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第百三十八話 リンウェルの憂鬱

エリュシオン城に新たに用意された私室に、リンウェルはいた。


陛下との婚儀を終えたことで、それまで暮らしていたハイ・オービットの家を引き払うことになったのだ。


元々のクラスである騎士としての仕事も、婚儀を済ませてからというもの、騎士団長であるイリスの計らいで、仕事量が抑えられている。


ただ、それは幼少期から天真爛漫なお嬢様として育ったリンウェルにとって、少しもありがたくなかった。


十八歳になった今でも、リンウェルの本質は変わらない。


素直で、物怖じしない。


それでいて気品のある女性だ。


だが今は、あり余る時間を持て余していた。



(暇……ですわ……)



窓の外を眺めながら思う。



(まったく、私<わたくし>は何をしているのでしょうか……)



ちょうどリンウェルがそう思った時だった。



コンコン



自室の扉がノックされる。



「どうぞ」



リンウェルは、若干の期待を込めて訪問者へ声をかける。



「失礼します」



扉を開けたのは、一人のメイドだった。



「リンウェル様。お飲み物をお持ちしました」



「ありがとう、シャノン。そこに置いてくださる?」



シャノンは、リンウェルの専属メイドを務めていた。


リンウェルからそう声をかけられると、シャノンは恐る恐る部屋の中に入る。



「シャノン?」



「か、かしこまりました」



その光景に、リンウェルは違和感を覚えた。


専属メイドになった最初こそ、今のように何をするにも恐る恐るやっていた。


だが最近は、リンウェルの接し方もあって、彼女は落ち着いて仕事をするようになっていた。


また、リンウェルとの関係も良好だったはずだ。


しかし、今目の前にいる彼女は、最初の頃を思わせるほど、いや、それ以上に何かに怯えている。



「?」



リンウェルは首を傾げ、自分が彼女に何かしてしまったのかと考え込もうとした。


だが、そうではなかった。


彼女がいつもと違う理由。


それは単純だった。



「失礼します」



シャノンが飲み物をテーブルへ置こうとした、その時だった。


別の女性の声が聞こえる。


リンウェルは傾げていた首を真っすぐに戻すと、声のする方――扉へと目を向ける。



「まったく、こんな昼間から何を黄昏れているのですか?」



そう言いながら入ってきたのは、メイド長、シェリーだった。



「あ……」



リンウェルは、シェリーの存在を確認すると、自然と背筋が伸びた。



「あ……ではありませんよ。リンウェル様」



シェリーの視線は冷たいものだった。



「ど、どうして……こちらに?」



リンウェルは恐る恐る聞いた。



「第二夫人となられたリンウェル様が、暇をしていると聞きましたので」



「あ……いや……それは……」



リンウェルは慌てふためく。



「本来、直属でお仕えする相手を、必要とあらば叱咤するのもメイドの仕事です。シャノン。あなたは何をしていたのです?」



シェリーの冷たい視線がシャノンに向けられる。



「あ……いえ……」



「待ってください! シャノンは悪くありませんわ!」



リンウェルは咄嗟にシャノンを庇う。


部屋に響いた大きな声に、シェリーは視線をリンウェルへ戻した。



「なんだ……関係は良好じゃありませんか」



シェリーはそう言うと、先ほどまでの冷たい顔から少し表情を緩める。



(試したんですの……)



「では、なぜ騎士としての務めがない間、自室に閉じこもっているのです?」



「……」



リンウェルは俯き、黙り込む。


だが、シェリーは待ち続けた。


どうやら、逃がしてはくれないらしい。



「シャノンは……シャノンは私<わたくし>によく尽くしてくれていますわ」



「……」



「シャノンは関係なくて……私<わたくし>自身の問題ですわ」



「その問題は何かと聞いています」



相変わらず、ズバズバと踏み込んでくるシェリー。



「……」



再び黙り込むリンウェル。



「あ……あの……メイド長……ヒッ!」



見ていられなくなったシャノンが、リンウェルに助け舟を出そうとする。


しかし、シェリーの視線一つで黙らされてしまった。



「……私<わたくし>は……」



「はい」



「私<わたくし>は、今まで、ミスラ殿下のような慈善活動も何もしてきませんでした」



リンウェルが静かに語り出す。



「今まで、貴族の娘として何不自由なく生きてきた私<わたくし>は、急に王の第二夫人になったからといって……国づくりの最中だというのに、何をしたらいいのかもわからないんですの……」



胸の内を吐露するリンウェル。


王の第二夫人として抱く、ミスラへの引け目。


そして、何をしたらいいのかわからない戸惑い。


それが、リンウェルを部屋の中へと押しやっていた。



「なるほど、なるほど」



シェリーは腕を組みながらそう言う。



「つまりリンウェル様は、王の妻として何をしたらいいかわからず、ましてや陛下から夜のお誘いもなく、自信を失っているということですね」



「よ……夜のお誘いって!」



リンウェルが慌てる。



「違うんですか?」



「違……わなくも……ないですわ」



あの日。


リンウェルとタイシが夫婦となった夜。


それ以来、タイシがリンウェルの肌に触れることはなかった。


その現実も、確かにリンウェルの気持ちを暗いものにしていたのは間違いない。



「まず一つ目ですが、何をしたらいいかわからないのであれば、部屋に閉じこもっていないで、とにかく動きなさい」



「え?」



「部屋の窓から外を見ているだけで、何か見つかりますか?」



「それはそうですが……でも……」



「でも?」



「私<わたくし>はミスラ殿下のように、この島に来る前から行っていたことなんてありませんわ」



リンウェルは、再び俯いて言う。



「何かを始めるのに、早いも遅いも、前も後もありません。貴族の娘という、ぬるま湯に浸っていた自分はお捨てなさい」



シェリーの言葉は痛烈だった。



「今、あなたはリベリオン王国という途上国の第二夫人なのです。今できることから始めなさい」



「今……できること……」



リンウェルは、シェリーの言葉を繰り返す。



「それと二つ目ですが……」



「二つ目……」



「はい。殿下の寵愛を賜りたいなら、自分から襲いなさい」



「え?」



「あの王は、最近やっと王の器を身につけてきましたが、夜の営みに関しては初心者もいいところです」



(この人は……何を言っていますの?)



「あなたが雌豹になり、迫りなさい」



「え? 雌豹?」



「そうですね……具体的には……」



「へ? ええ? えええええええええええ!」



それからしばらくの間、シェリーの傍らに控えるシャノンが、恥ずかしさのあまり顔を両手で覆い隠してしまうような、あまりにも具体的な手練手管がリンウェルへ伝授された。






シェリーの授業が終わる。



「はぁ……はぁ……はぁ……」



なぜか、リンウェルは肩で息をしていた。



「いいですね? 今言ったことを守って、陛下を骨抜きにするのですよ?」



「……」



リンウェルは顔を真っ赤にし、俯いていた。



「さて、言いたいことも言いましたし、私は仕事に戻ります」



そう言うと、シェリーはきびすを返す。



(この人は……)



その後ろ姿を、リンウェルは恨めしそうに睨んだ。



「いいですか。忘れないでください」



シェリーは振り返らずに言う。



「何事も、行動することから始まるのです」



「……」



「行動もせず、部屋に引きこもっている者は……」



そこでシェリーが足を止める。



「者は?」



「穀潰しです」



「ヒッ!」



シェリーは足を止め、肩越しにこちらを振り返る。


その目は、今まで以上の凄みを帯びていた。



(これが……本音だ……)



そして、怯えるリンウェルとシャノンを横目に、シェリーは颯爽と部屋を出ていった。



「……」



「……」



二人の間に沈黙が流れた。



「と、とんでもないお人ですわね……シェリーさんは……」



リンウェルが、ようやく言葉を発する。



「私達は……いつも“あれ”と戦っているのです」



目に涙を浮かべながら言うシャノン。



「本当に……本当に心の底から尊敬しますわ。シャノン」



「うぅ……お言葉、痛み入ります」



目元の涙を拭うシャノン。


そんな様子を見ていたリンウェルが、勢いよく立ち上がる。



「さて、シャノン! そろそろ泣き止みなさい!」



「え?」



シャノンは、リンウェルの顔を見る。


そこにあったのは、自分が傍につくようになってから一度も見たことのないほど、晴れやかな表情だった。



「街に出かけますわよ! 準備なさい!」



不意にリンウェルから発せられた言葉。



「は……はい!」



一瞬きょとんとしたシャノンだったが、その言葉の意味を理解すると、笑顔で返事をした。


そして、急いで部屋を出ていく。


そんなシャノンの様子を、リンウェルは笑顔で見送った。



(やってやりますわ! 穀潰しなんて言われて……黙っていられませんわ!)



窓の外では、昼の陽光が街を明るく照らしている。


先ほどまで重く感じていたその景色が、今はまるで自分を誘っているように見えた。


リンウェルは小さく笑みを浮かべる。


そして――自分にできることを見つけるため、新たな一歩を踏み出そうとしていた。


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