第百二十七話 故郷への旅路
「それで、本当に良かったの?」
アレースへ向かう馬車の中で、俺の隣に座るミスラが聞いてくる。
俺達は今、俺がこの島で最初に与えられた領地、十五番領地――今ではアレースと呼ばれている地へ向かっていた。
馬車に乗っているのは、姉の墓参りに行くリリィ、アレースで代官を務める父に会いに行くリンウェル。
そして、俺とミスラの四人だ。
もちろん、俺達にもアレースへ向かう目的がある。
「良かったって?」
俺は子供のように馬車の窓辺へ身を寄せ、整備の進む街道の景色を楽しんでいるリリィとリンウェルを見ながら、ミスラに返す。
「オスワルドのことよ。まずはアリアに話さなくて良かったの?」
オスワルドと会談したあの日。
オスワルドの願いに対して、俺が出した答えは『YES』だった。
だが、条件も付けた。
一つ、アリアには俺から話をすること。
一度剣を交えた大男から、突然「自分は父親の親友だ」と告げられても、彼女は混乱するだけのような気がしたからだ。
最初は自ら伝えたいと言っていたオスワルドだが、俺の言葉に納得し、了承してくれた。
二つ、アリアが望まないのであれば、彼女のいるエリュシオンにはオスワルドを所属させないこと。
その場合、オスワルドにはアレースかアテーナ、あるいは現在復興中の十六番領地へ行ってもらうことになる。
彼は、『それは仕方のないこと』と言い、こちらも受け入れてくれた。
その二つをオスワルドが了承したことで、俺は彼が八番領地に協力し、九番領地を奪取した暁には、彼をリベリオンに迎え入れることを約束した。
「アリアには、戻り次第話すつもりだよ。それで……」
「それで?」
「その……アリアに話す時、ミスラも一緒にいてくれないか?」
正直、どう伝えればいいのか、どんな顔をして話せばいいのかわからなかった。
彼女達にとって、姉のような、母のような存在であるミスラがそばにいてくれたら、どれほど心強いか。
そう思っての発言だった。
「……」
「ダメか?」
「ダメかですって? 私はあなたの“正妻”よ。あなたが望むなら、一緒にいてあげるわ」
ミスラは目を閉じ、腕を組み、まるで「フン」とでも言っているかのように答えてくれた。
「そうか……よか――」
俺が礼を言いかけた時、ふいにミスラが言葉を重ねる。
「いい? 私はあなたの“正妻”よ? そのこと、忘れないでね」
睨むような横目で俺を見るミスラ。
「はい……」
俺は反射的に返事をしていた。
ミスラがそう念押しする理由はわかっていた。
俺がアレースへ向かう目的は、リリィと同じくミリィの墓参りをすることと、ほかに二つあった。
そのうちの一つが、『リンウェルを正式に別妻として迎え入れたい』旨を、彼女の父であるアランに申し入れることだった。
あの日、彼女と既成事実を作ってしまって以来、事あるごとにミスラからちくちくと言われていた。
「それはそうと、あなた……その後、リンウェルに手を出していないでしょうね?」
ミスラの鋭い視線が俺を襲う。
「も、もちろんだ!」
俺は彼女の視線から逃れるように、リリィと共に夢中で外を見ているリンウェルへ目を向ける。
俺の脳裏には、最低なことに、あの日のことが蘇ってきた。
俺の腕の中にいた彼女の表情。
息遣い。
柔らかな肌。
その全てが鮮明に蘇り、俺は咄嗟に視線を逸らす。
「ふーん」
ミスラは何かを感じ取ったのか、疑念に満ちた目を向けてきた。
「とにかく、嫁入り前の娘が、それも貴族の娘が、男と関係を持ったなんて、本来なら裁判沙汰になってもおかしくないんだからね!」
「はい……」
「心の中の獣を解き放つなら、ちゃんとクロフォード卿に許可をもらってからにしなさいよ!」
「はい……」
俺は項垂れながら返事をする。
(まあ……あのアランのことだ。答えなんて、わかりきってはいるのだが……)
「そ、そうだ! ミスラが十六番領地の“宰相役”に推薦してきた人って、どんな人なんだ?」
俺は慌てて話題を変える。
そんな俺に、ミスラは少し怪訝そうな顔を浮かべながらも、溜息を一つつくと、しぶしぶ答えた。
「まだ私が十五番領地の東の村にいた頃、元の世界から一人で飛ばされてきた子供達を、私と一緒に面倒見てくれた人よ」
俺がアレースへ向かう、もう一つの目的。
それは、イシダから奪った十六番領地の代官を任命すること。
そして、その代官を補佐する者として、ミスラが推薦した人物に会うことだった。
「ずいぶん前だな」
「まあね。でも、今もアレースの孤児院で子供達の面倒を見てくれているわ」
「そうか。ありがたいな。もともと面識はあったのか?」
「いいえ。ただ、シルフィード国の隣国の出身でね。噂は聞いていたの。実際に会ったのは、東の村が初めてよ」
「噂になるほどの人物なら、期待できるな」
「ええ。おっちょこちょいなところはあるけど、優秀よ」
ミスラは先ほどまでとは違い、少しばかり機嫌が良くなっていた。
(助かった……)
俺は、ほっと胸を撫で下ろす。
ちょうどその時だった。
「タイシ! アレースが見えてきたよ!」
馬車の中に、リリィの明るい声が響き渡る。
その言葉を聞いた瞬間、これから何人もの相手と話をしなければならない憂鬱さと、まるで“故郷”へ帰ってきたような穏やかさが、胸の中に入り混じった。
窓の外へ視線を向ける。
遠くには、高い外壁に囲まれたアレースの街並みが見えていた。
西へ傾いた太陽は街全体を黄金色に染め上げ、石造りの建物の屋根が柔らかく輝いている。
煙突からは夕餉の支度を知らせる煙が立ち上り、人々の営みがそこにあることを感じさせた。
この世界に来たばかりの頃は、理不尽を嘆くばかりで、何も行動しなかった。
そして、ミリィが死んだ。
その後だって、生き残ることだけで精一杯だった。
だが、今は違う。
守りたい人がいて、帰る場所がある。
俺は静かに息を吐いた。
そして――懐かしい街へと帰る馬車は、夕暮れ色に染まるアレースへと進んでいった。




