第百二十六話 友との約束
俺達は、玉座の間からエリュシオン城の会議室へと場所を移していた。
それは、あまり多くの者に聞かれたくないという、オスワルドの希望があったからだ。
そう告げられたことで、俺達の疑念はますます深まっていた。
会議室にいるのは、俺、ミスラ、デンス、イリス、リンウェル。
そして、イマリとオスワルドの七人だ。
イマリが連れてきた兵士達には、会議室の外で待機してもらっている。
また、移動する際には、オスワルドの両手を縛っていた縄も解かせた。
最初こそイマリは渋っていたが、万が一何かが起きてもこちらで対処し、八番領地には責任を問わないと約束したことで、ようやく納得してくれた。
それほどまでに、俺はオスワルドがアリアを理由に挙げた真意を知りたかった。
それに、彼から何か事を起こそうとする敵意も感じなかったのだ。
「さて、希望通り場所も移した。なぜアリアを理由にしたのか、聞かせてほしい」
全員が席に着き、飲み物を運んできたメイドが退室するのを待ってから、俺は話を切り出した。
「ああ。しかし、その前に俺の希望を聞き入れてくれたことに感謝する」
オスワルドの言葉に、俺は一つ頷く。
「そして、これから話すことは、ここにいる者と、今後どうしても知る必要がある者の胸にだけ留めてほしい」
そう言うと、オスワルドは巨体を折るようにして、深く頭を下げた。
「……」
予想もしなかった行動に、一瞬、俺は言葉を失う。
代わりに口を開いたのは、デンスだった。
「それを約束できるかどうかは、内容を聞いてから判断いたします」
「その通りだ」
オスワルドは顔を上げると、静かに答えた。
「さて、あの娘――アリア・ノーランドのことだが……」
一拍置いて、話し始める。
「あいつは……亡き俺の親友の……」
オスワルドの目が、遠くを見るように細められる。
「忘れ形見だ」
その言葉に、俺達は一斉に目を見開いた。
「そんな……」
「まさか……」
驚きの声が、会議室のあちこちから漏れた。
「私はてっきり……」
「てっきり?」
その中でオスワルドが反応したのは、リンウェルのそんな言葉だった。
「あ……いえ……その……」
ばつが悪そうに言葉を濁し、隣に座るイリスへ助けを求めるような視線を向けるリンウェル。
イリスもまた、困ったような苦笑を浮かべていた。
(リンウェル……その気持ち、わかるぞ)
俺も心の中でそう呟き、対面に座るオスワルドへ視線を戻す。
「?」
当の本人は、俺達の反応の意味がわからないらしく、首を傾げていた。
「とにかくだ。俺は、その忘れ形見を守りたい」
オスワルドは、先ほどまでの遠い目とは違う、強い決意のこもった視線を俺へ向ける。
机の上に置かれた大きな拳が、固く握り締められていた。
「理由はわかった。その……いきさつを聞いてもいいか?」
俺はそんなオスワルドから目を逸らさずに尋ねる。
彼は大きく頷くと、おもむろに話し始めた。
「俺の親友であり、アリアの父でもある男の名は、アムル・ノーランド。ザブラ王国の一兵士にすぎない男だ」
俺は自然と身を乗り出し、その話に耳を傾ける。
「傭兵だった俺と、王国軍との連絡役を務めていたあいつは、持ちつ持たれつの関係でな。なぜか気が合い、気づけば親友と呼べる間柄になっていた」
オスワルドが一度、言葉を切る。
「そして、アリアの母の名は、フォーリア・ノーランド。旧姓は――フォーリア・フォン・ローゼンバーグという」
その名を聞いた瞬間、俺以外の全員が驚愕に目を見開いた。
「ローゼンバーグ……!」
「まさか……アリアが……」
デンスとミスラが、言葉こそ違えど、同じ驚きをあらわにする。
「あの娘が……」
向かい側に座るイマリも、腕を組みながら考え込んでいた。
「王よ。異世界から来たお前は知らないだろうから説明すると――」
一人だけ事情を理解できず、きょろきょろと周囲を見渡していた俺に、オスワルドが言う。
「ローゼンバーグは、ザブラ王家の家名だ」
「えっ!?」
その言葉に、俺の思考が止まる。
しかし、そんな俺の驚きなどお構いなしに、オスワルドは話を続けた。
「ザブラ王国では、王族の婚姻も比較的自由でな。相手の素性によほどの問題がない限り、身分を問わず認められていた」
そこで、俺はようやく落ち着きを取り戻す。
「分け隔てのない優しさから聖女とまで呼ばれ、民に愛されていたフォーリア第一王女と、兵士としての腕こそ平凡だったが、人懐っこく、不思議と周囲を惹きつけるアムルは……俺の目から見てもお似合いだったよ」
その言葉を聞きながら、俺の頭には、会ったこともない二人の姿がぼんやりと浮かんだ。
気高くも優しい王女と、人懐っこい一人の兵士。
身分こそ違えど、互いに惹かれ合う二人。
なんとなくだが、想像できる気がした。
「だがな。どんな国にも、避けては通れぬ問題がある」
「……」
「王位継承者問題というやつだ」
俺が暮らしていた時代の日本では身近な問題ではなかったが、物語や歴史の知識から、その血生臭さは理解できた。
「ザブラでも、王位継承争いが起きた。心優しいフォーリアと、野心家である妹のアフィーリアとの間でな」
オスワルドは、会議室の窓の外へと視線を向けた。
「ザブラは恋愛には寛容だが、厳格に守られているものもある」
「厳格に守られているもの?」
「ああ。それは、“王家の血”だ」
「血……」
「ザブラには、『一本の巨木に、二つの主幹は育たぬ』という格言があってな」
オスワルドは、ゆっくりと俺達を見渡す。
「要は、王家の血を増やしすぎず、正統な血筋をただ一つに絞り込むというものだ」
「……王位継承争いに敗れた者は、どうなる?」
俺が尋ねると、オスワルドの表情が曇った。
「一生、離宮に閉じ込められる。血筋を増やさぬよう、異性との接触を禁じられてな」
「……」
愛する者と引き離され、閉ざされた離宮で生涯を終える。
その現実は、俺には想像もつかなかった。
「詳細は省くが、フォーリアはアフィーリアに敗れた」
「……」
「本来なら、離宮に軟禁されるはずだった」
「はずだった?」
「ああ。フォーリアが敗れて数日後、城下にはある噂が出回ったんだ」
オスワルドの声が、さらに低くなる。
「アフィーリアが、フォーリアを“処刑”しようとしているとな」
「……っ!?」
「単純な話だ。離宮へ入れられれば、フォーリアは二度と民の前には姿を現さない」
オスワルドは苦々しげに吐き捨てる。
「ならば、そのまま秘密裏に殺しても気づかれにくい。将来の禍根も断てる――そう考えたのだろう。狡猾なアフィーリアが考えそうなことだ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるオスワルド。
その顔には、今なお消えぬ怒りと後悔が滲んでいた。
「俺がその噂を聞きつけ、アムルの家へ駆けつけた時には……すでに家の中は荒らされていてな」
「……」
「王位継承争いが始まる前、アムルから、何かあった時のためにと教えられていた床下の隠し場所があった」
オスワルドは、拳をさらに強く握り締める。
「そこに、一通の手紙が残されていた」
「その手紙には、何と?」
「フォーリアの腹には子供がいること。そして、二人に何かあった時は、その子を頼むと……」
「……」
会議室に、重苦しい沈黙が落ちる。
「おそらくアフィーリアも、フォーリアが身籠もっていることを知り、二人もろとも殺そうとしたのだろう」
俺が暮らしていた時代の日本とは違う。
だが、歴史の中では実際に繰り返されてきたであろう権力争いの闇に、胸を締めつけられる思いだった。
「それから二人を探し回っていた俺の耳に入ったのは、二人が城下から逃げ延びたという情報だった」
「……」
「それからというもの、傭兵稼業の合間に二人を捜し続ける日々でな」
オスワルドは、悔しさを噛み締めるように目を伏せる。
「だが、結局二人を見つけることはできず……俺にも“お告げ”が来てしまった」
「お告げ……」
この島へ飛ばされる前に、神から告げられた言葉。
それは、オスワルドにとって、親友との約束を果たす道が完全に閉ざされた瞬間でもあったのだろう。
「もう二度と、約束を果たすことはできないと思っていた」
「だが、目の前にアリアが現れた……」
俺はオスワルドを真正面から見つめながら言った。
「そうだ」
オスワルドが、深く頷く。
「顔立ちだけではない。あの娘が名乗ったノーランドという姓。そして、その姿や仕草……アムルとフォーリアの面影が、確かにあの娘にはあった」
一瞬だけ、オスワルドの険しい顔に穏やかな笑みが浮かぶ。
「俺は神など信じていない。だが、この時ばかりは、神に感謝したよ」
「……」
オスワルドのその言葉に、俺は複雑な心境になった。
この島へ連れてきた神を、俺は許すことができない。
だが、その神によって、果たせないはずだった約束を果たす機会を得た者もいる。
その事実を、どう受け止めればいいのかわからなかった。
「だから、俺は九番領地攻略に協力する」
オスワルドの視線が、再び俺へ向けられる。
「そして、九番領地を奪い返した暁には、リベリオンの領民となり、アリアのそばであの娘を守りたい」
ガタッ、と大きな音を立て、オスワルドは勢いよく椅子から立ち上がった。
その勢いに、隣に座っていたイマリが身構え、俺のそばに控えていたイリス達も一斉に武器へ手をかける。
しかし、オスワルドは真っすぐ俺を見つめたまま、こちらへ近づこうとはしなかった。
それどころか――
「頼む……」
オスワルドは、その巨体を九十度に折るようにして、深々と頭を下げた。
「俺に……亡き友との約束を、守らせてくれ!!」
その願いは、決して自分のためではなかった。
名誉のためでもない。
利益のためでもない。
ただ、果たせなかった約束のため。
ただ、一人の少女を守るため。
会議室に差し込む陽光が、深く頭を下げるオスワルドの背を照らしていた。
誰も言葉を発しない。
ミスラも。
イリスも。
リンウェルも。
デンスも。
そして、俺も。
ただ、その大きな背中を見つめていた。
(――この男は、本気だ)
その事実だけは、痛いほど伝わってくる。
俺は静かに息を吐いた。
そして、オスワルドへ答えを告げるため、ゆっくりと口を開いた――。




