第百十六話 任務達成
八番領地の大通りは、先ほどまでとは打って変わり、束の間の静寂に包まれていた。
月明かりの降り注ぐ通りを、いくつものかがり火が揺らめきながら照らしている。
大通りの両側には、二つの集団が睨み合うように立ち、それぞれ武器を構えたまま動こうとはしない。
「どうした? オスワルド……と、そこのねぇちゃん。来ないのか?」
「……」
「……」
オスワルドやアリアと同じ大剣を肩に担ぐジラールの言葉に、オスワルドもカリーナも反応しなかった。
「そうか、来ないならこっちから行くぜ!」
ジラールは、おもむろに腰を落とす。
次の瞬間、踏み締めた地面が爆ぜた。
オスワルドには及ばないものの、その巨躯は弾丸さながらに一直線でオスワルドへと肉薄する。
ジラールは肩に担いでいた大剣を、事も無げに片腕一本で持ち上げる。
突進の慣性と、凶悪な遠心力。
そのすべてを乗せた一撃が、迎撃のために構えられたオスワルドの大剣へと真正面から叩きつけられた。
硬い金属同士が激突したとは思えない、内臓を揺さぶるような鈍い音が通りに響き渡る。
オスワルドの足が石畳を削り、不快な摩擦音とともに二本の轍を描く。
完全な防御姿勢をとっていたにもかかわらず、ジラールの規格外の膂力は、オスワルドの巨体を強引に後退させるに十分すぎる威力を秘めていた。
その時――
死角となったジラールの背後に、音もなくカリーナが姿を現す。
その手にある短剣は、迷いなくジラールの心臓を貫く軌道を描いていた。
だが、ジラールは動じない。
それどころか、その獰猛な唇を歪めて笑ってさえいた。
「チッ!」
カリーナは忌々しげに舌を打つ。
あと数寸で心臓に届くというところで、強引に短剣の軌道を修正し、自らの身体ごと反転させた。
正面から迫る数本の矢。
カリーナは持ち前の器用さで短剣を躍らせ、風を切って飛来する矢のすべてを正確に叩き落とす。
しかし、矢をすべて叩き落とした直後――
「フンッ!」
彼女の左側から、圧倒的な質量を持つ影が迫った。
ジラールが強靭な背筋を強引にしならせ、大剣を水平に振り抜いた。
矢を弾いたばかりの体勢では、躱す隙など万に一つもない。
「クッ!」
カリーナは咄嗟に短剣の腹を向けると同時に、自ら後方へ跳んだ。
直後、大剣が短剣へ叩きつけられる。
大剣と短剣。
あまりにも圧倒的な質量の差。
カリーナの細い身体は、木の葉のように軽々と宙へ吹き飛ばされた。
「へぇ……」
ジラールの口から、感心したような声が漏れた。
宙に舞ったカリーナは、空中で幾度も身を翻す。
巧みに衝撃を逃がしながら、何事もなかったかのようにしなやかに着地してみせたのだ。
「やるじゃねぇか! 咄嗟に後ろへ跳んで、衝撃を殺すとは」
再び大剣を肩へと担ぎ直し、ジラールが笑みをカリーナへと向ける。
「ったく……。脳筋バカの相手だけでも面倒なのに、遠距離からのクソ支援。
本当にやりづれぇじゃねぇですか」
肩をすくめ、カリーナは呆れたように毒づいた。
(脳筋バカは、あとで始末するとして……問題は後ろにいるあの弓使いですか……)
カリーナは、ジラールの後ろにいるセシルを睨む。
セシルは、傷だらけのアリアと、片膝をつきながらも大盾を構えているゾーイに守られている。
(死に損ないのあの二人が邪魔ですね)
カリーナは首を傾けながら、短剣を宙に投げて遊んでいた。
だが、その目は確かに、アリアとゾーイへ向けられていた。
しかし、その時だった――
「もう一度言う。カリーナ。退け」
低い声が、カリーナに届く。
「あ? 何言ってやがるんです?」
カリーナがオスワルドを睨む。
「俺が時間を稼ぐ。お前は引け。どうせこの足じゃ、逃げきれん」
「……」
カリーナはオスワルドに向けていた視線を、彼の足へと移す。
血はすでに止まっていたが、その足には決して浅くない傷が刻まれていた。
「……チッ。どいつもこいつも」
一つ毒を吐くカリーナ。
そして、おもむろに宙へ投げて遊んでいた短剣が、光とともに消えた。
「ガキんちょ共。命拾いしたみたいじゃねぇですか」
そう言いながら、背を向けるカリーナ。
「だけど……」
カリーナが首を少し回し、目線だけを二人へ向ける。
「次会ったら、そのかわいいお顔をズタズタにしてやるよ」
カリーナは、獲物を定めた獣のようなおぞましい眼差しを二人へ向け、そう言い放つ。
アリアもゾーイも、その言葉に動じない。
いや、動けなかったと言うべきか。
初めての戦場で向けられた、狂気に満ちた女の視線。
その視線に二人は、ゴクリと唾を飲み込むのが精いっぱいだった。
「おい、逃げるのか?」
ジラールが、カリーナの背中へ言葉を発する。
しかし、カリーナはその言葉を無視すると、大きく跳躍し、そのまま屋根伝いに走り去っていった。
「追わないのか?」
「追い付かねぇよ。それにしても、潔いじゃねぇか、オスワルド」
「……」
「それじゃ、さっそくお前の時間稼ぎとやらを見せてもらおうか」
そう言って、ジラールは肩に担いでいた大剣を構え直す。
しかし、その次の瞬間――
ドスンという低い音とともに、オスワルドの大剣が石畳へ転がった。
「!?」
ジラールの目が見開かれる。
「……降参だ」
「あん?」
――降参。
そう言ったオスワルドは、投げ捨てた大剣を拾う素振りもせず、その場にあぐらをかいて座った。
「降参と言った」
「……」
ジラールの目が訝しげにオスワルドを見る。
バタンッ――
だが、その背後で何かが倒れる音がした。
「ゾーイちゃん!!」
アリアは声を上げ、倒れたゾーイのもとへ駆け寄った。
「へへ……初めての戦闘にしちゃ、アタシ達……上出来なんだぞ」
アリアがゾーイの身体を抱きかかえると、ゾーイは力無く笑いながら言う。
「これ……飲ませて……」
後ろから、セシルが薬をアリアに手渡す。
ジラールはオスワルドから意識を逸らさぬまま、その光景を横目で見つめていた。
「そいつらも限界だ。早くこの戦いを終わらせろ」
オスワルドはそうジラールに言うと、両手を上げ、降参の意を示した。
「……」
ジラールは少し思案する。
そして――
「ったく。なんか納得いかねぇが、まぁいい」
そう言うと、オスワルドの方へと、ゆっくり歩き出したのだった。
アリアとゾーイの初陣。
それは満身創痍となりながらも、“任務達成”という結果を掴み取った、どこかほろ苦い戦いだった。
八番領地の大通りは、再び静寂に包まれている。
先ほどまで鳴り響いていた剣戟は消え、夜風だけが石畳の上を吹き抜けていく。
揺れるかがり火の明かりが、傷だらけの二人の影を長く伸ばす。
その頭上では、変わらぬ月が、戦いの終わった通りを静かに照らしていた。




