第百二十三話 リリィの目覚め
「陛下、リリィが目を覚ましました」
寝ぼけまなこの俺を起こしたのは、シェリーのその一言だった。
リリィを見舞ったあの日から三日が過ぎ、その間、俺は彼女が目を覚まさない不安を振り払うように、がむしゃらに働いていた。
朝から晩まで、それはもう、日本にいたらブラック労働として労働基準監督署からお叱りを受けるくらいに。
それも、まだ十八歳の少年なのに……
いや、今の日本では成人となる。
ならば問題なしか……
そんなことはさておき、俺はシェリーの言葉を聞くと、急いで着替えてリリィの部屋へ向かった。
そこにはすでに、ミスラとイリス、そしてアリアとゾーイがおり、ベッドの縁に座るリリィと談笑していた。
俺はそんな様子に、少しばかり胸をなで下ろした。
「なんだ、思いのほか元気そうじゃないか」
俺はそんなリリィに、努めて明るく声をかけた。
「タイシ……あ……陛下……うん。大丈夫。ありがとう」
リリィは、自分のわがままで皆に迷惑をかけた自覚があるのか、ばつが悪そうな顔をしながら言う。
いや、おそらくそれだけではない。
俺の後ろに控えるシェリーの存在も、その要因だろう。
「今日だけは許しますよ」
そんなリリィに、シェリーはため息を一つついてから言った。
目を丸くするリリィ。
だが、その顔はすぐに俯いた。
膝の上で握られた手が、小さく震えている。
そして――
「皆、ごめんなさい……」
リリィの口から出た言葉は、謝罪だった。
「……」
部屋にいる俺達は、言葉が出なかった。
「わがままを言わず、ちゃんと待っていれば……皆に迷惑をかけなかったのに……」
今にも消え入りそうな声だった。
そんな声を聞いて、ミスラは黙っていられなかった。
「え……あ……ミスラ様!?」
突然自分を抱き締めてきたミスラに、リリィは目を丸くした。
「ごめん……ごめんね……リリィ」
そう言うミスラの声は震えていた。
「え……?」
「私が……私が、ちゃんと止めていれば……」
「……ミスラ様の……せいじゃ……ないよ」
リリィの顔が歪む。
「でも……でも……本当に……」
ミスラの瞳から溢れた涙が、リリィの髪を濡らした。
「目を覚ましてくれて、よかった……」
「ッ!」
その言葉を聞いた瞬間、リリィが堪えていた涙も溢れ出した。
「ごめん……なさい……」
リリィはまるで、姉に甘えるようにミスラの胸へ顔を埋め、その背中に腕を回した。
そして二人は、声を上げて泣いた。
その光景を黙って見ていたアリアとゾーイだったが、二人ももはや耐えきれなくなっていた。
抱き合うミスラとリリィを包み込むように、二人が抱きつく。
「リリィ……ちゃん……すごく……すごく……怖かった……です」
「そう……だぞ! 心配……させやがって!」
二人の瞳からも、同じ思いを宿した涙が零れ落ちる。
誰も、その思いを言葉にはできなかった。
失うかもしれないと思った。
二度と笑い合えないかもしれないと思った。
だからこそ――
四人は互いの体温を確かめ合うかのように、強く、強く抱き締め合った。
その涙声は、それからもしばらく止まらなかった。
「それで、リリィ。お前の中で何があったのか、聞いても大丈夫か? 話したくないならいいんだが……」
俺はリリィの部屋で、シェリーが入れてくれたお茶を飲みながら尋ねた。
目の前では、昨夜、休むようリンウェルに叱られたにもかかわらず、リリィのそばを離れなかったアリアとゾーイが、泣き疲れてベッドの上で眠っていた。
イリスは、そんな二人をそれぞれの部屋へと優しく運んでいく。
「ううん。大丈夫……ちょっと怖いけど……話せるよ」
リリィは首を振りながら答えた。
「そうか……無理はしなくていいからな」
俺は優しくリリィに言う。
その言葉に、ミスラに肩を抱かれたままのリリィは頷くと、ゆっくりと語り出した。
「最初はね。あの用水路にいた時は、狭くて暗くて、そのせいか、ちょっと苦しいかなって思っただけだったの」
「ああ」
「でも、地上へ出るためにロープを上っている途中、頭の中で声がしたの」
「声?」
俺は、この島へ来る直前――あの日、教室で聞いた“声”を思い出していた。
そういえば、あれ以来、あの“声”は聞いていない。
(まあ、今はリリィの話が先か)
俺は意識をリリィへ戻す。
「うん。何を言ってるのかは分からなかった。でも、何かを私に語りかけていた」
「……」
「その声を聞いた時から、胸の苦しみが強くなったの」
「……なるほど……」
俺は腕を組んで考える。
「それでね、皆で領主の間に入って戦った時、最初はなんともなかったんだ」
リリィはミスラの顔を一度見る。
ミスラは、優しい眼差しでリリィを見返す。
「でもね、あの時、あの領主が……“私達と同じ武器”と一体化したのを見たあと……急に苦しくなったの」
「イシダが、リベンジャー武器と一体化したってことか?」
俺は、その時の話をミスラとイリスから聞いていた。
そもそも、なぜあいつがリベンジャー武器を持っていたのかも謎だった。
おそらく、アサヒナさんを奪えなかったことへの“恨み”が関係しているのだろうとは想像できる。
だが、“一体化”という現象については寝耳に水だった。
(謎が多すぎるな……)
俺の頭の中は混乱していた。
「それからだよ。戦えば戦うほど、何か黒いモヤみたいなものに覆われていく感じになったのは」
「……」
「そして、それからその声もはっきりと聞こえた」
「はっきりと?」
「うん。『憎しみはどこだ』って……『寄越せ』って……」
「その声は……リベンジャー武器のものなのか?」
「分からない……でも、私の中から聞こえてくるような感じだった」
リリィは自分の胸元を押さえながら答える。
「そのあとのことは聞いてるでしょ? 頑張って耐えようと思ったけど、無理だった……」
「……」
「ごめんなさい」
リリィは下を向く。
「リリィ。もう謝るのはよせ。私達は誰も、お前を責めたりなどしない」
イリスがリリィを優しく諭す。
「うん……ありがとう……イリス様」
リリィはイリスを見上げ、わずかに笑みを浮かべながら答えた。
「……」
その間も、俺は腕を組みながら考え続けていた。
そして、おもむろにシェリーを見る。
「話を聞く限り、二つのリベンジャー武器が連動した……いや、共鳴したってことなのか?」
俺の視線を受け取ったシェリーは、茶菓子を準備する手を止め、こちらへ身体を向けた。
「さあ? 私は特に何も感じませんでした」
リリィやイシダと同じく、リベンジャー武器を保有するシェリーは、首を傾げながら答えた。
(シェリーは……何も感じなかった……)
俺は再びリリィを見る。
「その……黒い何かに飲まれたあとはどうだ? 何か覚えてるか?」
俺は極力穏やかな声で尋ねた。
「ううん。ごめんなさい。飲まれたあと、気づいたらこのベッドで寝ていたの」
リリィは再び俯いてしまった。
「いや、大丈夫だ! そんな顔をするなって!」
俺は励ますように言う。
しかし、俺の気持ちとは裏腹に、部屋には沈黙が流れていた。
そんな気まずい空気をなんとかしようと、必死に頭を働かせていた時だった。
俺の中に、一つの疑問が浮かんだ。
「そういえば、イシダが持っていたリベンジャー武器はどうなった? 死体は部下が持ち去ったんだろ?」
そう言ってから、自分の口にした言葉に、俺自身が心の中で驚いた。
“イシダの死体”
ほとんど関わりがなかったとはいえ、イシダは元の世界で同じ教室にいた同級生だ。
ヤツとは色々あったとはいえ、その死をこうも何の感情もなく話題に上げられる自分に驚いた。
自分の中で、“同級生”という存在の位置づけが変わりつつあることに、今更ながら気づいたのだ。
「そういえば、そうね。どうしたんだろう」
ミスラが思い出したように言う。
「確かに。あの時はリリィのことで頭がいっぱいだったので、あの武器がどうなったのかは……正直、覚えていません」
イリスも腕を組み、自分の中の記憶を探るように答えた。
そして、全員の視線がシェリーへと向けられる。
「ああ。あれですか」
シェリーが茶菓子を簡易テーブルへ運びながら言う。
「消えた……と申しましょうか……」
シェリーはどこか歯切れが悪かった。
いや、どう表現すべきか迷っているようだった。
「うーん……簡潔に申しますと、食べました」
あっけらかんと言い放つシェリー。
「は?」
「え?」
「なんと?」
俺達の声が同時に部屋へ響く。
「正確には、あの領主が倒れた直後、身体から分離した武器を、私の武器が勝手に取り込んでしまったのです」
「……取り込んだ?」
「はい。分かりやすく言えば、私の武器が食べちゃいました」
「……」
再び静寂が部屋を包んだ。
「その影響と申しますか、結果と申しますか……こんなことができるようになりました」
そう言って茶菓子を置くと、シェリーは俺達から少し距離を取った。
次の瞬間、彼女の手が光り、そこから紫色のオーラが放たれる。
「これはっ!」
それは、サブクラス持ちが武器を具現化する時の光景。
だが、何かが違う。
彼女の手から放たれたオーラは、みるみるうちにシェリーの身体を包み込んでいく。
そして、あっという間にその姿を覆い隠してしまった。
しばらくして紫色のオーラが晴れた時、そこに立っていたのは、先ほどまでのメイド姿とは似ても似つかないシェリーだった。
彼女が纏っているのは、深淵の闇と呪詛を吸い上げて鍛えられたかのような、禍々しい紫紺の軽装鎧だった。
「!?」
その場にいる誰もが言葉を失う。
呆然とする俺達をよそに、シェリーはいつもの明るい笑みを浮かべた。
「ね?♪」
彼女の楽しげな声だけが、静まり返った部屋に響いたのだった。




