第百三十七話 結・三娘の冒険
「待てー!!」
夕暮れを迎えたエリュシオンのアウター・リムに、ゾーイちゃんの声が響く。
私達が追っている黒猫のフィーちゃんは、ゾーイちゃんから逃げるため、アウター・リムに立ち並ぶ家々の屋根へと駆け上がっていた。
もちろん、普通の身体能力では、身軽な猫に追いつくことなどできない。
だが、ゾーイちゃん――いや、サブクラスを持つ私達は違う。
高められた身体能力を駆使して屋根へ飛び乗り、フィーちゃんを追っていた。
「待てって言ってるんだぞ!!!!」
ゾーイちゃんのさらに大きな声が、辺り一帯に響き渡った。
その声は、通りを行き交う人々の足を止め、視線を集めるには十分だった。
「ねぇ……アリア? 私達……今……非常にまずい状態だと思うの」
リリィちゃんは、ゾーイちゃんの背中を追いながら私に言う。
「ん……私も……そう思う……です」
私もリリィちゃんと同じ危機感を覚え、そう答えた。
話は単純だ。
「絶対……怒られる……」
リリィちゃんの顔に恐怖が滲む。
「はい……です」
私にも、メイド長に怒られる未来がはっきりと見え、気分が落ち込む。
しかし、目の前を軽やかに走るゾーイちゃんは、なぜか楽しそうだ。
その時だった――
「お! 今だ!!」
ゾーイちゃんはそう言うと、突然速度を緩めたフィーちゃんへ飛びかかる。
「あっ! 今度は下か!」
フィーちゃんは、そんなゾーイちゃんの突進を華麗に躱すと、建物の隙間へ身を滑り込ませ、そのままするすると地上へ下りていった。
「さすがに、この隙間には入れないぞ!」
困ったような、それでいてどこか楽しそうな顔でゾーイちゃんが言う。
「あなたね……とにかく、私達も下りましょう。みんなに見られてるから……」
リリィちゃんはそう言うと、気恥ずかしそうに屋根から地上へと下りていく。
「さて、また見失っちゃったけど、どうしようかしら」
地上へ下りた私達は、フィーちゃんが消えた建物の隙間の前で、次にどこを探すべきか話し合っていた。
「どうするもこうするも、探すしかないんだぞ!」
「それはそうだけど、どこをどう探すかを話してるのよ!」
リリィちゃんとゾーイちゃんが話をしている横で、私はフィーちゃんが消えていった建物と建物の間を見ていた。
「鍛冶ギルドに戻ってないかな?」
「いや、あそこで、あなたにあんな怖い思いをさせられたんだから、戻るわけないでしょ……」
リリィちゃんの呆れた声がする。
「探す……必要ない……です」
「「え?」」
二人は私の方を振り返る。
「探す必要ないって……アリア……どういうこと?」
リリィちゃんが私に問いかけてくる。
「あれ……です」
私は、フィーちゃんが消えた建物と建物の間を指さす。
「ん? なんも見えないんだぞ」
指さした先は、両側の建物に光を遮られ、薄暗くなっていた。
「下……です」
「んー?」
二人は視線を下げ、目を凝らすように薄暗い隙間の奥を見た。
「あ!」
「いた!」
リリィちゃんとゾーイちゃんの声が同時に上がる。
二人の視線の先。
そこには、暗闇の中に光る、フィーちゃんの金色の瞳が浮かび上がっていた。
その身体は闇に溶け込み、輪郭がうっすらと見える程度だったが、確かにフィーちゃんだった。
「よし! 今度こそ捕まえるぞ!」
「待ちなさい!」
「ぐえっ」
また駆け出そうとしたゾーイちゃんが、変な声を上げる。
ゾーイちゃんは、リリィちゃんに首根っこを掴まれていた。
それは、いつもリリィちゃんがメイド長にされているのと、まったく同じ光景だった。
「あなただと、怖がらせちゃうから、今度は私がやる」
「ええ……」
「『ええ』じゃない」
「はい……」
歳はゾーイちゃんの方が上だ。
でも明らかに、リリィちゃんの方がお姉さんだと私は思った。
「アリア、ゾーイを連れて少し離れてて」
リリィちゃんは私にそう言うと、薄暗い隙間に向かって屈み込む。
「え……ちょ……アリア? 押すんじゃないぞ!」
私はゾーイちゃんの背中を押しながら、通りの向こうへと下がっていく。
リリィちゃんと距離を取るように。
リリィちゃんは、離れていく私達を笑顔で見送る。
そして、十分に距離が開いたことを確認すると、フィーちゃんへ話しかけた。
「さっきはごめんね。怖かったよね? もう大丈夫だから、出ておいで」
とても、とても優しい声だった。
「“君も”独りぼっちなんだね……」
私が最後に聞いたのは、そんな言葉だった。
リリィちゃんの声が届かないほど離れた場所で待つこと、数分。
リリィちゃんは、屈めていた身体をゆっくりと起こした。
そして、私達の方を笑顔で振り返った。
「あー!」
リリィちゃんの腕に抱かれたフィーちゃんを見て、ゾーイちゃんが声を上げる。
「出てきてくれた……です」
「うん。この通り」
「やった! やったぞ!」
そう言いながら近づこうとするゾーイちゃん。
「ちょっと待ちなさい!」
リリィちゃんの大きな声に驚いたフィーちゃんが、その胸元へぐっと身体を寄せる。
「あなたが近づくと、怖がっちゃうから!」
「ええ……」
「アリア! ゾーイは任せたわよ!」
「了解……です」
私は背筋を伸ばして返事をした。
「とにかく、このままおばあさんのところに行きましょう」
そう言うと、リリィちゃんは私とゾーイちゃんから距離を取って歩き出した。
辺りはすっかり薄暗くなっていた。
フィーちゃんをおばあさんのもとへ連れていくと、おばあさんは涙を流しながら喜んだ。
そして、私達に何度も、何度もお礼を言って、フィーちゃんを抱き締めながら帰っていった。
「ふぅ。任務完了ね」
リリィちゃんが一息つきながら言う。
「アタシは……なんか納得いかないんだぞ」
すっかりフィーちゃんに嫌われてしまったゾーイちゃんが、項垂れながらそう言った。
「あれは……仕方ない……です」
私は、フォローにならないフォローをする。
「まぁ、何はともあれ、無事におばあさんのもとへフィーを連れ戻してあげられたんだし、ここは胸を張って帰りましょう!」
リリィちゃんは、どこかすっきりした表情で言った。
その時だった――
「「あ……」」
リリィちゃんの方を見る私とゾーイちゃんが、同時に声を上げる。
「今日の夕飯はおいしく食べられそうね!」
そう言いながら、リリィちゃんは振り返って歩き出す。
むぎゅ。
「んぐっ」
歩き出した瞬間、リリィちゃんの顔が何かに埋もれる。
「ちょ……何……」
リリィちゃんは埋もれた先から顔を引っこ抜くと、視線を上へ向ける。
「あ……」
「こんばんは。リリィ、ゾーイ、アリア」
リリィちゃんがぶつかった人物。
それは、満面の笑みを浮かべて立つ、メイド長――シェリーさんだった。
「こ、こんばんは……」
メイド長の挨拶に、リリィちゃんが震えた声で返す。
「随分とまぁ……元気に遊び回っていたみたいですね?」
未だ満面の笑みを浮かべるメイド長。
「あ……いや……これは……」
ゾーイちゃんが口ごもる。
「さて、三人とも」
メイド長は目を開き、私達を見回す。
「何か言い残すことは?」
変わらない満面の笑み。
だが、その目だけは笑っていなかった。
「二人とも……」
リリィちゃんが俯きながら言う。
「逃げるわよ!!!!」
そして、私とゾーイちゃんの手を引き、一目散に走り出す。
「え……ああああああああ!」
「お……おいいいいいいいいいいいい!」
私達の声が辺りに響いた。
「……まったく」
メイド長の呆れた声が、背後から聞こえた。
「あなた達ごときが、逃げ切れると思っているんですか」
その声は、宵闇に包まれ始めた街並みに、妙にはっきりと響いた。
私達は、まだ追いかけてこないメイド長から、少しでも距離を取ろうと走る。
その中で、ゾーイちゃんが言う。
「なんか……すごく楽しいな!」
その顔は笑顔に満ちていた。
「ね! よくわからないけど……楽しい!」
リリィちゃんもそれに応える。
そして、私はというと……
「とても……とても……楽しい……です」
同じ気持ちだった。
私達は、夕暮れから宵闇へと変わりゆくエリュシオンを、ただ夢中で、満面の笑みを浮かべながら駆け抜けていた。
「また、遊びに来ような!」
「そうね! また来ましょ!」
「絶対……来る……です」
それでも――
その日、夕暮れから宵闇へと変わりゆくエリュシオンを、三人で駆け抜けた時間は、私達にとって間違いなく“冒険”だった。
その直後、無事に三人まとめて制圧され、私達の冒険は、メイド長の雷と共に幕を閉じたのだった。




