第百二十一話 眠り姫を待ちながら
俺は、西日が差し込むエリュシオン城の廊下を、リンウェルと共に歩いていた。
戦後の総括会議を終えると、デンスとシェリーはそれぞれの仕事へ戻っていった。
俺がミスラの様子を見に行こうとしたところ、リンウェルもついてきたというわけだ。
エリュシオン城の窓からは、リベリオンの首都であるこの街の様子が見渡せた。
領民たちはまだ夕刻ということもあり、忙しなく動き回っている。
つい先ほどまで他領で戦が行われていたことなど感じさせないほど、活気に満ちた光景が広がっていた。
「まさか、あの“七番領地”がこんなにも変わるとは思いませんでしたわ」
リンウェルは窓の外を眺めながら言う。
「そうだな……これも、みんなが色々してくれたおかげだよ」
「あら、相変わらず謙虚ですのね」
そう言うと、リンウェルはクスッと笑った。
少し照れ臭くなった俺は返事をせず、そのままミスラの部屋へと歩を進めていった。
ミスラの部屋にたどり着くと、扉の隙間から華やかなフローラルの香りが漂ってきた。
(そういえば……ミスラの部屋って、入ったことなかったな……)
いつだってミスラと二人で会うときは、執務室か俺の部屋だった。
女性の部屋。
今さらながらその事実を意識し、俺は妙な緊張を覚えた。
「入りませんの?」
リンウェルが手を後ろで組み、俺の顔を覗き込んでくる。
「あ……いや……なんというか……」
「あらあら……では、ここは私が……」
リンウェルは何かを感じ取ったらしく、俺の代わりに扉をノックする。
コンコン――。
ノックの音が、静かな廊下に響いた。
「どうぞ」
一拍置いて、中から声がする。
「失礼します」
リンウェルはその声を聞くと、ためらいなく扉を開けた。
「殿下、お見舞いに参りましたわ」
リンウェルがそう言いながら、部屋の中へ入っていく。
「来てくれたのね。ありがとう! ……それと?」
ミスラはリンウェルの来訪を笑顔で歓迎すると、彼女の後ろに別の誰かの気配を感じたのか、その背後を覗き込んだ。
「ほら、陛下。いつまでも緊張なさっていないで」
「……ああ」
俺は悪戯っぽい笑みを浮かべるリンウェルに促され、ミスラの部屋へと足を踏み入れる。
部屋の中は派手さこそないが、育ちの良さを感じさせるほど綺麗に整頓されていた。
ベッドの縁に腰掛けるミスラの左腕には、まだ白い包帯が巻かれている。
「タイシも来てくれたのね!」
ミスラの顔が、俺の予想に反してさらに明るくなる。
「お、おう。思いのほか元気そうだな」
俺は少し圧倒されつつ返した。
「まあね。ちょっと左腕を傷つけただけだし……私は大丈夫。リリィのところには行った?」
「いや、まだだ。このあと行こうと思ってる」
「そう……」
そう言うと、ミスラは少し俯いた。
「……大丈夫か?」
俺はベッドの縁に座るミスラの近くまで歩み寄り、優しく問いかける。
「私がね……私が、あの子を連れていったの。苦しそうにしてたのに」
ミスラはシーツを強く握り締めた。
普段なら決して見せない弱さだった。
いつもは冷静な彼女が、今は妹を案じる姉のように苦しんでいる。
「でも、それは……リリィの意思を尊重したんだろ?」
事の顛末をイリスとシェリーから聞いていた俺は、ミスラを庇う。
「そうだけど……あのとき、リリィを連れていったのが正解だったのか、わからないの」
「それを言うなら、俺の責任だ」
俺は彼女が抱える責任を引き受けるように、言葉を続けた。
「リリィを……いや、もっと言えば、アリアやゾーイを戦場に出したことが正解だったかなんて、俺にもわからないよ」
「……陛下」
リンウェルが小さく呟く。
「結果的に、三人とも負傷して帰ってきたわけだしな……」
「でも……それは……」
ミスラが言葉を発しようとするが、俺はそれを遮った。
「だけど……任務をやり遂げたアリアやゾーイの顔を見たら、俺たちにとっての正解や不正解なんて関係ないんだって思った」
俺は一度言葉を切り、ミスラの目を真っすぐ見つめる。
「少なくとも、あいつらにとっては正解だったんだって、わかったよ」
「……」
「きっとリリィだってそうだよ。ミスラに感謝してるはずだ」
俺は微かな笑みを浮かべてミスラを見る。
ミスラは目を丸くして、俺を見上げていた。
「……まさか」
「ん?」
「まさか、タイシに慰められる日が来るなんてね」
「おい……」
ミスラはクスッと笑う。
「でも、そうね。私がそんなことで悩んでいたら、優しいリリィは自分を責めてしまうわね」
「そうですわ! あの子たちもきっと、お二人にたくさん褒めてほしいはずですわ!」
リンウェルの明るい声が、部屋に響く。
「そうね。明るくいかなきゃね」
そんなリンウェルの声色につられ、ミスラの表情も明るくなった。
「タイシ、リンウェル。ありがとう。少し元気が出たわ」
ミスラが笑顔で言う。
「このあと、リリィのところに行くのよね?」
「ああ」
「早く行ってあげて。私は大丈夫だから」
「わかった。何かあったら、すぐ誰かを呼べよ?」
俺はそう言うと、ミスラの肩に一度手を置き、踵を返した。
「リンウェル」
俺のあとに続こうとしたリンウェルを、ミスラが呼び止める。
「はい?」
「タイシのこと、頼んだわね」
その言葉に、リンウェルが目を見開いた。
「それは……正妃公認と理解しても?」
目を輝かせながら聞くリンウェル。
「なんでそうなるのよ……まあ……もう勝手にしなさい」
俺は背後で交わされるそんな会話を聞かなかったことにして、部屋を出た。
リリィの部屋に俺とリンウェルが着いたとき、ベッドで穏やかな表情を浮かべて眠るリリィのそばには、アリアとゾーイが既にいた。
あの戦いで負傷した二人は、既にすっかり回復していた。
二人とも床に座り、ベッドの縁に置いた腕へ顔を乗せながら、眠るリリィを見つめている。
俺たちが入ってきたことに気づいたゾーイが、こちらを向いた。
「王様、まだリリィは起きてないぞ?」
俺を不思議そうに見ながら、話しかけてくる。
「ああ。わかってるよ。少し様子を見に来たんだ」
俺は自分たちが来た目的を伝えると、静かにリリィへ歩み寄った。
「顔色は良さそうだな」
「本当ですわね」
「ん?」
俺がリリィの顔を見て少しほっとしていると、右手が温かいものに包まれる。
「王様……リリィちゃん……ちゃんと……起きる……です?」
目線を下に向けると、そこには俺の右手を小さな手でギュッと握り、心配そうに見上げるアリアの顔があった。
俺は空いている左手で、彼女の頭をポンポンと軽く撫でる。
「大丈夫。もう少しで起きるよ。ネレーナ先生のお墨付きだ」
笑顔を浮かべ、優しく言う。
アリアは、まるで何かを確かめるように何度も頷いた。
「あなたたち、いつもそばにいますの?」
リンウェルが二人に尋ねる。
「そうだぞ! アタシもアリアも、仕事がないときはいつもここにいる。ここで眠ってるんだぞ」
ゾーイが胸を張って答えた。
「そうですの……でも、きちんと自分のベッドで寝ないといけませんわよ」
リンウェルは二人のそばに屈むと、それぞれの肩に優しく手を置いた。
「リリィが起きたとき、あなたたちが倒れていたんじゃ、リリィが悲しみますわ」
「……そうだな」
俺もその言葉に同調した。
「……はい……です」
「ううう……わかったぞ」
二人は項垂れながらも、納得したようだった。
俺はそんな二人から視線を外し、再びリリィを見る。
(いったい、どうしたらいいんだろう……)
ミスラやアリアたちの前では、平静を装っていた。
だが、本当は違う。
つい先ほどミスラへかけた言葉を、俺自身はまだ信じ切ることができていなかった。
もし――リリィが目を覚まさなかったら。
もし――あのとき、別の判断をしていたら。
そんな考えが、何度も頭をよぎる。
部屋の窓の外では、夕日が地平の彼方へと沈み、街は夜の帳に包まれ始めていた。
それでも俺は、眠るリリィから目を離すことができなかった。




