第百二十八話 ご報告
俺達がアレースの領主邸に着いた時、既に日は沈みかけていた。
「陛下。遠路はるばるお越しくださり、恐縮です」
領主邸の中庭で俺達を出迎えたのは、この地の代官であるアラン・クロフォードと、そのメイド達。
「陛下、お久しぶりっす!」
「……」
そして、相変わらずのジェイクに、相変わらずのエンヴィーという、アレースに配置した二人のサブクラス持ち。
その中に、もう一人。
「陛下。ご無沙汰しております」
端正な佇まいで、深く腰を折る青年が一人。
「ああ、ハンス。本当に久しぶりだな! 七番領地攻略戦でも八番領地奪還戦でも、結局会えなかったしな」
ハンス・バトン。
アテーナでリオデルカが見つけたサブクラス持ちで、かつてザブラ王国軍で部隊長を務めていた男だ。
今はリオデルカの右腕として、彼が不在の際などに領地運営を担っている、実直な青年だった。
(ザブラ王国軍の部隊長だったのなら、アリアの両親についても何か知っているのだろうか……)
そんな考えが頭をよぎったが、今は口にするべきではないと思い直す。
一方、ハンスは笑みを浮かべて語りかけてくる。
「はい。しかしながら、リオデルカ様がいつも楽しそうに陛下のお話をなさいますので、陛下のご活躍は常々耳にしております」
「やめてくれ……恥ずかしい」
ハンスの言葉に、俺は思わず気恥ずかしくなった。
「それより、今回は十六番領地の代官の任を引き受けてくれて、ありがとう」
俺は、イシダから奪った十六番領地の代官を決めかねていた。
何度もデンスと話し合っていたが、なかなか適任者が見つからなかった。
そんな時、リオデルカからの推薦でハンスの名が挙がった。
本人も承諾しているとのことだったため、俺は彼に任せることにしたのだ。
「いえ……陛下とリオデルカ様、お二人からのご命令とあれば、私の返事はただ一つです。
まあ……リオデルカ様をゴランに任せるのは、不安で仕方ありませんが……」
「はは……」
そんなハンスの表情に、俺は苦笑を浮かべた。
「それで、今回は代官の任を受けるにあたり、私の希望を叶えてくださるというお話でしたが」
ハンスの希望。
それは、軍事については人並み以上の知識を持っているものの、内政には明るくないため、自分を補佐する者をつけてほしいというものだった。
「ああ。ただ、実は俺も、その人のことをよく知らないんだ。ミスラ?」
俺はそう言うと、ミスラに話を振る。
「ええ。人柄と誠実さは私が保証するわ! クロフォード卿、彼は今どちらに?」
ミスラはそう言うと、視線をアランに向けた。
「はい。彼は明日、こちらから迎えに行く手筈になっております。ただ……」
「ただ?」
「未だ、承諾は得られておりません」
アランは申し訳なさそうな顔で、ミスラを見返した。
「そうなの?」
「はい。なんでも、『ミスラ様との約束があるため、直接殿下とお話ししてからでなければ返事はできない』とのことでした」
(なるほど……律儀な男だ)
「まったく。本当に律儀ね」
ミスラは軽く肩を竦めながらも、笑顔でそう言う。
「わかったわ。明日の迎えには私も同行して、道中で話をするわ」
「承知しました。では……」
アランはミスラから視線を外す。
「ジェイク君。明日は殿下の護衛を頼めるかな?」
「了解っす!」
ジェイクの明るい返事が、中庭に響き渡る。
「陛下、殿下、そしてアラン殿。私の希望のためにお手間を取らせてしまい、申し訳ございません。
それと、本当にありがとうございます」
ハンスはそう言うと、腰を九十度に折った。
「いやいや。俺だって、みんなに支えられてここまで来たんだ。当たり前のことだよ」
俺はそう返す。
「そうですぞ。さあ、立ち話もなんですから、館の中へ。難しい話は明日にいたしましょう! それに、ささやかながら宴の準備もしておりますゆえ」
アランはそう言うと、俺達を館の中へと招き入れるのだった。
宴の後、俺は一人、慣れ親しんだ領主邸の廊下を歩いていた。
明日の午前中はリリィと墓参りをするため、諸々の話は午後からということになっている。
しかし、今俺が向かっているのは、アランがいるであろう執務室だった。
なぜ向かっているのか。
理由は一つ。
リンウェルを妻として迎え入れることについて、アランの了承を得るためだ。
宴の席で、いつものアランなら、『娘のことを、どうかよろしくお願いいたしますぞ』などと言ってきそうなものだった。
だが、今回はそれがなかった。
それがかえって、俺を不安にさせていた。
なんて伝えよう。
そんなことを考えながら歩いていると、目の前に見慣れた執務室の扉が現れる。
(おそらく、既成事実については、もう知っているだろう……じゃあ、なんて話す?)
扉の前で考え込む俺。
しかし、答えなど出なかった。
俺は今まで考えていたことを全て振り払うかのように、首を激しく振る。
(ええい! 出たとこ勝負だ!)
そう覚悟を決めると、執務室の扉をノックした。
「どうぞ」
中からは、すぐに返事が返ってきた。
俺は一つ深く息を吸い込むと、ゆっくりと扉を開ける。
「し、失礼します」
声が上ずる。
中へ入ると、見慣れた家具が以前と変わらぬ配置で並んでいた。
その中で、応接用のソファーに腰掛けていたアランが立ち上がり、俺を出迎える。
「これはこれは、陛下」
アランは優雅な動作で、俺へと身体を向ける。
「このような夜更けに、いかがいたしましたかな?」
「あ……いや……その……」
「立ち話もなんです。どうぞお座りください。今、お茶を淹れますので」
アランは笑顔でそう言うと、俺を対面のソファーへ誘い、お茶を淹れる準備を始める。
アランがお茶を淹れている間、俺は話す内容をまとめようと、必死に頭を働かせていた。
だが、時間は無情にも過ぎていき、とうとう目の前にお茶が差し出されてしまった。
「それで……何かご用ですかな?」
アランは改めて俺の対面に座ると、満面の笑みでこちらを見てきた。
「あの……その……リンウェルのことで……」
ようやく絞り出した言葉は、それだけだった。
「ほうほう。娘のことですかな? まさか、娘の純潔を奪った件についてでしょうか?」
先制攻撃だった。
アランは穏やかな笑顔を浮かべたままだったが、その眼差しだけは鋭く俺を射抜いていた。
「あ……いや……その……」
その視線に萎縮する俺。
二人の間に、沈黙が広がった。
そして、しばらくの沈黙の後、その空気を切り裂いたのは、アランの笑い声だった。
「いやはや、意地悪が過ぎましたな。申し訳ありません」
そう言うアランの目からは、先ほどまでの鋭さがすっかり消え、いつもの優しげなものへと変わっていた。
「あ……いえ……」
「陛下」
アランは真っすぐ俺を見る。
「どうか、娘をよろしくお願いいたします」
おもむろにそう言うと、アランは座ったまま深く頭を下げた。
「あ……はい。必ず、大切にします。
正直、俺にリンウェルを幸せにできるのかはわかりません。それでも、全力を尽くすことをお約束します」
俺は精一杯、気持ちが伝わるようにそう言った。
「陛下。あの子にとっての幸せは、きっと陛下のお側にいることです。
幸せにしようなどと思わずとも、ただお側にいさせてやってください」
アランの言葉に、俺は目を丸くする。
「側に?」
「はい。あの子とて、貴族の娘。陛下と結婚する意味はわかっております」
「俺と結婚する意味?」
「はい」
「ごめんなさい、それって……」
「できるだけ早く陛下との間に子をもうけ、時には最も近くで盾となり、その命を差し出すということです」
いつもの『早く孫の顔が見たいですなぁ』と笑うアランとは、まるで別人のように見えた。
「……でも、それって……」
「陛下のいた世界では、考えられないことでしょうな」
「……はい」
「ですが、我々の世界では普通のことです。
“この人のためならば、命を投げ出してもいい”
そう思える相手だからこそ好意を抱き、その方の伴侶になりたいと願うのです」
「……」
俺はそれを黙って聞いていた。
「ゆえに、お側にいることが幸せと申しました」
俺は、自分の結婚に関する考えの甘さを痛感していた。
「ただ一つ、心残りなのは……」
アランが少し俯く。
「妻に……リンウェルの子供の顔を見せてやれないことでしょうか……」
アランは、窓の外に広がる闇へ遠い目を向ける。
「あやつも、楽しみにしていましたからね」
そう言うと視線を戻し、力なく笑う。
「いえ」
俺は口を開く。
「ん?」
「必ず、見せてあげます」
アランは目を丸くした。
「俺は、リリィを両親に会わせると、亡くなったリリィの姉、ミリィに約束しました」
「……」
今度は、アランが黙る番だった。
「目指す先は同じです。何も変わりません」
俺は、膝に置いた自分の拳を強く握る。
「リンウェルの想いも……いや、アランさんの想いも……」
アランの目が、わずかに見開かれる。
執務室を照らす蝋燭の炎が、微かに揺れる。
「一緒に背負います!」
執務室に静寂が落ちた。
アランはしばらく何も言わず、ただ俺を見つめていた。
やがて、その口元に穏やかな笑みが浮かぶ。
「……本当に、不思議なお方ですな」
その言葉には、呆れも諦めもなかった。
あるのは、娘を託す父親としての安堵だけだった。
窓の外では、夜風が木々を揺らしている。
月明かりに照らされたアレースの街は静かに眠りにつき、領主邸の灯りだけが、闇の中に小さく揺れていた。
明日になれば、また新しい仕事が待っている。
それでも、今だけは――
俺は少しだけ肩の力を抜き、温かい茶を口に運ぶのだった。




