第百十五話 突入
十六番領地の領主邸内部は、不用心と言うほかないほど静まり返っていた。
少なくとも、廊下には人の気配がない。
そもそも、領主邸周辺の警備自体が手薄だった。
陽動の一環として、アラン率いるアレース軍が十六番領地へ進軍した影響か、兵士達のほとんどは館の外へ出払っているようだった。
四人は薄暗い廊下を慎重に進んでいた。
「この館は、本当に無防備ですね」
先頭を歩くイリスが声を潜めて言う。
「きっと素人が取り仕切ってるのよ。でなきゃ、これはあまりにお粗末だもの」
それに答えるミスラ。
「それより、リリィ。大丈夫?」
ミスラは続けて、自分の後ろを歩くリリィに問いかける。
「うん。ありがとう、ミスラ様」
その笑顔は少し引きつっていたものの、先ほどまでよりは落ち着いて見えた。
だが、自分の鼓動を確かめるように胸元へ添えられた手は、変わらずそのままだ。
その光景を見たミスラは、拭いきれない不安を感じていた。
(本当によかったのかしら)
リリィを連れていくと決めたのは自分だ。
領主邸の裏庭で、リリィ以外の三人が今後の方針を話し終えた直後、苦しそうにしていた彼女は立ち上がった。
そして、無理やり笑顔をつくり、『もう大丈夫』と言った。
大丈夫ではないことは、誰の目から見ても明らかだった。
それでも、ミスラはリリィを置いていくことができなかった。
彼女を一人にすることはできなかった。
何か言いたげなシェリーの視線に気づかないふりをして、リリィを連れていくことにした。
その後ろめたさは、今もミスラの中から消えていなかった。
ミスラがそんなことを考えながら、イリスの後に続いて歩を進めると、やがて領主の間へ続く扉が見えてきた。
「見張りが二人……中に……何人か……いや……そこそこいますね。どうしますか?」
イリスが通路の影に隠れながら、静かに言う。
その言葉を受け、ミスラは考える。
見張りの二人は問題ないだろう。
だが、領主の間に何人いるのかまでは見当がつかなかった。
本来、暗殺任務では相手が寝静まった頃を狙うのが定石だ。
だが、こちらが陽動を仕掛けている以上、今の領内は臨戦態勢にある。
いつまで待っても、簡単には寝静まらないだろう。
だからこそ、少数で領主邸へ潜入する今回の作戦が選ばれた。
「あまり、ここに長居はしたくないわね」
ミスラがぼそりと言う。
「問題ないでしょう。この領主邸は増改築されておりません。
となると、領主の間の大きさは初期のまま。
あの中にいるのは、多くても二十人ほどでしょう」
最後尾で、シェリーが言う。
「そうね……あとは……」
「サブクラス持ちが、どれだけいるか……ですね」
そう、この領地は結果的に外部との交流が乏しい、閉鎖的な領地となっていた。
そのため、こちらが得られた情報も最低限のものだけだった。
確認できたのは、領主であるイシダ タクミの居場所くらいだ。
ミスラはリリィの顔を見る。
その表情は真剣な眼差しを保っていたものの、額には汗が滲み、先ほどよりも苦しそうに感じられた。
(早めに終わらせないと……)
ミスラはそう感じ、決断を下す。
「行きましょう。終わらせるわよ」
その言葉に、イリスとシェリーも頷く。
「承知しました。では、シェリー殿。見張りの二人をお願いできますか」
イリスが最後尾のシェリーへそう告げると、彼女はもう一度頷き、三人の横を音もなく駆け抜けた。
そして、角から飛び出した直後、シェリーの姿が視界から消えた。
比喩ではない。
文字どおり、その姿を消したのだ。
そして――
「ウッ……!」
見張りの一人が、前触れもなく倒れる。
「どうし……ガッ……!」
そして、もう一人の男も倒れた。
瞬く間に、見張りの二人は意識を闇へ落とした。
二人が倒れた場所に人型の靄が現れ、やがてその中からシェリーが姿を現す。
シェリーは三人がいる方を向くと、一度頷いて合図を送った。
その合図を受け取ると、三人は角から飛び出し、領主の間の扉の左右に陣取る。
扉に向かって左には、シェリーとリリィ。
そして右には、イリスとミスラが陣取った。
ミスラが一度全員を見渡して頷くと、四人はそれぞれのサブクラス武器を具現化した。
その際に生じた光が、薄暗い廊下を昼間のように明るく照らし出す。
だが、その光に気づく者は、今この廊下にはいなかった。
シェリーとリリィが持つリベンジャー武器が、紫色のオーラを放つ。
その光は、まだ闇に溶け込める。
しかし、ミスラの持つドラコニックウェポンは違った。
その水色の光はあまりに鮮やかで、潜入には不向きだった。
だが、もはやそんなことは関係ない。
あとは内部へ押し入り、ターゲットを殺すのみ。
「いい? どれだけの人数がいるかわからないから、入ったら指示するわ。いくわよ!」
ミスラがそう言うと、イリスが勢いよく扉を押し開けた。
バンッ!
大きな音とともに開かれる領主の間。
中にいるのは、二十人ほどか。
その場にいた全員の視線が、ミスラ達四人へと集まる。
「な、なんだ、お前達っ!」
その声を無視する四人。
ミスラの目に飛び込んできたのは、玉座に座る一人の男。
ターゲット――イシダ タクミ。
そして、そのすぐ隣には、手から光を放ち、サブクラス武器を具現化しようとしている男の姿があった。
(いた、サブクラス持ち! ……でも、ほかにもいるかもしれない)
そんなことを思いながらも、ミスラはすぐに決断する。
「シェリーは左を! リリィは右! イリスはターゲットの横の男!」
短く簡潔に指示するミスラ。
三人から返事はない。
だが、三人は指示された方へ向かって即座に動き出した。
そして、ミスラはターゲットへ向かって一直線に突進する。
「ヒッ!」
恐怖の表情を浮かべるイシダの、情けない声が響く。
「悪いけど、死んでもらうわね」
ミスラはそう言うと、右手に持つ長槍を、ターゲットの心臓めがけて突き出した。
(捉える!)
ミスラがそう確信した時だった。
イシダの右手が、紫色の光を放つ。
(なに!?)
ミスラは一瞬、目の前の光景に驚愕する。
イシダの右手から放たれた光が、恐怖に怯える彼の姿を隠すように包み込んでいたのだ。
「チッ」
ミスラは舌打ちしながらも、長槍を止めなかった。
その光の先には、必ずイシダがいる。
そう信じ、光の中心へ向かって穂先を突き込む。
しかし次の瞬間――
「えっ!?」
槍の穂先が、紫色の光に阻まれた。
それどころか、凄まじい力で弾き返される。
「クッ!」
ミスラは槍を手放すまいと柄を強く握り締め、その勢いから逃れるように後方へ飛び退いた。
どうにか弾かれた勢いを殺し、床へ着地する。
しかし、その目に飛び込んできたものに、ミスラは絶句した。
イシダを包んでいた禍々しい紫色の光が、徐々に晴れていく。
その中から現れた姿は、まさに戦場の死神そのものだった。
右手に握られているのは、“見覚えのある”紫色のオーラを放つ剣。
だが、それよりもミスラの目を奪ったのは、イシダが纏う鎧だった。
くすんだ金属光沢を放つ甲冑は、まるで無数の返り血を吸い上げてきたかのような歴史を感じさせる。
腰回りを守る幾条もの草摺は、猛禽の尾羽のように鋭く垂れ下がっていた。
その佇まいは、ただそこに存在するだけで周囲の気温を数度下げてしまうほどの、圧倒的な殺意に満ちていた。
「やっと……やっと応えてくれたんだね! “オディウム”」
甲冑の中から、聞き覚えのある声がする。
その声は、紛れもなくターゲットのものだった。
だが、先ほどまでのイシダとは違い、その声には恐怖の色が一切感じられない。
その声に滲んでいたのは、紛れもない“愉悦”だった。
「君達は、アサヒの飼い犬達だね?」
表情をうかがい知ることのできない兜の奥から、確かな視線がミスラを捉える。
「……」
「じゃあ殺して、彼への手土産としよう」
甲冑の中から聞こえるその声は、ひどく穏やかだった。
だが――
その直後、イシダの姿が掻き消えた。
鋭い金属音とともに、部屋を照らしていた蝋燭の炎がいくつも吹き飛ぶ。
暗闇の中で響いたのは、濡れた布を引き裂くような音だった。
そして音が止んだあと――
玉座の間に響いていたのは、石床へ血が滴り落ちる音だけだった。




