。
それに、中央にいる二人の男性は、模擬戦のようなことをしていた。
「……」
「領民達が自主的に集まり、武の心得がある方から戦い方を教わっているのです」
「……なぜ、そのようなことを?」
素朴な疑問だった。
騎士の数は、確かに足りない。
それでも今は、何とか回っている。
領民達が武器を手に持つ必要などない。
リンウェルは、そう思ったのだ。
「まぁ、暇つぶしという意味もあるとは思います」
その質問に、シャノンは素直に答える。
「ただ、領民達も、この戦乱の島に来て、危機感を持っているのは事実です」
「危機感?」
「はい。自分の身は自分で守らねばならないという危機感です……」
「……」
気持ちは理解できる。
理解できるが、この国を動かす側の人間として、リンウェルは複雑な感情を抱いた。
そんな時だった。
「おや? あなたは?」
ふいに、訓練をしていた集団の中から、こちらに気づいた一人の初老の男性が声をかけてきた。
「あ、申し訳ありませんわ! まじまじと見てしまい」
リンウェルは咄嗟に謝る。
隣にいるシャノンも頭を下げた。
「いえいえ」
男性は、ゆっくりと、しかししっかりとした足取りでこちらに近づいてきた。
「もしや、先日、国王陛下とご結婚なさったリンウェル様ではございませんか?」
男性が聞く。
「え? ええ……私は、リンウェル・ク……クロフォードですわ」
(そういえば、陛下と結婚したのですから、クロフォードではなくリンウェル・タイシになるんですの?
いえ、確か陛下の苗字はアサヒでしたわね。では、リンウェル・アサヒ?)
ふと、そんなことを思った。
「おお。やはり! しかし、どうしてこんな殺風景なところへ?」
男性は、そんなリンウェルの考えなどつゆ知らず、話を続けてくる。
「ええ。ちょっと……そう、お散歩ですわ!」
「お散歩?」
「ええ! そうですわ! それより、あなた……ええっと……」
「これは失礼いたしました。私はダニアンと申します」
男は膝をつき、最敬礼で自己紹介をする。
「そ、そう。ダニアンさんは、どうして私のことを?」
「私は、シルフィード王国で一兵卒を務めておりました。その頃、リンウェル様のお姿を何度か拝見したことがございます」
「ああ。なるほど……」
リンウェルは納得する。
「そうだ! リンウェル様!」
ダニアンは急に大きな声を出し、立ち上がる。
「え? は、はい!」
「せっかくの機会です。どうか私と一度、手合わせをしていただけませんでしょうか?」
「え? 手合わせ?」
思いもよらない提案だった。
「はい! リンウェル様の武勇は、シルフィード王国時代から我々の耳にも届いております。
ぜひ一度、そのお力をこの目で拝見したいのです」
彼はそう言うと、再び頭を下げる。
「ああ……ええっと……」
リンウェルは助けを求めるようにシャノンを見る。
シャノンもそろそろ介入しようと思っていたのか、口を開きかけた。
その時だった。
「きゃ」
ふと、リンウェルから小さな声が漏れる。
いつの間にか、リンウェルは棒切れを持った子供達に、手や服の袖を掴まれていた。
「お姉ちゃん、強いの?」
「お姉ちゃん、すごい人なんだね」
子供達が思い思いに、笑顔で言葉を発する。
「こら! お前達!」
ダニアンは声を張り上げる。
「あ! よいのです。よいのです」
リンウェルはそれを止める。
「お姉ちゃんが戦っているところが見たい!」
子供達の屈託のない願いに、リンウェルもシャノンも困り顔を浮かべた。
「お受けしてもよいのですが……私、サブクラスの恩恵がありますので……」
リンウェルは遠回しに断ろうとする。
「だからこそ、お願いしたいのです!」
ダニアンの考えは違うようだった。
「え?」
「我々は、サブクラス持ちの方が戦う姿を見たことがありません。
それに、我々の中にはサブクラスを発現したいと思う者もいます。
その者達の励みにするためにも、一度拝見したく」
「な……なるほど……」
確かに、とリンウェルは思った。
「……」
リンウェルはしばらく考えた。
そして、期待に満ちた子供達の顔を見回し、静かに頷く。
「わかりました。では、一戦だけ……」
子供達の期待に満ちた眼差しを前に、リンウェルはとうとう断り切れず、模擬戦を受けることにした。
「おお! ありがとうございます!」
ダニアンの顔が明るくなる。
「やったー!」
「こっち、こっち!」
ダニアンだけではなかった。
リンウェルの手を握っていた子供達も、ぱっと顔を輝かせる。
小さな手に引かれ、リンウェルは荒れた空き地の中央へと歩き出した。
乾いた土を踏むたびに、足元から薄く砂埃が舞う。
周囲には花壇もなければ、木陰もない。
ベンチも、噴水も、色とりどりの花々もない。
けれど――
そこには、目を輝かせる子供達がいた。
不器用ながらも真剣に棒を握る大人達がいた。
そして、その輪の中に迎え入れられようとしている自分がいた。
リンウェルは、そっと息を吐く。
胸の奥にあった戸惑いが、少しだけ形を変えていく。
ただの空き地。
公園とは名ばかりの、殺風景な場所。
それなのに今、子供達の笑い声が響いただけで――
そこはほんの少しだけ、未来の景色を宿したように見えた。
リンウェルは子供達に手を引かれながら、静かに微笑んだ。
「……一戦だけ、ですわよ?」
その声に、空き地いっぱいの歓声が弾けた。
昼下がりの光の中、舞い上がった土埃が、きらきらと淡く輝いていた。




