第百三十話 魚…魚…魚…
墓参りを終えた俺は、その後も大忙しだった。
アランやハンスと、現在の十六番領地を取り巻く状況を共有し、その地に新たな名を付けるなど、やるべきことは多い。
その流れで昼食を済ませた今は、ミスラが迎えに行った、ハンスを内政面から補佐する人材の到着を執務室で待っていた。
「それにしても、陛下がお付けになる土地の名は、なぜかはわかりませんが、どこか哀愁を感じますな」
対面の椅子に腰掛け、優雅に茶をすするアランが言う。
(まあ、そうだろうな……)
「まあ、俺達の世界の“物語”に登場する人物の名前だったりするからな」
俺は苦笑いを浮かべながら答える。
(神をぶっ飛ばすなんて言ってる俺が、“ギリシア神話”に登場する神々の名前を付けてるなんて、言えないよな……)
「なるほど、なるほど……いつか、その物語を聞いてみたいですな」
アランは笑顔でそう言うと、背もたれに身体を預けた。
その時だった。
不意に扉が叩かれ、メイドの一人が顔を覗かせる。
「お客様がお着きになりました」
その言葉に、俺とアランは揃って腰を上げた。
俺達が領主の間へ入ると、そこには主要な面々が既に待機していた。
俺は相手を必要以上に緊張させないよう、できるだけゆっくりと歩き、領主の椅子へ腰を下ろす。
目の前にはミスラ。
そして、その隣には、一人の男が跪いて頭を下げていた。
「タイシ、紹介するわね」
ミスラはそう言うと、跪いている男の背中を軽く叩く。
男は一瞬びくりと肩を揺らし、顔を上げてミスラを見た。
「彼は、ダルトン・ラッシュ。まだリベリオンが誕生する前、東の村で私の補佐をしてくれていた人よ」
ミスラがそう言うと、ダルトンと呼ばれた初老の男は、緊張した面持ちで俺を見上げる。
「お、お初に……お目にかかります。陛下」
その声は、僅かに震えていた。
「ああ。初めまして。アサヒ・タイシだ」
俺はなるべく彼を怖がらせないよう、穏やかな声色で自己紹介を返す。
「は、はい。よろしくお願いいたします」
ダルトンはそう言って、何度も頭を下げた。
「ミスラから聞いていると思いますが、俺達はあなたに、ここにいるハンスの補佐をお願いしたいと思っています。
十六番領地――いや、今後は“レアー”と呼ぶことにしましたが、ハンスと共に、その地の内政を支えてもらいたいんです」
俺の言葉に、ダルトンの背筋が伸びる。
「は、はい……」
彼の視線が、助けを求めるようにミスラへ向けられた。
当のミスラは、安心させるような笑顔を浮かべたまま、ダルトンを見ている。
「ただ、俺はあなたがどういう人なのか、まだよく知りません」
ダルトンの視線が、再び俺へと戻る。
「呼び出しておいて申し訳ないのですが、これまでどのようなことをしてきたのか、聞かせてもらえますか?」
俺ができる限り丁寧に尋ねると、ダルトンは小さく頷いた。
「は、はい」
一度息を整えてから、静かに語り始める。
「私は、この島へ来る前、ガルド公国にある、しがない町で町長を務めておりました」
(ガルド公国か……)
「町の名は、ミラマーレと申しまして、人口は二千人ほどです」
「ミラマーレですと!?」
「まさか……」
ダルトンの言葉に、俺の隣に控えていたアランとハンスが、揃って驚きの表情を浮かべる。
「どんな町なんだ?」
俺は、隣にいる二人へ尋ねた。
「ガルド公国のミラマーレは、この島が浮かぶ湖に面した町です」
アランが説明を始める。
「この湖は、水竜とその眷属に支配されています。
そのため漁を行うことができず、この湖に面した町は、どの国でも不毛の地として扱われておりました」
「なるほど」
「ですが……ミラマーレだけは違ったのです」
「違う?」
「はい。ミラマーレは、十年ほど前に新しい町長が赴任してから、漁を始めました。
そして、湖の豊富な水資源を利用し、目覚ましい発展を遂げたと聞いております」
「でも、さっき漁はできないって……」
「ミラマーレ以外の町では、今もそう認識されています。水竜やその眷属に船を襲われれば、ひとたまりもありませんからな」
「では、ミラマーレはどうやって漁を?」
俺が尋ねると、アランはダルトンへ視線を向けた。
「ダルトン殿は、水竜やその眷属が岸へ近づく時期や時間帯を長年調べ、沖へ船を出すことなく魚を捕る方法を確立したと聞いております」
「沖へ出ずに?」
「は、はい」
ダルトンが、おずおずと口を開く。
「湖岸の水の流れや、魚が岸へ近づく時期を調べまして……水路へ魚を誘い込み、仕掛けた網や籠で捕らえる方法を考えました」
「水竜の縄張りへ入らず、向こうから魚を誘い込んだということか」
「そのような、大それたものでは……長い時間をかけて、住民達と何度も失敗を重ねた結果にございます」
ダルトンは恐縮したように俯く。
だが、俺には十分すぎるほど大それたことに思えた。
「実際、ミラマーレは漁を行い、水揚げした魚を周辺の町へ売ることで発展していったのです」
アランが説明を続ける。
「治水事業も素晴らしく、町は“水の都”と称されるようになりました。
その一方で、漁や治水の技術が他国へ流出することを防ぐため、公国が兵を派遣し、出入りする者を厳しく管理していたことから、“幻の都”とも呼ばれております」
「幻の都……」
「それを成し遂げた方が、今、陛下の目の前にいるのです」
アランの言葉を聞きながら、俺はダルトンへ視線を戻す。
当の本人は、小さく身を縮こまらせ、居心地が悪そうにしていた。
対して、ミスラはどこか得意げな表情を浮かべている。
それはまるで、サプライズを成功させた少女が見せるような、大満足といった顔だった。
「その漁、この島でもできると思いますか?」
俺はダルトンへ尋ねる。
「試してみなければ、何とも申し上げられませんが……この島の周辺にも魚は多くおります。水の流れや湖岸の地形を調べれば、可能性はあると思っております」
どこか自信なさげではあった。
それでもダルトンは、最後まではっきりと言い切った。
(魚が食える……)
俺の心は、一気に躍った。
この地へ来てからというもの、口にしてきたのは穀物や野菜、そして肉ばかり。
もちろん、それらに不満があるわけではない。
だが、魚料理は日本人である俺にとって、まさに魂の味だ。
焼き魚。
煮魚。
干物。
そして、もし生で食べられる魚が手に入るなら――
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
心の中で高鳴る期待を悟られないよう、俺は表情を引き締める。
「そうですか……わかりました。やはり、あなたにハンスと共にレアーを任せたいと思っています」
俺は、ほとんど迷うことなく決断した。
「どうでしょうか?」
ダルトンは一度ミスラの顔を見てから、再び俺へ視線を向ける。
「は、はい。どこまでできるかわかりませんが……陛下の勅命とあらば……」
「勅命というほど、堅く考えなくていいですよ。あなたが引き受けてくれるなら、という話です」
「そ、それでしたら……私でお役に立てるのであれば、謹んでお引き受けいたします」
「よかった……」
ダルトンが承諾してくれたことで、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「いやあ、よかった! これからよろしくお願いします、ダルトン殿!」
ハンスがダルトンのもとへ近づき、その手をがっしりと握る。
「は、はい。未熟者ですが、何卒よろしくお願いいたします。ハンス殿」
どこまでも自信なさげなダルトン。
それでも、この二人ならきっとうまくやってくれる。
俺は、そう思った。
「陛下……」
そんな俺に、アランが何かを思い出させるように声をかける。
「あ、ああ。そうだ。レアーについて、二人に話しておくことがある」
俺がそう告げると、ハンスとダルトンは握っていた手を放し、揃って俺へ視線を向けた。
「ハンスは知っていると思うが、あの地はつい先日まで、ある種の宗教国家のような場所だった」
「噂には聞いています」
ハンスが頷き、ダルトンが僅かに表情を曇らせる。
「領民達には生気がなく、今もただ同じ毎日を繰り返しているような状態らしい」
「……」
「今もエリュシオンとアレースからイーストガードを派遣し、現地の管理に当たらせている。だが、今のところ、領民達の様子に大きな変化はないそうだ」
「なるほど……」
ダルトンは顎へ手を当て、考え込むように目を伏せる。
「あの地は、リベリオンにとって東の防衛最前線になる。領民達の生活を立て直しながら、防衛体制も整えなければならない。大変だとは思うが、二人とも、よろしく頼む」
俺はそう言うと、二人へ向かって頭を下げた。
「陛下、頭をお上げください! このハンス、必ずやご期待に応えてみせます!」
ハンスが胸元へ手を当て、力強く答える。
「で、できる限りのことは、やらせていただきます」
ダルトンもまた、深々と頭を下げた。
俺は二人に笑顔で頷くと、領主の椅子から立ち上がった。
レアー。
その地が、リベリオンに新たな風を吹き込んでくれる。
そんな予感がしてならなかった。
(魚……魚……魚……)
いや、吹き込んでもらわなければ困る。
「刺身……干物……塩焼き……」
気づけば、俺の口から小さな呟きが漏れていた。
「陛下?」
「ん?」
不思議そうな顔をしたアランと目が合う。
「いえ……何か重要な国家戦略でもお考えなのかと」
「ああ、まあ……そんなところだ」
俺は真顔で頷いた。
もちろん、考えていたのは国家戦略などではない。
ただひたすら――魚料理のことだった。
リベリオンの未来のため。
そして何より、俺自身の食生活のためにも。
レアーには、ぜひとも頑張ってもらわなければならない。
俺は王として――実に個人的な決意を、固く胸に刻むのだった。




