第百三十三話 ミドル・リング建設計画
窓の外の陽は、すでに中天を過ぎ、西へと傾き始めていた。
外からは、訓練に励む兵士達の掛け声が響いてくる。
そんな中、俺はエリュシオン城の会議室で、手元にある資料へ目を落としていた。
そこに描かれていたのは、細かく区画分けされ、無数の文字が書き込まれた建設予定図だった。
エリュシオン城のある第一層――ザ・シタデル。
その外側に広がるハイ・オービットを取り囲む、広大な第三層――ミドル・リング。
手元の資料には、そのミドル・リングの完成予定図が描かれている。
とはいっても、現実のミドル・リングは、建築資材が積み上げられているだけの、ただの更地だ。
この建設予定図について話し合えるようになったのは、先ほどまでこの場にいたガンツとケインが、通貨発行の準備が整ったことを報告してくれたからだった。
「なるほどね……これがミドル・リングの建設計画なのね。
綺麗に区画分けされているし、いいと思うわ」
ミスラが、おもむろに口を開く。
「ありがとうございます」
デンスは、その言葉に笑顔を見せた。
「それでは、一区画ずつ詳しく説明していきます」
そう言うと、デンスは会議室の壁に、手元にあるものと同じ建設予定図の拡大版を貼り始めた。
俺とミスラ、そして今回の議題から参加しているリンウェルとイリスが、そちらへ顔を向ける。
「そういえば、君ら、さっきはいなかったけど……」
俺は二人へ問いかけた。
「私は、別の仕事がありましたので」
イリスは俺に視線を向け、淡々と答える。
「私は……その……やはり、ガンツさんは苦手で……」
今度はリンウェルが、気まずそうに俯きながら答えた。
そんなリンウェルに、俺は苦笑いを浮かべる。
リンウェルは、父親であるアランに俺が“挨拶”を済ませたことで、正式に俺の第二夫人となっていた。
ステータスに記されたクラスも、それまでの『騎士』から『第二夫人』へと変化している。
ミスラやリンウェルの故郷であるシルフィード王国では、“王族”の配偶者は、その相手が公務に臨む際、付き添って参加するのが一般的らしい。
だが、ミスラは比較的自由に行動している。
だから、事あるごとに俺へ付いて回ろうとするリンウェルにも、自分のやりたいことを優先してほしいと伝えていた。
「説明を始めてもよろしいですかな?」
デンスが俺に聞いてくる。
「ああ、すまん。頼む」
俺はそう答えると、再び壁に貼られた建設予定図へ向き直った。
「では初めに、ミドル・リングの全体像から説明いたします」
デンスの説明が始まる。
「ミドル・リングには、中心から外側へ伸びる放射状の大通りに加え、この区画を一周する二本の環状道路を整備します」
デンスは地図の上に、二つの円を描くように指を滑らせた。
「ハイ・オービットに近い内周側には、各ギルドや公共施設を配置します。
そして、二本の環状道路に挟まれた区画と、その外周側を商業区画とする予定です」
「なるほど」
気づけば俺は、建設予定図へ食い入るように見入っていた。
「基本的には、よほどの事情がない限り、食料品店、雑貨店、飲食店など、どのような店を出すかは自由とします。
ただし、一部の特殊な業種に関しては、指定した区画でのみ営業を許可しようと考えております」
「特殊な業種?」
俺は首を傾げる。
「はい。それについては……のちほど説明いたします」
デンスは急に歯切れが悪くなった。
「……わかった」
普段はあまり見せないその反応に、俺はわずかな違和感を覚える。
「それと、商業活動が本格化すれば、それぞれの分野を取りまとめる組織も必要となります」
デンスは、そのまま説明を続ける。
「……確かに」
「そこで、ジュラやザブラ王国の制度を、一部取り入れようと考えております」
一から国を作るのは大変だ。
だが、他国の優れた制度を参考にできるのは、後から国を作る俺達の利点でもあった。
「どんな制度なんだ?」
「各分野における、ギルドの創設です」
「ギルド!?」
俺は大きな声を上げ、勢いよく立ち上がった。
その反応に、部屋にいる全員がびくりと肩を揺らし、目を見開いて俺を見る。
まさか、この場でその言葉を聞くとは思わなかった。
元いた世界で何度も耳にした単語に、俺は思わず興奮してしまったのだ。
「なによ……急に!」
ミスラが少し怒ったように言う。
「ああ、すまん! ちょっと、元いた世界のことを思い出して……」
俺は謝りながらも、興奮を隠しきれずにいた。
「陛下の世界にも、ギルドがありましたの?」
リンウェルが不思議そうに尋ねてくる。
「あった! いや、現実にはなかったけど、物語やゲームの中にはあった!」
「はい?」
「なによ、それ……」
リンウェルが首を傾げ、ミスラが呆れたように肩を落とす。
その隣では、イリスが口元へ手を当て、くすくすと笑っていた。
「とにかくだ! 話を続けてくれ、デンス!」
俺は食い気味に続きを促す。
「は、はい」
少し困った顔をしながらも、デンスは頷いた。
「現在の大鍛冶は、ガンツ殿をギルド長に据え、そのまま職人ギルドへ改組します。
そのほかに、商人ギルド、冒険者ギルド、医師・薬師ギルドなどを創設する予定です」
そう言うと、デンスは地図の内周部分を指し示した。
「なるほどね。ハイ・オービットを取り囲むように、それらのギルドや公共施設を配置するわけね」
「はい。各組織を近くに配置すれば、互いの連携も取りやすくなりますからな」
その言葉に、俺達は揃って頷いた。
そんな時――
コンコン。
会議室の扉がノックされた。
「どうぞ」
俺が反射的に答える。
「失礼いたします」
部屋へ入ってきたのは、給仕台車を押すシェリーだった。
「あ、お話はそのままお続けください。陛下達の飲み物のおかわりをお持ちしただけですので」
シェリーは、自分に皆の視線が集まっていることに気づくと、そう告げた。
「ああ、ありがとう。おかわりを頼むよ」
俺はそう答えると、デンスへ視線を向ける。
デンスもその意図を理解したのか、一つ頷いて説明を再開した。
「各ギルドの長はこれから選定しますが、医師・薬師ギルドの長には、ネレーナ先生へお願いしようと考えております」
「うん。いいんじゃないか? 俺達も何かと世話になっているし」
俺は頷く。
「商人ギルドも、ケインさんに頼めばいいんじゃないか?」
続けざまに提案すると、デンスは首を横に振った。
「いえ。ケイン殿には財務官僚として、中央銀行を取り仕切っていただく予定です」
「ケイン殿の仕事量もそうだけれど……」
今度はミスラが、どこか苦いものを思い出したような声で口を挟む。
「商人を管理する立場と、国の財政を預かる立場を兼ねれば、一人の人間に権限が集中しすぎるわ」
「……なるほど」
確かに、ケインさんが信頼できる人物だったとしても、制度として権限を集中させるべきではない。
「その通りです」
デンスも同意するように頷いた。
「わかった。じゃあ、人選はデンスとミスラにお願いしてもいいか?」
「承知しました」
「わかったわ」
俺の言葉に、二人はそれぞれ頷いた。
「それと、さっきから気になっていたんだが……ここ」
そう言って俺は立ち上がると、壁に貼られたミドル・リングの建設予定図へ歩み寄り、一か所を指さした。
「……」
デンスは、なぜか黙ったままだ。
俺が指さしたのは、ミドル・リングの北東部。
二本の環状道路に挟まれた区画の中で、そこだけ用途が何も記されていなかった。
「ここには、何が入るんだ?」
「……ここには」
デンスがゆっくりと口を開く。
だが、室内にいる女性陣を気にしているのか、珍しく言葉を選んでいるようだった。
「娼館区画ですね」
不意に、そんな言葉が会議室に響いた。
「え?」
俺は声がした方へ顔を向ける。
声の主であるシェリーは、リンウェルのカップへお茶を注ぎながら、地図を見ることもなくそう言い放っていた。
「……その通りです」
デンスが観念したように答える。
「ちょ……ちょっと待ってくれ!」
俺の声が一段大きくなった。
「娼館って……」
「……」
俺の視線の先には、いまだに話しづらそうにしているデンスの姿があった。
「まったく。さすがの宰相殿も、これだけの女性の前では口にしづらいのですか?」
給仕を終えたシェリーが、デンスへ視線を向けながら言う。
「面目ない……」
デンスが小さく項垂れる。
普段の彼からは想像もできない姿だった。
だが、男として、その気持ちはなんとなくわかる。
「では、私からご説明いたしましょう」
「……お願いいたします」
なぜか得意げに胸を張るシェリーと、完全に説明役を譲ったデンス。
「いいですか、陛下。こういった商売は、国が禁止したからといって消えるものではありません」
「消えない?」
「はい。表から見えなくなり、国の目が届かない場所へ潜るだけです」
シェリーは俺の反応を楽しむように、ゆっくりと距離を詰めながら説明を続ける。
「国の管理が及ばない場所で営業されれば、料金を巡る争いや暴力、強制、病の蔓延など、さまざまな問題が起こります。
何より、そこで働く者達を守ることができません」
「……」
先ほどまでの揶揄うような雰囲気とは違い、その言葉はどこまでも真剣だった。
「だからこそ、営業できる区画を限定し、国への登録を義務づけます。
料金や雇用に関する規則を定め、定期的に衛生状態を確認する。
問題が起きた際には、すぐ兵士が介入できる体制も整える必要があります」
「なるほど……」
そこで俺は、ようやくデンス達が娼館を建設計画へ組み込んだ理由を理解した。
国が率先して娼館を作りたいわけではない。
禁止したところで消えない商売を、国の管理下へ置こうとしているのだ。
「もちろん、陛下のように、見目麗しい意中の相手に囲まれている方には、実感しにくい話かもしれませんが」
「いや……言い方……」
いつの間にか、シェリーの顔が俺の目の前まで迫っていた。
視界の端では、ミスラとリンウェルが揃って顔を赤らめ、俯いている。
「近い! 近いって!」
「そうでしょうか?」
俺が身を引くと、シェリーは悪戯っぽく微笑み、何事もなかったかのようにデンスの隣へ戻った。
「……必要な理由は、わかった」
俺は気を取り直しながら答える。
必要性は理解できた。
だが、人の身体と生活に深く関わる制度だ。
必要だからというだけで、今すぐ簡単に決めてよい問題でもない。
「規則や管理方法も含めて、少し考える時間をくれないか?」
俺は慎重に言葉を選びながら尋ねた。
「……承知しました」
デンスは、俺の意図を汲んでくれたのか、何も反論することなく頷いた。
「意気地なし」
シェリーの冷たい言葉が飛んでくる。
「ええ……」
その一言によって、張り詰めていた会議室の空気が、わずかに和らいだ。
「では、ミドル・リングの建設計画については、この辺りにいたしましょう」
(やっと終わる……)
デンスの言葉に、俺は救われたような気持ちになる。
「続きまして、市場規則の草案策定に移ります」
(えええ……)
どうやら、“国”を作るという仕事に、終わりなどないらしい。




