第百十九話 勝利の代償
小鳥のさえずりが聞こえる、晴れた昼下がり。
俺はエリュシオン城の執務室にいた。
八番領地奪還と十六番領地攻略――二つの軍事作戦を同時に実行したあの日から、一週間が過ぎようとしていた。
ずいぶん久しぶりに感じられるこの部屋にいるのは、俺のほかに三人。
デンス、リンウェル、そしてシェリーだった。
俺は執務机の椅子に腰掛け、デンスとリンウェルは机の前に置かれた応接用のソファに座っている。
シェリーは、全員分の飲み物を用意していた。
実行した二つの軍事作戦は、概ね目的を達成した。
しかし、執務室に流れる空気はどこか重い。
誰も口を開かず、シェリーが飲み物を用意する姿を、どこか遠い目で眺めているだけだった。
四人の間を、開け放たれた窓から吹き込む穏やかな風だけが通り過ぎていく。
「さて、それでは今回の軍事作戦の総評を纏めましょうか」
シェリーが全員分の飲み物を用意し終えたことを確認すると、おもむろにデンスが口を開く。
「ああ……頼む」
俺は、どこか暗さの滲む声で答えた。
「まずは、八番領地奪還作戦のほうです」
八番領地奪還作戦。
カワナミさんからの依頼を受け、九番領地による実効支配から八番領地を解放するために実行した作戦だ。
達成条件は、九番領地軍の撤退。
その最大の障害となったのが、レオンとオスワルド――二人のサブクラス持ちだった。
「結果は上々。
目的である九番領地軍の撤退に加え、今後も障害となり得る二人のサブクラス持ちの捕縛にも成功しました。
大成功と言っても過言ではないでしょう」
デンスは、はっきりとそう総括した。
「そう……ですわね……」
しかし、その言葉に答えたリンウェルの表情は沈んでいた。
大成功を収めたその裏で、アリアとゾーイ――二人の少女が、全身に無数の傷を負いながら初任務を達成していた。
俺とリンウェルは、八番領地の領主邸で目にした光景を思い出していた。
セシルに肩を抱かれながら戻ってきたアリア。
そして、ジラールの背に負われて帰還したゾーイの姿を。
「私も貴族の娘ですもの。戦地へ赴いた兵が、傷を負って帰還する姿は何度も見てきましたわ。
それでも……今回ばかりは、胸に堪えましたわ……」
傷だらけになった年若い二人の少女が帰還する姿は、そうした光景を見慣れているはずのリンウェルでさえ、胸を締めつけられるものだった。
「ですが陛下も、あの時はよくご自身の動揺を抑え、二人を褒めてくださいました。
きっと二人も嬉しかったことでしょう」
デンスが俺を見て、穏やかな笑みを浮かべながら言う。
「そうだといいが……」
あの時、傷だらけになって帰還した二人を、俺は自分の気持ちを抑え込み、褒めたたえた。
そうしなければならない。
そんな気がしたからだ。
だが本心では、二人を戦地へ送り、強敵であるオスワルドと対峙させたことへの申し訳なさでいっぱいだった。
俺が褒めた時に見せた、アリアの嬉しそうな顔。
そして薬を飲み、ジラールの背で意識がもうろうとする中、ゾーイが親指を立てて応えた姿。
その情景だけが、今の俺の救いとなっていた。
「さて、八番領地の今後についてですが……」
デンスは空気を変えるように、話を本筋へと戻す。
「どうやら、早急に領地を復興させ、九番領地の攻略を目指すようです」
「随分変わられましたのね、あの領主殿」
デンスの報告を受け、リンウェルの表情は、先ほどまでの暗いものから驚きへと変化する。
「何か、吹っ切れたのかもな」
九番領地に追われ、この地へ辿り着いた時の茫然自失としたカワナミさんからは想像できないほど、今の彼女は逞しく感じられた。
「この情報を九番領地へ流し、両領地が大規模な戦闘で疲弊したところを、我々が二領地とも頂くという手もありますが……」
デンスが笑顔で言う。
「鬼かよ」
「鬼ですわね」
俺とリンウェルは、揃って呆れた目を向ける。
「まあ、それはさておき、その八番領地から九番領地の件で手紙を預かっております」
そう言うと、デンスは懐から一通の手紙を取り出し、俺に差し出した。
手紙は検閲のためか、既に封が切られている。
デンスの表情を見る限り、“援軍”の要請などではなさそうだった。
俺は手紙を受け取ると、そのまま中を確認する。
「……」
しばしの沈黙が執務室に流れる。
「何と書いてありましたの?」
しばらくすると、シェリーが淹れたお茶をすすっていたリンウェルが尋ねてくる。
「ああ……なんでも八番領地は、九番領地攻略のため、捕らえた二人の捕虜を仲間に引き入れたいらしい」
「なるほど……」
リンウェルは、手にしていたティーカップをテーブルへ置きながら応じる。
「そして、そのうちの一人――オスワルドが、八番領地へ協力する条件として、俺との面会を求めているらしい」
「!?」
リンウェルは目を見開いた。
その表情は、何のために、と問いかけているようだった。
(アリアとゾーイを傷つけた男……)
胸の奥に、黒い感情が湧き上がる。
俺はそれを振り払うように、軽く頭を振った。
「まあ、とにかくだ。この話はあとにしよう。デンス、続きを」
俺は手紙を再び封筒の中へ戻し、話を続けるようデンスに促した。
「はい。では続いて、十六番領地についてです」
その言葉に、先ほどまで立ったまま黙って話を聞いていたシェリーの背筋が、僅かに伸びる。
「十六番領地での目標は、領主イシダ タクミの暗殺。
それによる領地の奪取です」
デンスが簡潔に目的を説明する。
「ここにいるシェリー殿の活躍もあり、目的は達成しました。しかし……」
デンスは、その言葉とは裏腹に、僅かに表情を曇らせる。
「宰相殿。この件は、私から説明しましょう」
その表情を受け、シェリーがおもむろに口を開いた。
その目は真っすぐ俺を見据えていた。
「……頼む」
俺は一つ頷き、シェリーを見返す。
「はい。領主イシダ タクミは死亡。
遺体はその部下に持ち去られましたが、私がこの手で心臓を貫いたため、死亡したことに間違いはないでしょう」
シェリーは無表情のまま報告する。
「こちら側の被害としては、リリィがリベンジャー武器の反動によって意識不明。
彼女を助けようとしたミスラ様は左手から腕にかけて、イリス殿も腕に傷を負っております」
「……」
「特にミスラ様の火傷はひどいものでした。
ただ、ネレーナ先生によれば、治療には時間を要するものの、傷痕も残らず元通りになるだろうとのことです」
「よかった……それで、リリィのほうは?」
「はい。リリィはいまだ目を覚ましませんが、容態は安定しています。
こちらも、そう遠くないうちに目を覚ますとのことです」
シェリーは、一気に説明を終えた。
「わかった……ありがとう」
俺は、そう返すのが精いっぱいだった。
「また、六番領地との約束である十七番領地の移譲については、既に通達を済ませております。
加えて、今後三か月間の相互不可侵条約も締結いたしました」
今度は、デンスが引き継ぐように説明した。
それを聞いても、俺の気持ちが晴れることはなかった。
「陛下。一つお願いがあります」
そんな俺に、シェリーが声をかける。
「……」
俺の沈黙を肯定と受け取ったシェリーが、言葉を続けた。
「あの子が――リリィが目を覚ましたら……」
シェリーの視線が、心なしか下を向く。
「いっぱい、いっぱい褒めてあげてください。アリアやゾーイのように」
「……」
「きっと、喜びます」
彼女は、どこか悲しげな表情を浮かべながら言い終えた。
「……もちろんだよ」
俺は微かな笑みを浮かべ、その願いを受け入れた。
リリィが復讐者として力を振るうためには、憎しみが必要だ。
そのことは、シェリーもわかっている。
(だけど、それよりも……)
今は、自らを傷つけながら初任務をやり遂げた少女を、精いっぱい褒めてやるべきだ。
少なくとも、俺はそう思った。
昼下がりの日差しは、いつの間にか西へと傾き、執務室の床に長い影を落としていた。
開け放たれた窓から吹き込む風が、机の上の書類をわずかに揺らす。
誰も口を開かなかった。
ただ、それぞれが同じ少女の姿を思い浮かべていた。
静かな病室で、今も眠り続けている一人の少女を。
西日に染まる空の下、小鳥のさえずりだけが、どこか遠くから聞こえていた。




